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「何ごちゃごちゃやってんだ! エーギル、早く姫さん連れて来い!! 気付かれたらすぐに追い付かれるぞ!」


 男をエーギルと呼んだ青年騎士は、複数の騎士たちと共に馬を連れていた。無傷な者など一人もおらず、誰もが怒りと焦燥を瞳に宿し、言葉少なに自らの役割を全うしていた。それでも生気に溢れる闊達そうな顔をしている青年騎士は、興奮する馬をいなしながら再び、早くしろ、と彼らを急かす。


「私は残る。お前たちだけで行きなさい!」


 少女の言葉に瞬間、彼の瞳に悲哀と、隠せない怒気を宿した。


「いい加減にしろ! お前にまで死なれたら、もう何の意味もなくなるんだよ! こんな時くらい言う事を聞け! 生き残った者たちを、民たちの無念を、お前は全てを捨てるつもりなのか!?」


 混乱に乗じて厩舎から連れ出した空馬は5頭。その男――ヴェルナーはすでに騎乗し、その周りを固めた徒歩の騎士たちが周囲を伺っている。

 エーギルはヴェルナーへ頷いて、拒むアウローラを抱きかかえ走り出した。異常を感じた馬たちの息は荒々しく、今にも走り出そうとするのをなだめながらヴェルナーは騎士から受け取った馬の手綱をエーギルへ手渡すと、エーギルはいななく馬の鐙に強引に足をかけ、少女を抱えたまま騎乗する。


「ぐぁっ」


 遠く喘ぐ声に驚き体をよじって視線を向けると、折れた羽をはためかせながら弓柄を握った男が遠くを見つめているのが見える。どこか遠くで、重い何かが倒れる音がした。


「ノア、お前の羽が」


 濡羽色をしたノアの羽は小翼羽の辺りで曲がり、傷口は裂けているようだった。

 ノアは、鳥人族に生まれた獣人だ。獣人は一様に気配や音の察知能力に優れ、兵団などでは特に重宝される。

 その昔、異界から落ちてきたマレビトが獣たちと交わり、獣人が生まれたと言われている。その中で鳥人族は大小あれど、皆、美しい羽を持っていた。ノアはそんなことはどうでも良いと、身に着けていたペリースを外し、アウローラをくるむ。


「姫様、お早く。足音が向かってくる。マキア、どうにかして時間を稼ぐんだ」

「……ええ」


 痛むであろう羽にも厭わず、手にした弓を肩口に回し従騎士から手渡された槍を構える。

 マキアと呼ばれた女は何かを呟くと、地面へ口付けをするように屈みこんだ。すると、地面が淡い燐光を放つ。今度は何もない空間へ指先で何かを描くと、祈りを捧げた。


「全員分の馬はない。俺とエーギル、ユリウスの馬がかろうじて、だが、逃がせるだけは逃がした。うまくいけば他の奴らも脱出できるだろう。マキア、ノア、お前たちも乗れ! ユリウス、マキアを頼むぞ!」

「ああ」


 ヴェルナーがユリウスと呼んだ男は、走りながらマキアを馬上へと引き上げる。馬は主の意を汲み取ってそのまま森に向かって走りだした。


「マキア、平気か」

「大丈夫……範囲が広くて、少し多く持っていかれただけ。――精霊が、啼いてる」


 マキアの言葉にユリウスは押し黙り、眉根を寄せて手綱を握る手を固く強く閉ざした。


「いくぞ!」


 彼らにはそれぞれ相棒と呼べる愛馬がいたが、厩舎は複数あって火にまかれる前に連れ出せたのは一番外側の建物にいたこの3頭だけで、他の厩舎の馬たちがどうなったのかは考えたくもない。あとは年若い騎士たちの名も知らぬ馬だ。どの程度の脚色があるのかはわからない。追いつかれる前に出来るだけ走りたい。何より、街を囲む森の中は馬で走り抜けるには困難がつきまとう。

 今はただ、時間が惜しかった。

 この残された『光』を生かして逃がす、それだけが彼らに託され、残された灯火だと思えた。

 非情なのはわかっている。馬に乗れない騎士たちを見捨てたくはないが、思いは一緒だと理解している。


 ――王女を守り、無事に逃がす。


 そのためには実力のある者から騎乗するしかなく、また、追手を遮る盾も必要だった。


「エーギル、降ろせ……!」


 もがく細い身体を片腕で必死に押さえ込む


「貴女だけだ」


 固く強張る低い声が、アウローラの頭上から零れ落ちてくる。


「我らに残された光は、アウローラ様……貴女だけなんです」


 その言葉に、抱えた少女の身体がびくりと強張るのがわかった。


「――我が王、我が主。……幾人の命を犠牲にしたとしても、この身に代えても必ず貴女を生かす。絶対に。……そのために、我らは在るのです」


 エーギルの言葉に呼応して、騎士たちは声を重ねる。


「ああ。絶対に、だ」

「貴女を失うわけには行かない。唯一人、生き残れずとも貴女だけは」


 民たちを見捨て犠牲にしたと誹られても、それでも。

 事実、突然の強襲を受けた街も城も、壊滅的な状態であったのだ。どうあがいても、救えるものはもうないのがわかっている。


「私はそんなこと、望んでいない! 誰の死も、望んではいない……っ!」


 喉の奥が締め付けられて、アウローラは絞り出すように喘ぐ。

 誰の死も望まない。家族も、臣下も、民も。……たとえ、敵であっても、そう思っていた。

 それが愛する父母の、望みだったのに。


「ならば今は逃げてください、我が王よ。我らは命を賭して貴女に付いてゆく。我らの光となり、この国の行く末を、道を、照らし導いてください」


 並走する馬から聞こえたのはユリウスの声。

 彼らの言葉に、胸が締め付けられる。――私は王ではない、そう叫んでしまいたかった。アウローラにとって王とは父のことであって、自らではない。

 けれど、彼らはもう全てを理解し覚悟をしたのだと、目の前に否応なく突きつけられたその現実がアウローラの心をずたずたに引き裂いて、叫びは声にならずに消えた。


「ヴェルナー、気をつけろ。この先で待ち伏せされていたら厄介だ」


 エーギルは先を行く馬へ声を投げかける。

 整備された街道から逸れ森の奥へと続くこの道は、山で生きる民の生活のため、彼らによって切り開かれた地図にもない道だ。時折、狩りや訓練のためにヴェルナーとユリウスも使っている。

 しかし、このまま真っ直ぐに山奥へ進んだところで大陸の端に位置する山と森に囲まれたこの国では、いずれ大きな道へ出なければ他国へと抜けることはできない。

 迂回して、追手を撒きながら抜けられるのか? だが、ゆっくり思案している時間はない。

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