7話 三十年前の『僕』

 三十年前の僕は、それはそれは可愛かった――のは、当たり前だ。十歳の幼気いたいけな少年なのだから。今はもうその面影もない、おっさんと化したけれどもね。

 すまない、話がれたね。

 まあ、ともあれ、その日は母親と祭りに来ていたのだけれど、途中で母とはぐれてしまってね。簡単に迷子になってしまったのさ。辺りは暗いし、うるさいし、人は多いし、もう散々だった。怖くて怖くて仕方なくて、十歳の僕はとうとう泣いてしまったんだ。子供だからね。泣くのは特権だろう?

 そうこうしているうちに、僕は神社のある森の方へと行ってしまったんだ。人の気配も何もない、ただ暗い道の続く森。どうしたものか、と怖がりつつも進んでいくと、目の前に何かが落ちているのが見えた。あれはなんだろうと子供心ながらに興味本位で近づいてみると、それは赤い金魚の入った、透明なビニール袋だった。水が抜け始めている。中の金魚がぴちぴちと頑張って生きようとしていた。その姿を見て、僕はなんだか怖くなったんだ。

 生きようとしている姿、必死な姿、それはまさしく――。これは後で分かったことだが、母は必死になって児童養護施設の役員に訴え続け、僕と引き裂かれないように言い続けていた――戦い続けていた――らしい。それは杞憂に終わったけれど、今、思い返してみても僕は彼女に愛されていたのだなと思えるのだ。

 話が脱線してしまった。戻そう。

 ともかく、僕は目の前で生きようとしている金魚ちゃんを――金魚くんかもしれないけれど――、どうにかして助けたいと思った。気づいた時には僕は金魚ちゃんを袋ごと掬い上げて、森の中を駆けていた。駆けてかけたその先に小さな川を見つけた。僕はとにかく金魚ちゃんを水の中へ入れたかったので袋から出してあげた。金魚は一瞬止まったけれど、すぐにそれが『水』だと理解すると金魚ちゃんは嬉しそうに生き生きとして泳いで行ってしまった。

 僕は金魚ちゃんの『今』を助けることができた――と思ってもいいのだろうか。命とは平等であるべきだと子供ながらに思った瞬間だった。

 だが、ここまでである。僕は森から出られたわけではない。また暗い道をとぼとぼと進んでいく。もうどうでもよくなったのだ。浴衣を着ていたせいで足に小さい傷が増えていくし、下駄だったから靴擦れもして、母とも離れてしまった。ああ、最悪だ。泣くことも忘れてしまうくらいに最悪だった。

 ぴちょん、と、どこからか水の跳ねる音が聞こえた気がした。ここは森の中枢部。水のあった場所など先ほどの川くらいで、そこからはかなり離れたはずだった。だからこんな場所で水の音がするのは、少し、異常だったのである。

 僕は怖くなって喉を二度鳴らした。このまま停滞していても夜が明けてしまうだけであり、きっと母が探してくれていると思うと僕は今日中になんとしてでも、是が非でもこの森を抜けて帰らなければならないのだ。だから僕は覚悟して後ろを振り向いた! そこには――思わず首を傾げてしまうものが立ち尽くしていた。


 淡い赤色の浴衣を着た、当時の僕と同じくらいの、少女。

 その顔は、、似ていた。

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