第3話 「まずはその外見から、直そうか」

「…………………」

「…………………」


 リビングとは場所を変えてここは紅葉の部屋。

 そこで俺と紅葉は黙り込む。


「…………………」

「…………………」


 依然、両者共に口を開こうとはしない。

 湿っぽい空気が俺と紅葉の肌をねっとりと撫でる。生ぬるい空気は俺たちに梅雨の訪れを感じさせた。

 彼女の部屋は女の子らしい部屋———というわけでもなく、むしろ殺風景とも言えた。

 勉強机にベッド、部屋の真ん中に小さな机が置いてあって、床に座布団。そしてクローゼット。それだけ。

 俺の部屋の方がもう少しありそうだった。まあ、俺の部屋の場合もの以外にもゴミとかもあるが。

 あの衝撃の告白があってからはや三十分が経とうとしている。あの後、神速の如き茜が自室から降りてきて、質問ぜめを受けた。少し、というかかなり厄介ではあったけどああなるのも仕方はない気がする。

 俺にも姉がいるが、もし俺の姉が、紅葉のようなことをしでかしたら同じような反応をするだろう。

 なんとかごまかして、なぜか俺と紅葉は紅葉の部屋で同じ空間を共有している。

 女子の部屋に入ったことは初めてではないが、しかし初対面の女性———しかも同級生の部屋に出会って三十分でルームインすることになるとは全く思わなかった。ここまで怒涛すぎるだろ。ルームインの展開の速さが、なんとか区切りのいいところで終わらせようとしてワンクール分に匹敵する内容を十二話に詰め込むワンクールアニメくらい速い。


「…………」

「…………」


 相変わらず、俺たちは二人とも黙っている。もしかして俺たちの喉は潰れてるんだろうか。

 というか生きてるんだろうか、俺たち。息の音すら聞こえない。

 流石にそろそろ口を開こうかと思った、その時だった。


「「あの——————あ」」


 話しかけようとするタイミングだけでなくそれに気づいて声を漏らすことさえ被った。

 先に彼女の話を聞こうと、俺はどうぞと手でサインした。


「その、すみませんでした……」

「いや、大丈夫なんですけど……」


 嘘である。大丈夫ではない。心臓ばくばくである。


「あれはその、言葉の綾というか、そんな感じで……」

「そうなんですよね、知ってました(?)」


 嘘である。知らないし、そうなんですねでもない。俺は適当に答えただけである。


「そ、そうです!私あの芥生くんみたいになりたくて、その高校生活エンジョイ?みたいなのしたくて、それで多分芥生くんと同じ土俵に立ちたいみたいなことを言おうとしたんですけど、考えてたらよくわかんなくなっちゃってあんな言い方になっちゃったみたいな……」

「な、なるほど」


 早口にそういう紅葉。

 正直どう迷子になれば「俺の彼女になりたい」に行き着くのか甚だ不明だが、とりあえず俺は相槌を打つことにした。

 しかしその後また話を続ける様子はない。

 彼女はあわあわしている。何を言いたいのか考えているのだろうか。

 ———正直、彼女が何を言いたいのか、嫌、何を俺に頼みたいのかはなんとなく察しがついた。

 要は高校デビューを手伝って欲しいのだろう。

 一回も学校に来ていない彼女がどうやって俺がリア充であることを———いや、リア充だったということを知ったのかは不明だが、要は彼女は自分をリア充という上層に引き上げて欲しいのだろう。賢明である。上層階級に行きたいのなら、頑張るのではなく、引き上げてもらうのが一番楽なんだろう。実際俺もそうしてあの場所に行き着いた。

 けれど。けれど今回は頼む相手が悪かった。

 俺じゃなければ、きっと。

 俺じゃなくて、例えば儚とか、例えば庵治とか、あいつらだったらきっと、できたことだろう。

 けれど、生憎俺はもう、上層階級の民ではない。

 中層———下手したら下層まである。

 だから、俺は手短に用件だけ済ませることにした。


「そういうことなら、わかった。頑張ってくれ。それで俺の要件だが、これを渡しに来たんだ」


 そういって、カバンからファイルを取り出し、机の上に置いた。


「それだけだ。じゃ、俺は帰るな」


 座布団から腰を上げ、部屋から出ようとした、その時だった。


「……あの」


 呼び止められる。その声はこの家の前に後ろから声を書けられたときの、鈴のような声だった。

 先ほどのような、感情に任せたような声ではなく。

 あくまで冷静で、静かに、けれど通る声で。

 俯いたままで彼女は続けた。


「私、憧れてる人がいるんです」

「…………」

「色々あって、困ってる時に助けてくれた、あの人。あの人みたいに、優しくて、誰でもすぐに助けられるような、そういう人になりたいんです。これはそのための一歩だと思ってて————」


 一息ついて、次はしっかりと俺の目を射抜いて。

 それは、かの妹のような威厳に満ちた目とは違う———強い決心で。


「だから、どうか、私を連れて行ってくれませんか。芥生くんと同じ場所に」


 ああ、きれいだ。

 きれいだと、そう思った。

 もしかしたら———いや、俺はきっと、先ほどまで彼女を自分と重ね合わせて見ていたんだ。

 だから、変わらないって。

 変えられないって。

 そう思っていた。

 けれど、彼女は———彼女は俺なんかとは一切が違った。

 きれいだった。

 その澄んだ瞳は、俺にはないもので、なかったものだ。

 彼女なら、もしかしたら変われるのではないだろうかと、そう思った。


「———無理だ。俺は君をあの場所には連れていけない」

「———そう、ですか」

「けれど」

「?」

「けれど君を、その場所に導くことならできる。その場所を教えるくらいなら———できるかもしれない」

「!」


 シュンとした顔から打って変わって、彼女の顔はパァッと明るくなった。


「本当……ですか!」

「ああ。その代わり、と言っちゃなんだが」

「?」

「君の高校デビューを手伝う上で、条件がある」

「はい」


 ちょこんと正座をして、俺の言葉を待つ彼女。


「まず、俺の言うことは基本的に聞くこと。何か理由があるならそれを教えてくれ」

「はい」

「あと———これが、一番重要だが」

「……?」

「学校に行った時。絶対に俺とは他人のふりをしろ」

「それは………、どうしてですか?」

「まあ、俺の都合というか、そんなところだ」

「………わかりました。芥生くんがそういうのなら、そうします」


 これには俺個人の都合、というのもあるが単純に俺と一緒にいればあいつら———ついては上位層のやつらと絡みづらいから、というのもある。


「それじゃあ早速———」

「!」

「まずはその外見から、直そうか」

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