第17話「嫉妬」

 いきなりぎゅうっと抱きしめられた力は強く、ランスロットの温もりの中にはどこか柑橘のような匂いも混ざっていた。香水と思うには足りないし、彼が昨夜使った石鹸の匂いなのかもしれない。


「あっ、あのっ……」


 自らの腕の中にある、戸惑っている私の顔を見下ろす顔は無表情だ。けど、なんだか怒っているような気もする。こうしてとっても間近で、まじまじと見ないとわからない程の気配だけど。


「すみません……勝手に」


「そうではなくて……あの、扉が開いてて……」


 先程強い力で引き寄せられた私が立っていたのは、誰でも通ることの出来る廊下だった。今は彼の部屋の中とは言え、私が入ってきた扉は開きっぱなし。偶然に通りがかった誰かが、通りすがりに見ることも容易に可能だと思う。


「気になるのは……扉で。僕が勝手に、貴女を抱きしめたことではなく?」


 ランスロットは、私が気にしていることに対し不思議そうだった。むしろ不思議そうなのが、不思議だった。


 彼のような素敵な男性に好かれて、こうして抱きしめられるような展開は、乙女と自称する全員が望んでいると言っても過言ではないかもしれない。もちろん、個人の好みはあることは理解しているので異論は認める。


「そうです。扉です。あの……とりあえず、閉めて貰って良いですか?」


 私はその見た目よりも太い筋肉質な彼の腕に取り巻かれていて、自分で勝手に動くことは出来ない。ということは、今大きく開いている扉を閉めることが出来ない。


 ランスロットは一瞬だけ迷った様子を見せた後に、とりあえず腕から解放してくれ、扉を後ろ手に閉めた。


 私は部屋の中に立ち尽くし、扉を背にしたままのランスロットは動かない。


 無表情が標準の彼に慣れているとはまだ言い難い私には、その表情は読みにくい。何を伝えたいのかわからなくて、二人無言のまま。


「……僕を、元通りにするために……貴女がクレメント・ボールドウィンと、東の森に? 確かに彼の火は森の魔物には、特攻で適任ではありますね。二人の他にも誰か、居たんですか」


 ランスロットの口調は、感情は乗らずに淡々としている。彼に事情聴取されている側の私は、この先の展開を想像してドキドキしている。


「いいえ。魔女は気難しいから、出来るだけ少人数の方が良いと言われて……でも、会ってみたらすごく話しやすい良い人で……」


「何か。クレメント・ボールドウィンから、言われましたか?」


 ずっと紳士的な態度を崩さなかったランスロットらしくなく、魔女グウィネスのことを説明しようとしていた私の言葉を遮り、そう言った。彼らしいとは言っても、私はまだ彼のことを全然知らないんだけど。


 でも、知らないなら。これから、知っていけば良い訳で。


「貴方に……嘘を吐きたくないので、言いますけど。クレメントが、何か言いたそうにしていた時はあったんですけど」


 説明しようとする言葉がどんどん小さく尻すぼみになっていったのは、仕方ない事だと思う。


 ランスロットがこちらへとゆっくり歩みを進めて、近付いて来たからだ。そして、言葉を止めた瞬間には、彼の顔は私のすぐ前にあった。


「それで……どうしたんですか」


 続きを促すように言ったランスロットに、私は吃りつつ言った。


「もっ……もう、騙されないって、言いました。あと……私はクレメントより、ランスロット様の方が好みだからって」


 顔を熱くした私が、それを言った時。間近にあるランスロットの顔は、呆気に取られたように見えた。わかりにくいけど、すごくわかりにくいけど。気がするって程度だけど。


「ありがとうございます」


「……いいえ。ただの事実なので。あの……」


 彼の顔が近過ぎるという事実も言おうか言わまいか、迷った。とっても眼福な光景ではあるんだけど、不都合はないとは言えない。鼓動が速くなりすぎて、心臓が壊れそうで。


「ディアーヌ嬢。僕は貴女を愛しているんですが、その想いに応えては頂けないでしょうか」


 彼の目は、真剣だった。そう。ランスロットの外見は、私から見るととても好ましく素敵でそんな彼に愛を乞われている。夢にまで見る展開と言って、間違いないと思う。


「あの……私。これまでに色々とあったんですけど、クレメントとの事は貴方と上手くいくためにあったのかなって思います」


「……え?」


「失恋して……あの事実を知って、すごく傷ついたし、惨めだったし辛かった。でも、何か失敗して学んだら、それを活かすことが出来るから。ランスロット・グラディス様。私の次の恋の相手に、なってくれますか?」


 そうして、はにかんで背の高い彼を見上げたら、ぎゅっと抱きしめてくれた。私も大きな背中に、手を回した。彼の身体は緊張からか震えていて、そのことになんだか安心した。


「ディアーヌ嬢。いえ。ディアーヌ。ありがとう。貴女を、傷つける原因となった僕を……受け入れてくれて、ありがとうございます」


 そうして、彼は私にキスをした。氷の騎士なのに、唇は温かくて冷たくない。何度か啄むように柔らかな唇が当たり、当たり前のような顔をして濡れた舌が口中に滑り込んで来た。


 彼と舌を擦り合わせながらランスロットがこんな手慣れた様子だったのは、少し意外な事ではあった。


 彼は群を抜いて整った顔を持っているのはわかっているけれど、私の手を取る時も緊張で震えていた。だから、異性に慣れていないのかと思い込んでいた。


 どうも、大きな勘違いだったみたい。


 キスを続ける水音が部屋に響いて、あまりの気持ち良さにだんだんと頭がぼうっとして来た。完全に彼とのキスに夢中になっている私は、このままいくと初夜まで純潔を保つのは難しそう。


 心の中では説教くさい誰かが、しっかりしなさいと檄を飛ばす。けど、甘い期待に抗えなくて彼を突き飛ばせない。


 ランスロットは私の身体を優しく刺激しつつ、キスは止めない。なんていうか手慣れてるし、器用だし。止めなきゃいけないのをわかっているのに、身体が言う事を聞いてくれない。出来れば、このままめくるめく快感の海へ流されたい。


 美しい銀髪が目の前をさらりと流れ、ランスロットに首筋を舐められた時に、私はようやく自分が自由に声を出せる状態なのに気がついた。


「っ……ふっ……ちょっと、ちょっと待って」


「待てない。もうディアーヌは、僕の恋人なので。問題はないはずですよね?」


「ちょっ……待って。私、だって……一応貴族の娘なので……」


 結婚するまでは節度を持った付き合いが求められると、なんとか私たちの中にある消え入りそうな理性の炎を焚きつけようとした。決まった婚約者同士であれば、婚前交渉なども大目に見られる場合もあったりするだろうけど、付き合ったばかりだし。


「問題ありません。責任は取ります。僕では、ダメですか?」


 彼みたいな人に、そう乞われて理性を保てる人はとっても尊敬出来る。


「ランスロットって……すごく強引なのね。知らなかった」


 ムッとした表情を作って彼を見ると、その氷を思わせる瞳には何の感情も見えない。比較してはいけないのは、わかっているけど。何を考えているか、すぐに察することの出来るわかりやすいクレメントとは全然違う。


「ええ。こうして婚前交渉をしてしまえば、貴女は僕以外には嫁げなくなると、理解した上でそれをする外道です。嫌いになります?」


 本当は彼が声を掛けるはずだった一年前にクレメントと付き合い始めてしまった私と、やっとこうして付き合うこととなり、どうしても手放したくないと願う独占欲が垣間見える。


 それを、嬉しいか嫌かとすぐに白黒つけろと言われればそれは難しい。


 出来れば心の準備とか、いろいろ待って欲しかった。こうして、早く自分のものにしてしまいたいという早急さには、複雑な思いではある。けど、それだけ思い募るほどに私のことが、彼は私を好きだったんだと確信することも出来た。


 ギシッとベッドの上に上がる鈍い音がして、気がつけば彼は私の身体を閉じ込めるように腕を置いた。


 考えを纏めている間、そんなに長い時間ではなかったと思うんだけど。いつの間にか、ランスロットは服を着ていなくて鍛え上げられた筋肉質な身体が美しい。


 美々しい容姿の彼は、全身がこうして鑑賞に耐えうるほどに整っているんだと、妙に感心してしまった。


「ディアーヌ。やっと……君を抱ける」


 その掠れた声で発した願いが、ランスロットがいつの頃から抱いていたものだったのかなんて、私にはわからない。


 一年前の社交界デビューの時から、私に声を掛けようとしていたくらいだ。その前からも、きっとランスロットは私を知っていたはずなんだけど……彼のような人に、一目惚れされるような容姿ではないという自信だけはある。


「して欲しい?」


 彼は何を、とは聞かなかった。


 今までに一回も誰にも貰ったことなどないはずのものを、私は彼に求めているのに。本能の欲するものを与えてほしくて、何度も頷いた。


「言って。言葉で。僕が欲しいと、言ってください。君の唇で」

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