2話 帰省

 僕の実家……というか、彼女の住まいであった場所は、僕の祖母から譲り受けたとされる古民家だった。引き離される頃までは僕もこの家に住んでいたけれど、やはり大人ともなるとその記憶は薄れているし、全体的に部屋が小さく見えて不思議だ。

 風情のある古民家。実家はこの一言に尽きる。

 帰ってくる、という言葉が果たして合っているのかは分からない。けれど、僕にとってこの場所は、恐らくかけがえのない場所のひとつだった。

 十歳でこの家を離れたので、母同様、三十年ぶりに帰宅した。記憶と変わらない、そのまま時が止まってしまったかのような空間に目が眩む。

 縁側から見える、庭の小さな池に日差しが差し込む。きらきら、さらさら。そんな音が聞こえてくる。懐かしい初夏のにおいと音に僕は自然と微笑んだ。

 しん、と静まった居間。輝く庭と池、そして縁側。こんなにも対照的な部屋がひとつの場所に集まるなんて、なんとも、可笑おかしい話である。

 縁側のある部屋には小さな書棚がある。祖母の所有書がずらりと並んでおり、そのどれもが何やら難しそうな書物ばかりであった。そのあいだあいだには古いアルバムがあり、その内の一冊を開いてみるとそこには幼い頃の母や若い祖母の写真が収められていた。

 そして、一番最後のページに、僕と母を写した写真が一枚だけ挟まれていた。

 本当に古い写真だった。僕がまだ一歳にも満たない頃の。思い出の中の母は笑顔だった。母の笑顔を初めて見たので、僕は複雑な気分になる。ま、いないひとのことをいつまでも思っても、くどいだけの話だけれど。

 書棚の上に気になるものが置いてあった。


 丸い、まあるい、金魚鉢。


「……これは、金魚鉢きんぎょばちか? なんでこんなに立派なものが……?」


 直径三十センチほどの、口部分が波を作っている丸く大きなガラス製の金魚鉢。その実態はほこりを被っており、それはそれは、酷い状態だった。

 ふと、昔の記憶が蘇る。この金魚鉢は見覚えがあった。小学五年生の頃に母に我儘わがままを言って買ってもらった、僕の金魚鉢だ。


「……ああ、まだ、残してくれてたんだな」


 夏祭りに取った金魚たちを育てたくて買ってもらったんだと当時を思い出す。同時に、今日はその夏祭りの当日だったことも思い出す。帰省の車中の窓から商店街の街並みに隠れて花火大会のチラシを目撃していたのだ。

 そうこうしているうちにその夏祭りまで一時間を切っていた――現在十六時ちょうどだ。外からカランコロンという下駄げたの音と、子供たちの声が響き渡る。久しぶりの地元であるから行きたい気持ちは山々だが、遺品整理がまだ残っている。

 そうだ。この整理が終わったら、花火だけでも見に行こう。間に合えば一番綺麗な花火が上がるはずだからね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る