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 『禁域』


 それは、王とその後継ぎしか知らない特別な場所である。城から外れ、森の奥に王が管理する特別な一帯がある。水が湧き、花々が咲く。動物たちも多く住むのどかなところだが、許可のない人間は入れない。


 この国では禁域で王が執り行う儀式があった。王と認められた世継ぎのみその全容を知ることができ、そして遂行する義務があるのだ。儀式には護衛を連れてゆくことも許されておらず、側近でも詳細は知ることは出来ない。

 しかし、アウローラは幼いころ、立太子前から禁域への出入りを無条件に許されており、父王に連れられ聖域での儀式を共に行っていた。むしろ、率先してやらされていた、と言った方が正しい。

 なぜなのか父王は教えてくれなかったが、その秘密はこのまま知れそうにもないことは今更ながらに悔やまれた。いつから誰がどのようにその場所を作ったのかなぜそんなものがあるのか、アウローラは知らされていない。いや、正しくは、成人の儀の後、知らされるはずであった。


 アウローラはこの年、クナウストで言うところの成人年齢17歳になる。すでに立太子は済んでいるが、成人の儀と共に正式な世継ぎとしてお披露目されることになっていた。本来であれば王配となる相手も定めるべきだが、アウローラの意志により婚約者はいない。いずれはと考えていたものの、ラスタ王は娘の意志を尊重していた。今更詮のないことだが、いっそ誰でも良いから婚約者が定められていた方が良かったのかもしれない。


「その先で左へ」

「了解」


 今度はヴェルナーの馬に乗り、共に先へ進む。

 道を迂回するように中へ、方向から考えると今来た方へと戻っている。乱立する木々は次第に手入れされ間引かれたものへ景色が変わってゆく。

 

「禁域はわかるだろう?」

「ああ、そりゃ手入れを手伝うこともあるからわかるが……だが、戻ってどうする? 国を抜けなきゃ意味がない」

「禁域の奥に隠された通路がある。いや、通路と表現するのが正しいかわからない……とにかく、そこを抜けて進むんだ」

「それが聖域?」

「――そう。父や私が儀式を行っていたことは知っているだろう?」

「勿論だ」

 

 国の安寧と発展を祈願するため、祈りを捧げるのだと聞いている。

 だが、それを知るのは城の中の一部の者だけだ。禁足地があり、王がその場所を管理していることしかそれ以外の者たちも国民も知らない。儀式という行為があること自体が、秘匿されていたからだ。

 

「禁域はあくまで立ち入りが許されない場所というだけ。それは、その奥にある聖域を隠すためだ。王族の行う儀式はその聖域で行われる。お前たちは禁域に立ち入ったことはあっても、聖域については一切知らされていないだろう」


 聖域を空から見つけることもできない。木々に覆われ、一見してそこに何があるのか見えない。

 たとえばノアのように飛行能力を持つ獣人が禁域の上を飛んだとして、禁域のすべてを把握することも、聖域の存在を目視で確認することも不可能なのだ。

 

「その聖域に行ってどうする? その後は」

「……聖域には聖壇せいだんのある小祠しょうしがある。そこに、どこかへと続く通路があるという。私も行ったことがないからわからないが、このまま闇雲に森を抜けようとするよりも、余程可能性があると思う。それに、聖域の中なら馬も人も少しは休める」

「わかった。とにかく、そこへ行って話そう」


 その言葉へは頷くだけで応じ、このまま進むように促す。多くの説明も求めずついてくる彼らに、アウローラは黙ったままただ頭を垂れるしかなかった。

 そっと馬の首に触れる。艶のある毛並みが汗ばんで、水蒸気が上がる。汗は白く粟立っていて、馬ももそろそろ限界だろう。できれば早く水を飲ませてやりたい。先々を考えれば、馬を失いたくないのが本音だった。殺されるのも、殺すのも惜しい。それに、いよいよとなれば非常食にもなり得る。できることなら避けたいことには違いないが。


「それにしても姫さん良いのか? 俺たちに教えても」

「こんな時に秘密も何もない、死ねば無意味だ。知る者はもう、私しかいないしな」

「ははっ、違いねぇや」


 アウローラの竹を割った答えにヴェルナーが笑う。それを見たマキアが、ユリウスの肩越しに我慢ならないと堪らず声を上げた。

 

「ヴェルナー、貴方は臣下、不謹慎よ。というか、いい加減その馴れ馴れしい態度を改めたらどう」

「うるさい、俺はこいつの兄貴みたなもんなんだ。妹に敬語なんて気色悪いだろうが」

「なんてことを」

「俺はこいつのオシメも替えたし、池に落ちて溺れかけたのを助けて、しかもびしょびしょになった洋服を着替えさせたんだぞ」

「な……っ」

「ヴェルナー、その話は二度としないでと何度も言ったでしょう!」


 忌々しく睨み上げられ、ヴェルナーはわざとらしく肩を竦めて見せた。普通であれば王女の着替えをヴェルナーが行うことなどどう考えても許されないことだが、王城内はそれほどに近しく、親しく過ごせる場所だったのだ。

 臣下の子として王城への出入りを許され、アウローラのお守り役だったヴェルナーには、王女というよりも手のかかる生意気な妹という感覚の方がしっくりくる。

 元々、王太子として振る舞う時と私人として過ごしている時、口調を使い分けるのはアウローラの癖だ。

クナウスト国には王女と年の離れた幼い王子しかおらず、王妃は王子の出産と引き換えに、産後そのまま息を引き取った。王妃の死後は後添えも側室も持たなかったため、使用人やヴェルナーのように年の近い子供と共に過ごしたせいで誰にでも気安い。

 その上、忙しい父王の代わりに騎士たちに揉まれて育ったせいもあってか、女だからと舐められたくないと、ぶっきらぼうな男口調で話すのだ。反面、弟のトゥーラと話す時などは甘ったるいほどに可愛らしく、その差に時々周囲が混乱するくらいであった。

 

「二人共、その辺にしておけ。エーギル総長を見ろ」


 ユリウスの声に後ろを走るエーギルの姿を覗き見て、ヴェルナーとマキアはそれから無駄口をきくのを止めた。

 エーギルの家は代々王の傍に仕える家系で、その忠義の厚さと強さは国内随一と言われるほどだ。何より、血の気の多い荒くれ者たちを取りまとめる騎士団長でもある。


 今はこんなことを話している場合でもないのはわかっているが、正常性バイアスとでも言えば良いのだろうか。他愛ない話をして気持ちを落ち着けたかったし、腕の中で哀惜に震えながら気丈に振る舞う可愛い妹の、痛む心を少しでも柔らかくしてあげたかった。できることなら、平和な頃に時間を巻き戻してやりたい。幸せに包まれ、大人の女性へと成長してゆくのを見守りたかった。輝かしい未来を、守ってやりたかった。

 ヴェルナーはもう叶わない願いを口に出せないまま、黙って呑み込んだ。

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