第9話「砂浜」
婚約したてのお熱い二人と一緒の馬車に乗る勇気は、私にはなかった。独り者の疎外感しか、そこには存在しない。
美麗な容姿を持つ王太子のコンスタンス様は、当たり前のように礼儀正しく紳士的。初めて美形の王太子を遠目で見る訳ではなく、きちんと目を合わせて会話したけれど、彼は自己紹介を終えたと同時にとある部下の行いを詫びた。
別にコンスタンス様が悪い訳でもなんでもないんだけど、確かに彼の上司で監督責任が行き届かなかったと言えばそうなのかもしれない。名目上とは言え、代々の王太子が、主力である王宮騎士団の団長職に就いているはずだから。
少し話しただけなのに、現王太子が婚約者ラウィーニアを愛していることは、本当に良く分かりすぎるほどに分かった。彼女を愛する一人の従姉妹として、非常に喜ばしい限り。
コンスタンス様に、目的地まで二人と一緒の馬車に乗るかと誘われた。それを丁重にお断りして、私はいくつかの先頭を行く小さな馬車へと乗り込んだ。王太子なのでお忍びの遠出とは言え、目立たないようにしながらも厳重な警備が敷かれている。
馬車の中から小さな窓で外を覗き込めば、周囲を取り囲むように進む馬に乗った名が知られた騎士も何人か居たりした。
もちろん、その中の一人は私が指名した誰かも。
栗毛の馬に乗っているランスロットは、あちらが物語に出てくる主役の王子様ですよと誰かに紹介されても全然驚かない。むしろ、あの人が主役ではないとしたら、誰なの? となってしまう。同じ美形とは言え、王太子は熱愛中だし。王宮騎士団の灰色の騎士服も同系色の外套も、どこか冷たくも見えるほどに端正な顔を持つ彼に良く似合っていた。
彼の外見は、本当に素敵な騎士ではある。けどそれで、傷ついた私の過去の何もかもが消えてしまう訳でもない。
この前に聞いたラウィーニアの話からすれば、最初ランスロットが私に興味を持ち、それを知ったクレメントが先んじて嫌がらせで声を掛けた。別れた後のあの様子からしても、あのバカと付き合っている間も色々とランスロットは嫌味を言われていたんだと思う。あの時の私は確かに好きだったから。彼は何も、言い返せなかったんだろう。
その一年もの間。どんな事を、思っていたんだろう。
どんなに誘われても断る、誰とも踊らない氷の騎士。彼はそう、呼ばれていたはずだった。
◇◆◇
王都からそれほど距離が離れていない海辺の街の空気は、水分を含んで重たく湿っていて潮の香りがした。
私はこの街は初めて訪れたんだけど、早朝に出発して夕方には着いていた。ある従者の話を小耳に挟んだところ、警護上の問題で高級宿屋を貸切にしているらしい。毒見役も何人か。さすが王太子様。
一介の伯爵令嬢でしかない私は、完全に近い将来に王太子妃となるラウィーニアのおまけだ。近い場所だし特に警護を頼む必要もないかと考えて、一人で宿屋の前にある白い砂浜へと向かった。きっと部屋からは、美しい海が一望出来るんだと思う。
砂浜を歩くには向いていない踵の高い靴を履いたままでは、歩き難く重たい。靴を脱いで、裸足になれば海岸の白い砂はさくさくと良い音を立てた。
青い海の向こうには、小さな島がいくつか見えていた。
正式に婚約を済ませた二人は何日間かをこの街でゆっくりと過ごした後に、何もかもを決められた多忙な日常に戻ると言う訳。
私の自慢の従姉妹であるラウィーニアには、良いところが沢山ある。真っ直ぐな黒髪は美しくて目を引く美人だし、人が誰もが唸るようなお洒落なセンスを持っているし、何より抜群に頭が良い。でも、私が昔から一番凄いなと思っていたのは、どんな困難にも諦めない努力家なところだ。
彼女は初恋の王子様のために、来る日も来る日も勉強漬けだった。年の近い従姉妹だった私は、彼女の努力をずっと近くで見ていた。遊びたい盛りに、良く我慢して厳しい家庭教師の言う通りにしていたと思う。
頭の良い彼女は、幼い頃から理解をしていたから。自分達二人がお互いに好き同士なだけでは……血筋や容姿だけでは、彼の一存では自分を選べないと理解していたから。
誰もが彼女ならばと認め候補の中では一番の、完璧な公爵令嬢である必要があった。王妃を目指すと言うことは、そういうことだ。ただ寵愛されるだけでは、国を治める重責を背負うことになる彼の治世の助けにはならない。
そんな恋する彼女を見て、私もあんな素敵な恋が出来たらと思っていた。誰にも恥ずかしくない、きらめくような恋だ。
でも、今思い返せるのは憧れて破れて裏切られた、ひどい初恋。それしかない。
世間には、もっともっと辛い思いをしている人が居るなどというお為ごかしなど、なんの慰めにもならないことなど聞きたくない。その人は私ではないように、私はその人ではないから。
「……ディアーヌ嬢」
強い海風に攫われてしまいそうな声が、聞こえた。もちろん。私はその声の持ち主には、心当たりがあった。護衛に入れて欲しいと多忙なはずの彼をご指名したのは、私だから。
「ランスロット様」
銀色の髪が湿った風にたなびき、彼の整った顔に纏わりついた。いつ見ても、本当に羨ましいくらいに綺麗な顔。私に名前を呼ばれた彼は、距離を置いて佇んでいた。まるで、近寄るなと言われることを恐れているように。
「……手紙を読まれないのは、無理もないと理解してはいます。貴女には、何の言い訳も出来ないことをしました。傷つけて……」
「待ってください……今は、謝らないで。まだ許したくないから。それより、話がしたいんです」
落ち着いた口調でそう言えば彼は、首を傾げた。私があそこまで落ち込んだ原因の、原因を作ったのは彼だ。この場で激しく罵倒されても、おかしくはないと思っていたのかもしれない。
「話?」
「そう。二人の争い……というか、私の見たところだと、クレメントが自分勝手に貴方をライバル視しているみたいですけど。それに巻き込まれた者の権利として知りたいです……ランスロット様は、私が社交界デビューした夜会に、遅刻しました?」
「……はい」
ランスロットは、目を逸らしわかりやすく項垂れた。どうやら、聡明なラウィーニアが睨んだ通りの展開だったようだ。
「あの時に、私に声を掛けようとした?」
「そうです。本当に迂闊でした。騎士団の詰所でボールドウィンではない、同僚と貴女のことを話しました。今夜、夜会でやっと声を掛けられると」
「それを盗み聞きしたあの人が、私に声を掛けた。でも、私にすぐに教えてくれれば……」
「……本当にすみません。あの会場で二人で一緒に居るのを見た衝撃が強くて、気がつけば二人は完全に付き合っていました。それからは、知っての通りかと……」
失恋した時の衝撃は、この前経験したばかりの私は生々しく思い返せるほどに理解していた。その衝撃を受けて気がつけば時間が過ぎ去っていたと言うのも、理解出来る。
「私は、あの事を絶対に納得はしません」
「その気持ちは、理解出来ます。もう僕も……」
「でも、ランスロット様の辛かった気持ちがわからないとは、とても言えない……私は、今も怒っては居るんですけど」
「……はい」
「ランスロット様の事をもっと知りたいとは、思います。貴方が、私とクレメントが付き合っていた間。貴方が誰とも、踊らなかった理由も」
風と波の音しか聞こえない沈黙がその場に降りて、彼は氷を思わせる色の目で私をじっと見つめている。
近い立場にある彼らの間で、あっさりと乗り換えたと思う人が居ればそう言えば良い。もうベッドでただ丸まっている間に、名前も知らない誰かから、非難を受ける覚悟は出来た。
恋愛は、きっと誰かを傷つける。誰かの恋が実れば、誰かの恋は破れる。誰もが納得出来る結末など、絶対に存在しない。
だとしたら私だって、これほどにまで一途に思い続けてくれた人に、世間体みたいなくだらない理由で何も応えないという訳にはいかない。二度目の恋になるか、ならないか。それは、わからない。
初めての恋ほどには、純粋になれない。でも、彼のことは知りたい。
揺れる気持ちに、決着をつけたかった。
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