第3話 いざ信者を増やさん

 遅まきながら、四人は教会から夕飯を恵んでもらった。


 神に感謝してから、黙って質素な食事を摂り、再び神に感謝する。


 リベリオとパルミロは、教会の内外を警戒しておくと言って、食堂を去った。後にはアリーチェとエラルドが残された。

 いつの間にやらエラルドは、二人の信頼を得られたらしい。一安心である。


「エラルド」


 アリーチェが口を開いた。


「はい、何でしょう」

「あなたは前にこう言いましたね。幼き頃より何かの使命を感じて生きてきた、と」

「その通りです」

「その、何かというのは、具体的には分からなかったのですね」

「はい。この使命感は神より賜りしものだという確信はありましたが、己が何を成すべきかは分かりませんでした」

「そうですか」


 アリーチェはそのまま目を伏せて、黙ってしまった。


「何か、お悩みの様子」


 エラルドは率直に言った。


「私で良ければご相談に乗りますが」


 アリーチェは驚いたようにエラルドを見た。それからしばらく逡巡していたようだが、やがて躊躇いがちに口を開いた。


「そう……ですね。わたくしには悩みがあります。しかし誰にも相談できずにいました。しかしエラルド、あなたになら何か分かるかもしれません。聞いてもらえますか」

「何なりと」

「わたくしにはもっとはっきりとした使命感があります。天啓、というのでしょうか。わたくしはいつどんな時に何をすべきか、手に取るように分かることがあるのです」

「ほう」


 興味深い話である。神はそんな風に人間に語りかけることがおありなのか。


「あまりにもはっきりと分かるので、わたくしはそれを疑いました。もしやこれは悪魔の囁きではないかと……。そこで、聖書を逐一参照し、なすべきことが神のご意志に沿うものかどうか、確かめながら行動してまいりました。しかしいくら確かめても、わたくしのやるべきことは、聖書にのっとったものであり、正しいことなのです。一度たりとも誤った天啓などはありませんでした。やはりこれは神のお言葉なのだと、わたくしはようやく確信を持てたのです」

「なるほど」

「だとすれば、わたくしは一体何なのでしょうか」


 アリーチェは思い詰めた様子で言った。


「エラルド、あなたはわたくしの行動を、気高く勇敢だと称賛しました。しかしあれもただ天啓に従ってやったことに過ぎないのです。『百箇条の論題』を記すために多少の試行錯誤はしましたが、あれを中央教会に張り出すのは、ただそうすべきだと命じられたからやっただけ。果たしてわたくしは勇気ある立派な聖女ですか? とてもそうとは思えません」

「? 何故です?」

「何故って……分かりませんか? わたくし自身はちっとも立派な人間ではないのです。わたくし自身の心の内から発する真なる神への信仰心と、そこから生ずる勇気……それをもってして行動を起こしたなら、確かにそれは立派なことです。しかしわたくしはそんなものを持ち合わせてはいませんでした。命じられた通りにしただけ。ただただ神のお言葉に従って世の中を正す、言わば装置のような存在です。こんなことでわたくしは、真に修道女として正しくあれるのでしょうか」

「……」


 エラルドはすっかり驚いてしまった。と同時に納得した。

 アリーチェの言動に揺るぎがないのは、それが天啓から来るものだったからだ。そしてだからこそ、アリーチェは悩んでいる。自分が真の信仰心を持っているのかどうかと。

 何と真摯な姿勢だろうか。これもエラルドにはなかった考え方だった。エラルドは何一つ疑いもせず、我が道を突き進んでここまでやって来たのだから。

 そして、エラルドは改めて確信した。やはりアリーチェこそ、誠の救世主であり、聖女であると。


「何も心配することはありません、アリーチェ殿!」


 エラルドは断言した。


「アリーチェ殿、やはりあなたは聖女だ。真に神のご意志を受け取るに値するお方だ。これほどまでに信仰に対して真摯な姿勢のお方を、私はこれまでに見たことがございません。きっと誰よりも真面目に信仰心と向き合っていらっしゃる。なればこそ、神はあなたを選ばれた。あなたこそが相応しいのだと、神がそうお考えになったのに違いありません」

「エラルド……」

「さすれば、あとは単純なことです。神のご意志に従って行動する、それこそ人間のあるべき姿! あなたは何も後ろめたく思う必要はありません。迷うこともありません。あなたは神に選ばれし真に立派なお方なのですから!」

「……」


 アリーチェは細い目を見開いてエラルドを見ていた。


「そう……ですか」

「はい!」

「そうですか。あなたはそう言ってくれるのですね、エラルド。やはり、相談して正解でした。少し、己に自信が持てた気がします」

「もっと自信を持たれてもよろしいかと!」

「いえ、それでもわたくしは、聖女などと名乗るのは畏れ多いことだと感じています。わたくしはまだ何も成し遂げていない。少し特殊なだけの、一介の修道女に過ぎませんから」

「何と! 謙虚であられるのですね! ますます尊敬の念が湧き上がって参ります!」

「そういうわけでは……。エラルドこそ、一切の疑念を挟むことなく己が使命に邁進している。素晴らしい信仰心の持ち主だと、わたくしは思っていますよ」

「もったいないお言葉です!」


 その時、ギィ、と扉が開いて、リベリオとパルミロが戻ってきた。


「前も言ったけどさあ。でかいんだよ、声が。エラルドは」

「はっ、これは失礼。つい熱意がこもってしまった」

「……アリーチェ……悩みは、消えたか……?」


 パルミロが心配そうな顔をアリーチェに向けた。アリーチェは瞬きをした。


「やはり二人にも分かっていたのですね。わたくしが悩みを抱えていることが」

「そりゃな。ずーっと見てるからな」

「分かっていても……力になれず、もどかしかった……」

「それは、申し訳ないことをしました。しかし、安心してください。悩みが綺麗さっぱり消えたというわけではありませんが、少し楽になりました。これからもわたくしは、やるべきことをやっていくことでしょう」

「……それなら、よかった……」


 パルミロは言ってから、ぐるんと顔をエラルドに向けた。


「なっ、何だ、パルミロ殿?」

「……お前……少しは、良い奴、だな……」

「? そうか? 信頼してもらえたようで何よりだ!」

「……」


 パルミロとリベリオは、何も言わなかった。


「さあ、遅くなってしまいました。いつまでもこうしていては、蝋燭の無駄ですね。それぞれ、貸していただいた寝室に移るとしましょう」


 アリーチェは言い、四人は食堂を後にした。


 次の日からも、アリーチェの遊説の旅は続いた。日々が過ぎ去り、四人は教皇領を出た。それでもアリーチェの噂は届いているらしく、多くの町でアリーチェは歓待を受けることとなった。各所で説教を行ったアリーチェは、市民や農民の間にどんどんと賛同者を増やしており、その数は旅を続けるごとに膨れ上がって行った。

 もちろん、何度か中央教会の息のかかった教会に足を踏み入れてしまい、あわや捕まるかと思った時もあったが、それでも辛うじて逃げ切ることができていた。幸運なことだ。やはりアリーチェの行動は神のご意志に適ったものである。ゆえに神のご加護がついているのだろう。このまま気張っていれば、順調に旅を続けられる。

 そう思っていた矢先のことだった。


 いつものようにアリーチェが聖堂に人々を集めて演説を行なっていると、突然、聖堂の扉が全て閉められたのだ。


「!?」


 エラルドは運良く気が付いて、聖堂内に滑り込むことができたが、リベリオは締め出されてしまった。


「くそっ! 開けよ!」


 ドカドカと扉を蹴る音がする。エラルドは声をかけた。


「大丈夫だ、リベリオ殿! 私がパルミロ殿と協力して切り抜ける。リベリオ殿は外の敵を相手してくれ!」

「……っ、分かった、頼んだぞ!」

「ああ!」


 エラルドは聖堂の奥へと向き直った。


 パルミロが早くも剣を抜いて辺りを警戒している。


 これはここの教会による計画的な犯行だ。裏口も既に塞がれているに違いない。そして恐らく、聴衆の中に中央教会の協力者が紛れ込んでいるはず。

 聴衆はというと、突然に閉じ込められてしまったことで、大混乱を来していた。悲鳴や怒号が飛び交い、我先にと扉に人が殺到するが、外から鍵をかけられており出ることができない。となれば外にも複数の敵がいるはず。リベリオは大丈夫だろうか。……いや、今はアリーチェが優先だ。


 アリーチェは動揺することもなく、いつものように毅然として壇上に立っていた。


「中央教会の方ですね」


 アリーチェは言った。


「わたくしは逃げも隠れもいたしません。どうぞ出ていらっしゃい!」


 実際には逃げも隠れもできない状況なのだから当然なのだが、そう宣言するアリーチェの姿には威容が感じられた。

 そして、次の瞬間、一斉に立ち上がった敵の数の多さにエラルドは度肝を抜かれた。

 およそ二十人。こんなに紛れ込んでいたのか。いや、まだいる可能性もある。


 彼らは剣を抜いてパルミロに襲いかかった。どうやら彼らは真後ろにいるエラルドの存在に気づいていない。好都合だ。パルミロと協力して、不意打ちで一気に切ってやる。


 すらりと剣を抜く。周囲の聴衆がギョッとしてエラルドから遠ざかる。これまた好都合だ。動きやすくなった。


「はあーっ!」


 エラルドは声を上げて、大きく跳躍した。並んでいる机と椅子と、逃げ惑う人々の頭上を、一気に飛び越える。驚いた敵が振り返る隙を与えず、エラルドは複数人の敵の背中を斬った。

 突然の異変に気づいた他の敵もこちらを振り返る。これで、パルミロが相手する敵の数が更に減った。


 パルミロはというと、ものすごく怒っていた。普段、感情の発露をほとんどしないくせに、アリーチェに危険が及ぶとなると、この男は憤怒し、不機嫌そうな顔をする。

 わらわらと群がった敵を、パルミロは剣の一本で受け止めた。そしてその体躯に見合わぬ大胆な動きで、敵を突き飛ばす。体勢を崩した敵は順々にパルミロの剣の餌食となっていく。


 その間にもエラルドは、目にも止まらぬ速さの剣捌きで、一気に五人の胸を突き刺した。今度は後ろに大きく跳躍する。机の上に乗って高さを確保すると、下から襲いかかってくる三人を切り捨てた。


「終わりか」


 パルミロの方に行った敵もみんなやられたようだ。


「あとはどうやって脱出するかだが……」


 その時、バキャッと大きな音がして、扉の一つが開いた。聴衆たちが力を合わせて体当たりをして、扉を壊したのだ。


「おお……!」


 何という結束力だろう。エラルドは感動した。

 ワアワアと聴衆たちは喜び合いながら外へ出て、アリーチェに道を譲った。剣を収めたパルミロがアリーチェの手を引いて外へと誘導する。エラルドはその後に続いた。


「みなさん、助けてくださって本当にありがとうございます」


 アリーチェに直接お礼を言われた聴衆たちは、頬を上気させて喜んだ。

 外では、やはり敵と戦っていたらしいリベリオが、片足で死体を踏んで待っていた。


「遅いぞ、パルミロ、エラルド!」


 そう文句をつけたところからして、元気そうである。


「む、すまない! 予想より敵が多くてな、手間取った!」

「……うるさい……二人とも……」


 パルミロは単調な声で言った。


「まあまあ、三人とも。助かったのだからよしとしましょう。よく戦ってくれました。毎度のことながら、ありがとう」


 アリーチェが言ったので、三人は素直に頷いたのだった。


 それから後は、今回ほどの大きな危機には見舞われなかった。時間はかかったが、四人は何とか、シルヴェストリ領に近づいていた。


「もうすぐで私の実家の領地になります。そうすればきっと安全です」


 エラルドは言った。

 しかし、ことはそううまくは運ばなかった。


 昼日中、町と町の間にある小さな森を歩いている時だった。


 向かい側から、パカパカと複数の馬の蹄の音が近づいてきた。


「!!」


 四人は怪しまれないように普段通りに歩きつつ、警戒感を強めた。

 馬が近づいてくる。案の定、乗り手は剣を携えている。しかも従者を三十人は連れてきている。

 馬上の人の顔を見て、エラルドは仰天した。


「ウベルト兄上!!」


 それに、シルヴェストリ家に仕える騎士団もついてきている。


「は?」


 リベリオは間抜けな声を出した。


「兄上? ってことは、あいつらみんな、シルヴェストリ家の奴らか?」


 ウベルトとネストレは馬を降りてこちらに近づいてきた。

 ウベルトは満面の笑みを浮かべてエラルドの肩を叩いた。


「いやあ、あっはっは。会えて良かった! すれ違ったらどうしようかと思っていたところだ!」

「兄上、どうしてここに? 迎えに来てくださったのですか?」

「それが違うんだ! 実はうちが大変なことになってな!」


 ウベルトは言った。


「大変なこと、とは?」

「まあ待て、弟よ。もしや、そちらの女性がアリーチェ殿か? 話は聞いている! 私の名はウベルト・シルヴェストリ。うちの弟が世話になった!」

「はい。わたくしがアリーチェ・ベルティーニです。こちらこそ、弟君には助けていただいております」


 アリーチェはウベルトを見上げて挨拶をした。


「何か、似てるな。背のでかさとか、声のでかさとか……あと面構えとか、髪とか」

 リベリオはこっそりパルミロに言った。パルミロは無反応だったが、同じくウベルトたちのことを窺っているのはよく分かった。


「兄上。大変なこととは、一体何ですか?」


 エラルドはしびれを切らして尋ねた。


「そのことだがな! エラルドよ、お前の行動は既に読まれている!」

「そうでしょう! 各地でアリーチェ殿の噂は絶えませんからな!」

「それだけではない! お前が我が家を後ろ盾として頼ろうとしていることも筒抜けだ! 父上はできることならアリーチェ殿をお迎えしたいと仰っているが、残念ながらそれは難しい。我らが領地は既に中央教会の者に見張られている!」

「何と!」

「シルヴェストリ領へと入るための門は全て押さえられてしまっていてな! 検問を通らねば入れないようになっているのだ! これには私たちも参っていてな! はっはっは!」


 笑い事ではないのだが、この兄はいついかなる時も豪放磊落としていて、よく笑う。気のいい人物なのだ。


「そんな……! では私たちはどうしたら……」

「案ずるな。既に手は打ってある!」


 ウベルトは自信満々に言った。


「アリーチェ殿は、兄上と縁の深いラヴィナーレ家に匿っていただくということで、話がついている!」


「はい?」

「……」


 リベリオとパルミロは、首を傾げた。

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