3話 浴衣の少女

 いつの間にか僕は転寝うたたねをしてしまっていたらしく、気づけば外は夕暮れ始めていた。僕の手元には、掃除途中の金魚鉢があった。ある程度綺麗になった金魚鉢に夕暮れが差して、ガラスの中にある特有の波模様と混じり合ってきらきらと輝いている。

 眠ってしまっている間に暑かったのか、僕は寝汗を掻いていた。

 少し涼もう。いい感じに縁側に風が吹き抜ける。外は暮れ始めていたのもあり涼しい気温になっていた。僕は縁側にくつろぎながら日が暮れ切るのを待った。

 ふと、人影がひとつ、目の前に現れる。視線を感じて前を向くと、そこに信じられないものが現れた。


 母にそっくりな――浴衣姿の女の子が、そこに立っていたのである。


 僕は思わず目を見開いて、呼吸を忘れて、目の前の女の子を凝視してしまう。

 驚きとともに、いやこれ不法侵入だろう、という冷静な言葉が脳裏に急にぎった。いやいや本当にどこから来たんだ君。いやいやいや、泥棒以上にたちが悪いぞ? そんな言葉を『君』――あえて今は『君』と表現させていただく――に投げかけたいが、それよりも、驚愕おどろきが大きすぎて声を発することが叶わなかった。


「……君……」

「……」


『君』――こと、少女はじぃっと僕を見つめたまま、ただそこに立ち尽くしていた。

 年の頃は十歳くらいだろうか? 少女は少し不思議な姿をしていた。全体的にほのかに淡い、赤い色の浴衣を着ておりその素材はなんだか、くしゃふわ、という擬音が似合うような感じだった。衣服類のことは分からないのでこういう表現になってしまうけれど、本当に、くしゃふわ、というような感じなのだ。もし浴衣に詳しい方がいたのなら全力で謝りたい。いや、浴衣に対しての侮辱は一切していないと、弁解の余地をください。


 いやいやいや。

 そうではなく。


 僕はもう一度、少女を見る。

 見れば見るほど、母の面影に重なるので、まるで亡霊でも見ているかのような気分になる。ちなみに僕は霊は信じていないし、霊感もこれっぽっちもないので、少女を霊だとはいまだ信じ切れていないのだが――信じる気もない――。

 ある時、僕の祖母が言っていたような気がする。この家には座敷童様がんでいるのだと。ああ、『君』がその座敷童様か。そうと決まれば納得だ。

 少女は本当に母に似ていた。それこそ、眠る前に見た、祖母と写る母に。


「……ああ、可笑しくなりそうだ……」


 苦笑しつつ頭を掻く。少女は首をかしげてこちらをうかがっている。僕は、覚悟を決めて――なんの覚悟だ?――少女に手招きをする。少女は目を二回ほど瞬かせて、僕の方へと向かってくる。と小さく音を立てて。少しだけ可愛いと思ってしまった。


「君、どこから来たんだい?」

「……」

「えと……僕の言葉は分かるかな?」

「……」

「えー……とぉ……」


 少女は「うん」とも「すん」とも言わない。問いかけには一応反応を示してくれているけれど、それでも少女は言葉を発しない。失声症、というやつだろうか。もしそうだったとしたら僕はかなり失礼な奴ではないだろうか。反省、反省。

 意思疎通ができなければ後々のちのちに困る。僕は唸りながら、数少ない知識を絞り出して彼女との対話を試みる。


「君は……喋れないのかな?」

「……?」


 ここで初めて少女が僕の言葉に首を傾げて反応してくれた。ちょっと嬉しい。

 少女は喋ることができないらしく、こくりと頷いたり首を傾げたりして感情を僕に伝えてくれる。現在は縁側に腰をかけている僕の隣に座り、足をぱたぱたと動かしている。今更ながら気づいたことだが、彼女の足元は裸足だった。ちゃんと見えているから霊ではない。よし、信じなくて良かった。

 では、なく。

 いくら可愛らしく振舞おうと、彼女は不法侵入者。断じて許してはならない。……ならない、はずで。

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