第10話「一転」
それから数日、平和に過ぎた。海は綺麗だし、新鮮な海鮮料理は美味しい。海の街での生活に、私はとても満足してる。
とある理由で結構な長い間部屋に籠っていたことを、この光溢れる場所で人生にある貴重な時間を無駄にした事を反省した。
これからは何かに落ち込んだとしたら、旅に出ることにする。旅先って、どんなに嫌な事があったとしても新しい驚きや刺激に溢れていて、嫌な事を占める割合はどんどんと小さくなり、世の中にはもっと良いことは沢山あると思えてしまう。
大昔から、傷心旅行って言うものね。こういう事かと、我が事で納得。
何かと忙しい立場の騎士ランスロットには、何と言っても王太子の護衛という大事な任務があり、ただのおまけである私と何かを話す時間はなかなか取れなかった。
私に甘いラウィーニアは、護衛はランスロットだけではないんだからコンタンス様に言えば良いって言ったんだけど、私はそれはなんか嫌だった。
何かを言えば簡単に通る、至上の存在であるからこそ私情が叶うのも程度があるかもしれない。だから、王となるのなら帝王学を学ばねばならないというのは、あるのかもしれない。私情を捨て公のため、自分の人生を捧げる。それは別に彼の選んだことでも何でもなく、ただそこに産まれたから。本当に、大変な立場だと思う。
「ディアーヌ！」
自分用に用意して貰った部屋にあるテラスでのんびりと寛いでいた私は、ラウィーニアの呼ぶ声に顔を上げた。
「ラウィーニア？ どうしたの？」
「せっかくだから、街に出ましょう。ほら、早く用意して」
ラウィーニアは、何を興奮しているのか頬を紅潮させてそう言った。旅先の宿屋と言うこともあり、一応は私も人に見られても大丈夫な状態ではあるけどと、首を傾げた。
勢いについていけない私がのろのろと立ち上がれば、急いだ様子の彼女は私がここに持って来たドレスが入ったクローゼットの中をためつすがめつ吟味しているようだった。すっきりとしたラインの深い青のデイドレスが気に入った様子の彼女は、それを持って私に差し出した。
「……何かあったの？」
押しに負けてそれを受け取りつつ、微妙な表情をすることは誤魔化せない。ラウィーニアはにっこりと笑って頷いた。
「大有りよ。コンスタンスの現在の護衛は、ランスロットなの」
「……いつも、そうではないの？」
尊い御身の彼には、最高の護衛が付くはず。王宮騎士団の筆頭騎士であるランスロットがここに来ているのは、そのためのはずだ。
「そうなんだけど……まあ、その辺は良いわ。せっかくの機会だから、コンスタンスが街も見てみたいから外出しようと言い始めたのよ。さあさあ、着替えて」
釈然としない思いのままで私は頷いて、彼女の言う通りにすることにした。
◇◆◇
私とラウィーニアが宿屋のロビーに降りれば、彼女が早く早くと急かした理由が理解出来た。人待ち顔の美男子二人。しかも、絶対私待ちだった。早く言って欲しかった。
美々しいコンスタンス様とランスロットがそこに二人並んでいるだけで、絶対にお忍びにはなり得ないような気もする。けれど、護衛の彼は王太子様の仰せには逆らえない立場なのだと思う。
それに、婚約者とちょっと街歩きをしてみたいと思っても、仰々しい護衛を引き連れていかねばならないコンスタンス様の気持ちを考えると切ない。
「ディアーヌ。ここ何日かなかなか会えなかったけれど、快適に過ごしていた？」
挨拶もそこそこに、我が国の王太子であるコンスタンス様は私に話し掛けた。後光が差しているのを感じるような彼を出来るだけ避けていた自覚のある私は、曖昧に笑う。別に彼が嫌いとかそういう訳でもない。割と好きな方。ラウィーニアとセットになると、独り者が傍に居るのが居た堪れなくなるだけ。彼は全く悪くない。
「こちらに連れて来て頂いて、ありがとうございます。気分転換になって、本当に快適に過ごせています」
「……いや。僕も美女に囲まれれば、やはり気分が良いからね。いつもは、難しい顔をした大臣と雲を掴むような政治の話だ。本当に、うんざりするよ」
コンスタンス様は肩を竦めて、彼の少し後ろの位置に控えていたランスロットに目配せをした。彼は仕事上の事を伝達していますとと言わんばかりに、淡々とした口調で言った。
「ディアーヌ嬢。本日の設定は、男女二組のお忍びのある貴族が街歩きをします。僕以外にも、護衛が数人が姿を隠して見えないように着いて来ますが。そのつもりで居て下さい」
「男女二組……」
それを聞いて、ぽかんとした。コンスタンス様とラウィーニアは、どう考えても恋人同士だ。今この時も、目と目で語り合っている。と言うことは、ランスロットの担当は私。
「そうよ。せっかく、ここまで旅行に来たんだもの。ゆっくりと楽しみましょう」
ラウィーニアは、コンスタンス様の腕を取りながら笑った。微笑み合う愛し合う二人。寂しい独身者には、目の毒でしかない。
これはどう考えても、色々とあった私のためだ。名目上は王太子の気まぐれとは言え、多分話したくても話せない私たち二人のためにコンスタンス様が気を使ってくれたのだと思う。
「どうぞ」
ランスロットは、私に手を差し出した。彼にはそれは、仕事の一環のはずだった。久しぶりに触れた指先は、やっぱり震えていた。これ以上ないくらいに平静な表情に見えるのに、やっぱり彼は緊張をしているのかもしれない。
それは、何かむず痒くなるような気持ちになった。
こんなにも素敵な人が、自分の事を好きなのだと思うと何だか不思議だった。そういえば、社交界デビューの時に彼は私に声をかけるつもりだったと言っていたから、見初めてくれたのなら、それより前になる。
私は彼と話をして、これからそれを知っていくつもりだった。
「ありがとうございます」
寄り添って先を行く二人に続き、私たちも宿屋の扉を出た。室内に慣れていた目には辛い。外には眩しい光が溢れていて、思わず手を翳した。
街歩きとは言っても護衛の都合もあるから、決められたルートを歩くことになるのだとランスロットは歩きつつ説明してくれた。
小さな子どもが歩く私たちの隣を、何人か笑いさざめきつつ飴のついた棒を持ったままで走って通り過ぎる。
ランスロットは、王太子の護衛だ。ラウィーニアは、彼が守るべき存在ではあるけれど最優先される対象ではない。
だから、私はその時に彼が咄嗟に取った行動について、間違ったなんて絶対に思わない。
子ども達が私たちの隣を通り過ぎたその瞬間、何かの魔法が発動したのは、何の心得も持っていない私にでもわかった。
ぶわっと昼日中の道に一気に溢れる、もやもやとしたどす黒いもの。ランスロットは動揺することなく冷静に素早く飛び上がり、先を歩いていた王太子殿下その人を庇うように動いた。
もし、彼やその他の誰もが思った通りに、狙いが王太子コンスタンス様だったなら、何かしらの対処出来ていたはずだ。それだけの厳しい訓練を受けていて、だからこそ彼は王宮騎士団の筆頭騎士だと呼ばれていた。
でも、そうではなかった。
狙いは彼の婚約者である、ラウィーニア。真っ直ぐに飛びかかり、彼女は悲鳴をあげて目を瞑り体を伏せた。
意表を突かれた形になったランスロットは、その黒い何かがラウィーニアを襲い掛かろうとしているのを見て、自分の身をもって庇った。吸い込まれるように黒いものは失くなり、彼はゆっくりと前へ倒れた。
ただその悲劇を見ていただけの私は、大きな悲鳴を上げたのかもしれない。ラウィーニアが、私を慌てて抱き締めたから。
ランスロットが倒れて、どこからともなく現れた数人に彼は運ばれた。そこから先は、実を言うとあまり覚えていない。
その後すぐにどうしようもなく、衝撃的なことが待っていたから。
「……申し訳ありません。貴女は誰ですか」
ベッドで体を起こした彼は、無事なことに喜んで涙を流す私に対し、まるで初対面の誰かのように接した。
思わず背筋が寒くなってしまうほどの、冷たい水色の視線を向けて。
「……嘘。なんで」
そう。あの妙なものが身体に入り込み倒れて、目を覚ましたランスロットは、何故か私の事だけを綺麗に忘れてしまった状態になっていたから。
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