第六話 「すごい人だな、君は」

 俺や紅葉が通っている高校、『甘城高校』では毎年六月頃に『甘雨祭あまさめさい』と呼ばれる祭りが行われる。

 高校で行われる祭りといえば、文化祭や体育祭が挙げられるが、甘雨祭はそれらに属さない。

 甘雨祭が行われる日というは、他の高校での学校創立記念日に当たる。

 つまり甘雨祭は言わば創立祭ということなのである。

 ここで重要なのは、甘雨祭では生徒主導では祭が仕切られないということである。

 甘雨祭の企画の運営などをするのは主に先生方であり、生徒たちは基本的に関与しない。

 あくまでも客側として楽しむのである。

 ————そのはずなのだが、一つだけ例外がある。


「三週間後の甘雨祭に向けて、申し訳ないがこのクラスからも実行委員を男女一名ずつ選出する必要がある。甘雨祭のメインイベントなのでな。その任を与えられたものはしっかりと業務を行ってくれ」


 教卓の前で、紫先生は腕を組みながらそんなことを言った。

 ———そう、甘雨祭では一つだけ、生徒が関与しなければならない仕事がある。

 それが、甘雨祭にて行われる『ミス・アマキ』の実行委員会である。

 甘雨祭で行われるイベントは毎年決めるものであるが、行われること自体はマンネリ化してきているらしく、ほぼほぼ決まっている。

 学年の先生が学年ごとに出す露店。そして甘雨祭の夜に行われるメインイベント『ミス・アマキ』である。

『ミス・アマキ』とは、その名の通り各クラスごとから一人ずつ女子を選考し、その夜に行われるファッションショーのようなものに出演させて、全校生徒の投票でその中から一番美人な『ミス・アマキ』を決めるというもの。

 ちなみにミスがあるならミスターはないのかという話だが、『ミスター・アマキ』は文化祭の方で行われるらしい。

 まあ俺には無関係な話ではあるが。

 そして今現在、俺たちのクラスでは『ミス・アマキ』の実行委員決めが行われている真っ定中であった。


「それじゃあ、立候補してくれるものは黒板まで名前を書きに来てくれ」


 ぶっきらぼうにそんなことを言う紫先生。

 案の定誰も行こうとはしない。もちろん、俺は行くつもりもない。

 変なところでは目立ちたくはないのだ。せっかくクラスの上位層から抜け出せたのに、ここで立候補してしまっては元も子もない。

 そしてそう考えているのは同級生達も一緒のようだった。

 まあ、正確には彼らはただやりたくないだけだろう。

 そしてやりたかったとしても、この状況ではなかなか難しい。

 現代社会の縮図といっても相違ない学校の人クラスでは、人間社会での人間の姿が悲しいほどに浮き彫りになる。

 例えば今。この状況。

 現代の日本人はマジョリティーであろうとする。

 例えば授業中、どれが正しいと思うものに手をあげろと言われたとき。

 例えば何か道徳的な演説をされて、それの感想文を書けと言われたとき。

 人は一番手のあがっている時に一緒に手をあげるし、人は多数の人が書く無難な感想を書くだろう。

 今の状況はそれと同じなのである。

 おそらく多数はただやりたくないと言うだけなのだろうが、しかしやりたいと思ったとて多数派であろうとするために行こうとはしない。

 たかがこれだけのことで自分の印象が変わるわけでもなかろう、それでも人は動こうとはしないのだ。

 ———しかし。

 しかし人々が出る杭とならないようにと息を潜めている頃、自ら杭となった勇士が一人。


「誰もやらないのなら、私がやります」


 一人、彼女は手をあげた。


月見山やまなし。やってくれるのか」

「はい。誰もやらないのなら、私がやります」


 凛々しい声で、彼女はそう言った。

 名前は確か———月見山やまなし橙里とうり。珍しい苗字だったのでよく覚えている。

 授業中に積極的に発言している優等生と呼べる立ち位置だろうか。

 まっすぐな黒髪をストレートに伸ばして、ピンと立った背筋で彼女は黒板に自身の名前を書きに出向いた。

 さて、あとは男子一名。

 当然ながら誰も手をあげようとはしない。

 そんな中でも、橙里は表情を変えずに黒板の前に立っていた。

 清々しいほどに堂々とした振る舞いは尊敬できる。俺には到底できないことだ。


「誰もやろうとしないのなら、私の方で決めてしまうが、大丈夫だな」


 紫先生がそう言うが、誰も否定しない。

 しかし肯定もしなかった。

 ———どうでも良いのだ。

 誰もが他人事で、自分に役が回ることなどないと信じきっている。

 それは誰もがそうで、俺もそうだった。


「それじゃあ———そうだな。芥生にやってもらおう」


 ……どうやらこのクラスには芥生という人間がもう一人いるようだ。

 まだ下の名前は呼ばれていないはずなので、俺であるとは確定していないのだ。


「…………はぁ」


 黒板に書かれた月見山橙里という字の隣に書かれた芥生碧唯という文字に、俺は大きくため息をついた。


 ×××


 接してみたところ、月見山橙里という人物はどうやら気難しい人物のようだ。

 容姿は恐らくいい方ではあると思うが、しかし何か人を寄せ付けないオーラのようなものを放っている。

 委員を押し付けられたホームルームののち、早速俺たちは委員会に駆り出されることとなった。全くもって面倒くさいことこの上ない。この上あったら教えて欲しいまである。

 そもそも『教師主導』というスタンスのはずなのに、こうして生徒が駆り出されること自体意味不明なのだ。

 それに『ミス・アマキ』は甘雨祭のメインイベント。これを生徒に委ねるということはほぼほぼ甘雨祭を生徒に委ねることと変わらないのだから本末転倒のはずなのだ。

 しかし教師たちはそれを許容する。恐らく自身の都合のいいように捉えているのだ。誠に遺憾なことこの上ない。この上あったら教えて欲しいまである。

 閑話休題。

 今話しているのは、そう、月見山橙里という人物像について。

 今、俺と橙里は教室から委員会の行われる視聴覚室まで向かっている最中である。俺たちの教室から、視聴覚室まではめちゃくちゃ遠いというわけではないが、しかし近いというわけでもない。なのでずっと黙って二人で歩いていても少し気まずくなってしまう。


「あー、俺、芥生碧唯っていうんだ……よろしく」

「あなたの名前は知っているわ。さっき聞いたし」

「そ、そうか……」


 簡単な自己紹介でお茶を濁してみるが、しかし返答は最低限のものだった。

 先ほどからこの調子である。俺が何か言っては彼女は最低限の返しをするだけ。まるで「あなたに割く労力なんてない」とでも言いたげである。

 何か話題を探そうとするが、俺も話し上手というわけでもないため何も浮かばない。少し先を歩く彼女との距離は変わらないまま、俺は少し後ろをついて行ってるだけである。

 そんなことを考えていると、彼女は急に立ち止まり、こちらを向いた。


「無理に話しかけようとしなくてもいいわ」

「そ、そうか…」

「だって私はあなたと話し込むつもりはないもの」

「あ、そう……」


 月見山橙里。容姿端麗、頭脳明晰。なるほど、紅葉とよく似た属性を持っている。

 しかし彼女とは———紅葉とは全く違う。

 仲良くしたくてもできない者と、仲良くしようとしていない者。

 同じ区分であるはずなのに、しかし彼女らは面白いほどに対極で、対角だった。

 だから思わず、呟いた。


「すごい人だな、君は」

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