4話 夏祭り

 いつの間にか彼女はこの古民家に馴染んでいた。馴染んでいたし、馴染み過ぎていた。それはもう怖いくらいに。なんなら家主である僕よりも。

 ぱたぱたと居間を駆け回る少女を見て、ああ、僕もこのくらいの年の頃、よくこうして走り回っていたなと思い出す。さらに言えば、僕くらいの年になれば、少女くらいの子供がいたって可笑しくない――ちなみに僕は独身である――。そんなことを不意に思い、自然と表情筋が引きった。

 嗚呼、寂しいかな、我が人生。

 はぁ、と溜め息をく。気分転換がしたいところだけれど、周りを見れば現実が広がっていて、早く遺品整理こちらを片付けなければ、性格上、僕の気が済まない。済まないものは仕方がない。どういうわけか、少女は居間で楽し気に駆けて遊んでいた。放っておいてもいいと僕は判断した。

 拭き終えた金魚鉢を棚に置こうと席を立った――その時、猪の如くの速さで少女が僕の鳩尾みぞおちに向かって突進してきたではないか! 寸でのところで僕は金魚鉢を守ることに成功した。鳩尾に関しては、察してくれ。何せ金魚鉢はガラス製品だからね、落としてしまっては少女にも危害が及んでしまう。最悪の事態にはならなかったことがせめてもの救いか――いや、僕の鳩尾はたった今終わったけれど――。


「いっ…………てぇ……」


 僕は守ることに成功したガラス製の金魚鉢をゆっくりと書棚の上に置き、腹部――鳩尾部分に抱きついて離れない少女を優しく剥がそうとするも、それは失敗に終わる。その表情はなんだか怒っていた。なんだよ、怒りたいのはこっちなんだよ。そんな大人気おとなげないことを考えてしまう。

 不意に少女が僕の上を離れる。彼女に少なからず掛けていた体重が前方に逃げる。少しだけバランスを崩してしまったが、そこは大人、意地でも踏み止まることに僕は成功した。少女は離れたかと思うと、今度は僕の服の裾をぐいーっと力強く引っ張る。それはそれは、必死に、顔を赤らめながら。その力は弱いけれど、意志の強さは感じられた。

 何を伝えたいのだろう、と少女を観察する。少女は僕を居間の方へと引っ張っていく。いや、違う。少女は僕を居間の先――つまり玄関へと向かわせているのだ。彼女は僕に、外に出ろ、と言いたいのであろう。

 辺りを見渡して、粗方あらかたの整理が終わっていることを確認する。まだ整理し足りないという気持ちも本音ではあるのだが、気分転換に外に出るのも悪くないかと僕は静かに瞼を伏せる。外は祭り囃子ばやしの音が舞っている。きっと彼女はこの音のする場所へ行きたがっているのだ。


「……分かった、分かったよ。僕の負けだ」


 僕は彼女の頭を撫でる。彼女はきらきらとした目をして僕を見つめて、その場をぴょんぴょんと跳ねて喜んだ。僕は諦めて外に出る準備を始める。そのかん、少女は居間をまた駆け回り始めたので――準備が終わっても続けていたので――、いい加減やめろと怒鳴り倒したのは言うまでもない。

 かくして僕は、この不思議な浴衣の少女と共に、地元の夏祭りに足を運ぶこととなったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る