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 そもそも、どうやってあの蛮族たちは山を越えられたのだろう。


 悪名高い『鉱山の国メルキース』とは、険しい山々と崖を隔てて隣合う。メルキースは我らが『クナウスト国』とは非常に危うい均衡を保ちながらも、過去の戦で結ばれた協定の元、こちらにはあまり得のない、一方的な利害関係を保ってきた。

 メルキースの国土は非常に狭く、下へと潜るしかない。特出した産業もなかった彼らは唯一の鉱山を活用し、武器や石炭などを産出していた。クナウストはそれらを非常に友好的な価格で買い取るなどして交易し彼らを支えていたのだ。

 ごく稀にとれる鉱石は魔精石となる希少なものもあって、それらは少ないながらも貿易の要となっていた。そんな国で生まれ育つ彼らは男も女も屈強だが卑屈で自尊心が無駄に高く、良くも悪くもタフな戦士であることは有名だった。

 そもそも、なぜそんな辺境の地で国を拓かねばならなかったのか、それはこの世界の成り立ちにも関りがある。彼らがならず者の集団、蛮族とひそかに呼ばれる所以ゆえんでもあるのだ。

 

「わかってる。カイセイ国に抜ける街道は無理だろうが、こっちは地元民しか知らない獣道みてぇなもんだから、まだ気づいていないだろう。街道を普通に進んでも、あっちの先は河を越えなくちゃいけないからな」


 街道を通じて隣り合うカイセイ国とは友好な関係ではある。

 だが、おそらく国境付近は待ち伏せをされているだろう。状況が分からないだけに、かの国が手のひらを返さないともしれない。

 その街道に交わる別の道を進むと、大陸の終わり、星河にぶつかる。馬で星河を超えることはできない。水の流れる川や水路とは違い、大陸を遮る河を超えるには『星渡り《ほしわたり》の民』がいなくてはならない。手を借りるにはそれなりの手順が必要で、今すぐに渡りたいから渡してくれという訳にはいかない。


 この世界は、そう造られている。


  『烏木うぼくの大陸』

  『薄暮はくぼの大陸』

  『白陵はくりょうの大陸』

  『緑苑りょくえんの大陸』

 この4つの大陸にはクナウストのように多数の国々があり、

  『神々の国エデン』

  『精霊使いの国アント』

 2つの大陸は、アントとエデンのためだけに存在する。


 これらの大陸と、大陸に付随する小さな島々が上下左右に連なっている。大陸間をつなぐのは星の海、星の河だ。

 星河を渡るには星渡りの民の力を借りねばならず、その星渡りの民はどこの国にも属さない流浪の民族であるが、これが大陸間での無用な争いを生まずに済んでいる理由の一つでもある。

 この世界はそうやって均衡を保ちながら、神々の恩寵を受け、争いを避けて今日まで続いてきたのだ。

 

「フィロはどうなったのか……」


 ヴェルナーは、同じく十剣として名を連ねる同僚のフィロを思った。フィロは、メルキースの皇子の要請によってメルキースを訪れていた。今思えば、それも何かの布石であったのだろう。

 だが、なぜ?

 彼一人を国から引き離したところで戦力が大きく落ちるというほどではない。それならば、突出した能力のあるマキアやエーギルを奪われた方が、余程ダメージがある。

 

 本当に神々がいるのなら、どうしてこんなことが許されるのか。ヴェルナーは前を見据えたままいらだちを募らせ悪態を吐くと、辺りへと視線を走らせた。マキアの術が上手く働いたのか幸いにも付近に追手の気配はまだないが、用意周到に準備されていたことを考えれば、親切に逃げ道など残してくれているはずもない。

 城都を攻め落とされてしまえば小さな国の街道整備は範囲も限られていて、隣国へも抜けられず、河も渡れない。粗野なだけかと思っていたが、悪知恵が働くのだから厄介だ。

 メルキースの兵士も国としての在り方も相容れないと思うことは多々あったが、まさかこんな大それたことをやってのけるとは思っていなかったのは、こちらが甘かったのだろうか。しかし、メルキースはクナウスト以上に国土も資源も限られているし、当然、人口も少ないのだから兵士の数がそもそも少ないはずだ。

 

「それがまた、厄介か……」

 

 少数精鋭、そして決断までのスピードは当然速くなる。力任せに来られれば、一瞬の躊躇いが勝敗を決することもある。あの国の兵士は、獰猛で気性が激しいことも有名であった。そう、彼らには自分たちとは異なり悪い意味で躊躇いがないのだ。

 こちらに王女という大義名分がある以上、城から離れた街に一旦引くという手も考えはしたが、高台から見た煙の数や報告を考えると街はすでに陥落しているだろう。もしも砦を手に入れたとしても、籠城できる環境でもなければ、万が一アウローラに何かあれば全てが終わりだ。小さな集落はうまくいけば難を逃れられたかもしれないが、自分たちが向かえばきっとそこへも敵が雪崩れ込んでくるに違いない。

 果たして、こんな大掛かりなことをメルキースだけで成し遂げられるものなのか。

 何が十剣か。いざ有事となってできることなど何もないではないか。

 ヴェルナーはこんなにも自分が無力であると知って、いっそ敵の群れへ無茶苦茶に斬り込んで行って果ててしまえた方がどんなに楽だろうかと思った。引き結んだ唇を、強く噛み締めた。口の中は苦々しい血の味がした。


 

 息遣いと足音だけが響くような重苦しい空気の中、彼らは森を進む。

 草木が茂る狭い道では2頭が並走するのも難しく、もしも矢が飛んできても盾になるものは何もない。エーギルは再び、アウローラを抱く腕に強く力を込める。いざとなれば、自分が盾になるつもりで。

 

「…………」


 手綱を握るエーギルの表情は厳しく、体中が緊張に張りつめている。弓矢を放つその瞬間の、弦のように。国内随一と謳われるエーギルの本気をこれほど間近で感じ、張り詰めた彼らから漂う殺気に肌が粟立ってしまう。

 思うように走れない馬たちの、息遣いが荒い。

 この最中にあって、一体幾人が逃げおおせたのだろう?

 城下の街はどうなっただろうか。

 その他の街は? 戻ってできることがあるのではないのか。

 

 ――死なないで、生きていて。


 自分のために失われる命を抱き留めたくて、アウローラは祈るように胸を掻き抱く。

 これ以上、失いたくない。一人でも多く生き延びてほしかった。

 たかが自分一人のために犠牲になる命の多さに、民のために在れとのたまった自らが民を見捨てる不甲斐なさに、どう詫びたら良いのかわからない。

 たった一人でも、生きているのなら共に立ち向かうべきだったのではないか。

 共に、滅びるべきだったのではないのか。

 ヴェルナーたちが何処を目指して馬を走らせているのか、このまま進んで本当に良いのかわからない。彼らの言う通り生き延びたとして、一体、自分に何ができるのか。

 戻りたい、後ろ髪引かれる思いを必死に飲み込む。すべて投げ出したくなる心を、この広い胸に泣いて縋りたくなる甘えを捨てて、ひたすらに奮い立たせる。わかっている。皆の無念を、彼らの忠心を、見捨ててはならないのだと。

 今の自分にできることを。

 一人でも多く、助かる道を示さねばならない。

 父を想い、弟を想う。亡き母の面影を追い、かの国を想う。背中を押した手、抱き上げられた腕、肩にかけられた、争いに汚れたペリースの重みを。

 

 ――私はきっと、彼らの無念を晴らすために生かされた……。

 

「エーギル、このままでは馬が潰れてしまう。他の馬に移動するから一度速度を緩めて」

「なりません。追手が迫っていたら危険です」

「だが、馬が潰れては元も子もない。予備の馬はいないのだろう」

「その時はヴェルナーと共に行ってください」

「お前は」

「私一人くらい、どうとでもなります」


 エーギルの言葉に、アウローラの中に怒りが込み上げた。これ以上、誰からも、何も奪われるつもりはない。

 

「許さない。これ以上誰一人とて欠けることは、私の意に反すると思え……!」


 低く抑え込まれた鋭い声に、エーギルは驚き、息を呑んだ。

 少女が、これまでとは異なる別の何かになったのだと肌で感じる。意思を感じさせる声が、ラスタ王を思い起こさせるのだ。

 ラスタ王、アウローラの父。我が忠誠を捧げたクナウスト王。一生、側に仕え支えると、未来を信じて疑わなかった。彼が王になると覚悟を決めたその時、自分も彼と共に国のために生きるのだと誓った。

 あの瞬間に震えた心を、一生忘れることはないと。

 だから、少女が甘えを捨てて自らの宿命を受け入れたのだとわかった。

 王女ではなく王として。

 臣下たちの主として。

 凛とした声の奥に、課せられた責務への覚悟と更なる強い意志を覗かせている。

 その瞳が苛烈に輝いて、エーギルは吸い込まれるように見つめた。

 

(ラスタよ、我が友よ。私は再び君と国に誓おう。例え浅ましくとも生き永らえ、この手で君の大切な宝を守ることを)


 まだ今は、側へ行けないことを許してほしい。そしてどうか、この愛し子の未来が歪められることがないように、導いてくれと願わずにはおれない。

 アウローラの言葉に、エーギルは湧き上がる思いを押し殺して頷いた。

 

「――御意」

「この先で一旦、速度を緩めなさい」


 彼らは諦めて手綱を引くと、馬たちの速度を落とす。

 確かに、馬の息は予想していたよりも早く荒い。マキアを乗せたユリウスの馬も同様だった。安全かどうかもわからない道を進む乗り手の不安は、馬たちを更に疲弊させているのだろう。首筋を撫でて労わってやると、馬が甘えるようにいななく。

 

「ヴェルナー、この先の浅瀬に向かっているのか?」

「ああ……いえ、はい」

「そちらではない。……心当たりがある。案内するからそちらに乗せろ」

「心当たり?」

「王と王太子しか知らない場所だ。禁域の奥、秘された聖域だからな」

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