8話 三十年前の『君』

 つまりは、幼い頃の僕に似ていたのである。幼い子供の顔は親に似ると言うし――たとえ言わなくても僕はそう思っている――、現在の僕が、彼女が母に似ていると錯覚しているのもそれがひとつの理由だろう。記憶とは大体曖昧そんなものである。

 僕に似た女の子が目の前にいるという怪現象に驚きを隠せないけれど、その少女が人差し指を僕の方へと向けた――いや、僕の背後に向けて差している、が正しいのだけれど当時の僕は僕に向けられたと思っていた――。僕はその差された方角へと視線を向ける。その先には光の道が走っていた。

 これはなに? と少女に聞こうとした瞬間、少女はその光の道の上に立っていた。少女が僕に右手を差し出す。手を引いてくれるという意味だろうか? 僕はなんとなく少女の手を掴み、一緒に光の道を歩いていく。

 君は誰? と聞こうとも思ったけれど、きっと少女は答えないだろう。なんとなく、引かれるまま、そんな気がしたのだ。

 光が強くなる。僕は思わず目を瞑ってしまった。次に目を開いた時、僕は迷子になってしまった現場に

 現場を見ると、どうやら迷子センターの前で僕は忽然こつぜんと姿を消したらしく、母がちょうど僕を探しにセンターに話を聞きに来ていたところに、僕が突然姿を現したのだ。それはもう、祭りのボランティアとして来ていた近所のじいさんばあさんも目をひんいて、僕の身体に穴を空ける勢いで僕を見つめていたものだから少し怖かった。そして僕を見た瞬間に母は僕を抱き締めながら泣いてくれた。母が涙を流したという記憶は、この時を置いて他にない。

 ふと、手元がたぷんと音を立てた。見るとそこにはあの森の川付近に捨ててきたはずの透明なビニール袋と、その中にが入っていた。

 それはなに? と母が僕に問う。何が何だか分からなかったけれど、この時僕は母に人生で初めて、我儘を言ったのだっけ。


「お母さん、ぼく、この金魚を飼いたい」って。

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