第2話 いざ遊説の旅に出ん


「して、アリーチェ殿」

 エラルドは問う。

「中央教会に戦いを挑んだからには、何か策がおありで?」

「いえ、特には」


 アリーチェは首を振る。


「わたくしはありがたくも市民の皆様の支持を得ています。この地域の各教会との交流も深いです。いざとなれば、各地の護衛業の市民たちが立ち上がってくださるそうです。頼もしいことです」


 エラルドは青ざめた。自分がまるで吸い寄せられるようにしてここに来た訳が分かった。

 アリーチェには政治が分からぬのである。


「それではいけません、アリーチェ殿!」

 エラルドは大声で言った。

「そうなのですか?」

 アリーチェは首を傾げる。


「はい! いかに中央教会に反感を持つ者が多くいても、中央教会との真っ向勝負ともなれば、ものの数には入りません! 中央教会は各地の貴族たちと深い関係にありますから、大勢の軍隊を用意することも可能なのですよ!」

「軍隊だなんて……大袈裟ではありませんか?」

「いいえ、そうなる可能性は十分にございます! 特にアリーチェ殿が記されたあの『百箇条の論題』……あれでアリーチェ殿は、中央教会を悪魔であると断じ、彼らとの戦いも辞さないと仰っていますよね。あれは、中央教会だけでなく、奴らと関係の深い貴族たちにも、喧嘩を売っているようなもの」


 言っているうちにエラルドもその恐ろしさに頭を抱えそうになった。


「今は教皇様もアリーチェ殿のことを侮り、ちゃちな反逆にすぎないと判断しておられるが、今後どうなるかは分かりません。早急に強力な後ろ盾を用意しなければ!」

「後ろ盾、ですか? どのような?」

「無論、貴族です。幸い、我がシルヴェストリ家は辺境に広大な領地を持つ大貴族。すぐに早馬をやり、我々を匿ってくれるよう父上に請願しましょう」

「馬ならうちの教会からも出せます。しかし、シルヴェストリ家は、中央教会と関係が深くはないのですか?」

「深かった、と申しておきます。そもそも父上は以前から中央教会をよく思ってはいなかった。そこへ無理を言って私が聖騎士となったのです。私が裏切った以上、父上も味方についてくれるはずでございます」

「そうですか」


 アリーチェは少し困惑したような、寂しそうな顔をした。


「……シルヴェストリ領へ行く。この町を離れる……」

「そうした方が賢明かと」

「……そうですね」


 アリーチェは頷いた。


「教皇領の町の人々を説得するだけでは、教会が変わることはないと、わたくしも以前から思っていました。遠出するならばちょうどよかった。他の領地の方々にも、私の話を聞いていただきましょう!」

「なっ」


 エラルドは驚いた。


「それでは、自らの居場所を敵にばらすようなもの。追手がかかれば不利になります!」

「そうですか? でも、きっと大丈夫です」

「しかしながら……」

「エラルド」


 リベリオが口を挟んだ。エラルドの肩に手を乗せて話しかけてくる。


「お前さあ、アリーチェのやることに文句でもあんの? アリーチェがあちこちで説教したいって言ってんなら、素直に応援しろよな」

「いや、そういうわけでは……。アリーチェ殿のお命を第一に考えればこそ、お止めしているのだが」

「ああ? 違うだろうが」


 リベリオは急にドスの利いた低い声を出した。肩に乗せた手に力がこもる。緑色のつぶらな瞳に凶暴そうな光が宿る。


「俺たちはアリーチェの好きなようにさせる。その上で必ず守り抜く。アリーチェの夢も命もどっちも最優先に決まってんだよ。分かんねえのか?」

「あ、いや、その」

「……リベリオ」


 パルミロが静かに言う。


「やはりこの男……アリーチェへの忠誠心が足りないと、俺は思う……」

「だよなあパルミロ。やる気がまるで感じられねぇぜ。こいつの言う後ろ盾ってのも、信憑性が低い話じゃねえか?」

「わ、分かった! 分かった!」


 エラルドは大慌てで言った。

 この調子で、貴族に頼ることすら反対されてしまったら、それこそアリーチェを守ることなどできない。多少のわがままには目をつぶって、とにかく安全な場所へ移動してもらわなければ。


「アリーチェ殿には好きなだけ遊説をしていただこう。だからどうか有力な貴族の後ろ盾を得ることだけは成し遂げて欲しい!」

「だってよ、アリーチェ。どうする?」

「わたくしはもちろんそれで構いませんよ。旅ができて、その上貴族様にも協力していただけるなら、わたくしの説もいっそう広がることでしょう」

「だってよ、エラルド。分かったな? 分かったなら返事しやがれ」

「承知しました、アリーチェ殿」


 ふうやれやれ、とリベリオはようやく手を離した。パルミロは何を考えているのか分からない虚ろな視線をこちらに送ってきている……まだ疑われているのだろうか。エラルドは何とも居心地の悪い思いをした。アリーチェはそんな三人を見て軽く微笑んだ。生真面目そうな表情も、笑うと柔らかくなるのだな、とエラルドは思った。


 さて、敵の遺体を中央教会の人間が取りに来たのを尻目に、アリーチェたちは旅の準備に取り掛かった。

 各地の教会を味方につけているアリーチェならば、しばらくは食べるものにも寝るところにも困らないであろう。問題は教皇領の外、アリーチェの影響力がまだ届いていない地域での旅だ。


「きっと大丈夫です」

 アリーチェはまた言った。

「わたくしがお話しをすれば、分かってくださる方々が必ずいらっしゃいますから。他所の教会の方々も私のお話を聞けばきっと歓迎してくださることでしょう」

「しかし、その教会に、中央教会の手が回っている可能性もあります。……ので」

 リベリオとパルミロに睨まれたエラルドは、急いで付け加えた。

「その場合は私たちが全力でお守りします」

「ええ。頼りにしていますよ、三人とも」

「当ったり前だ! 俺たちに任せろ!」

「……安心、して欲しい……」


 これは心労の絶えない旅になりそうだ、とエラルドは嘆息した。

 それにしても、リベリオとパルミロは、何故ここまでアリーチェに心酔しているのか。尋常ではない何かを感じる。

 だが、中央教会が準備を整える前にこの場から逃げるために、一刻も早く出発したい。そこでエラルドは旅の道中で話を聞くことにした。

 女性のアリーチェや、一般市民のリベリオとパルミロに、馬術の心得はない。そこで徒歩での旅路となる。シルヴェストリ領は遥か北東。急いで向かわなければ。


「俺たちがアリーチェに忠実な理由?」

 リベリオは顔をしかめた。

「んなこと聞いて何になるんだよ」

「これからは私たちは共にアリーチェ殿をお守りする仲間同士。背中を預け合う関係だ。だからこそお二人の話も聞いておきたい」

「ふーん」

 リベリオは興味がなさそうだった。

「ま、いいけどさ。俺たちは捨て子で、アリーチェに拾われたんだよな」

「何と」

「アリーチェとはまあ、五つくらいしか歳も違わないわけなんだけどさ。アリーチェは小さい頃から教会に預けられて、修道女になるために毎日勉強してた。その一方で、慈善活動もするんだっつって、孤児院の手伝いまでしてたんだよな。だから俺らにとっては姉ちゃんみたいなもんなんだ」


 リベリオは教会が運営する孤児院に赤子の時に預けられ、アリーチェはよく面倒を見ていたと言う。逆にパルミロは七歳の頃に孤児院に保護された。親から苛烈な虐待を受けていたのだ。傷ついた心をアリーチェが癒した。いつしかアリーチェとリベリオとパルミロは、三人で仲良く過ごすようになった。


「だからさ、パルミロは人一倍、アリーチェを守りたいっていう気持ちが強いと思うぜ。昔のこともあって感情の変化には乏しいけど、その分アリーチェのことを大事に思う気持ちが強い」

「なるほど」


 エラルドは後ろを歩くパルミロを振り返った。彼はやはり陰鬱で虚ろな表情をしており、リベリオの話に反応している様子はない。

 エラルドは前に向き直り、話を続けた。


「リベリオ殿は、修道士になろうとは思わなかったのか」

「ああ、それはな。小さい頃からアリーチェの夢を聞かされてきたからな」

「夢。神のため人々のために尽くすという夢か」

「っていうか、妙に具体的だったんだよな、昔っから。俺たちには難しくて分かんないことの方が多かったけど、とにかく、アリーチェがやりたいことをやりとげるためには、アリーチェを守る奴が必要だって俺たちは思った。だから孤児院を出た後は、護衛業の組合に入って修行してたんだ」

「なるほど」


 アリーチェに命を救われただけでなく、幼かりし頃よりアリーチェの夢を聞かされて育てられた。それゆえアリーチェの夢を実現することへの執着が強いのか。

 ちょっと強すぎる気もするが。

 その強すぎる執着に思いを馳せるにつけ、一層深まる謎がある。アリーチェは何故この二人の忠誠心を当然の如く受け取り、好きに行動し続けているのか……。そこには一種の冷徹さのようなものすら感じ取れる。一体何を考えているのか、いずれアリーチェから直接話を聞きたいところだ。


 日が暮れる前に三人は、教皇領内のとある教会に辿り着いた。

 アリーチェは大歓迎を受けた。


「ようこそおいでくださいました、アリーチェ様!」

「またお話をお聞かせ願えますか、アリーチェ様!」

「是非とも人々にあなたのすばらしいお説教を施してくださいませ、アリーチェ様!」

「構いませんよ。わたくしもそのつもりで参りました」

 アリーチェは生真面目そうな声で答える。

「では、聖堂の方にお邪魔いたしましょう」


 既に聖堂には、アリーチェ来訪の噂を聞きつけた修道士や市民たちが、山のように押しかけていた。アリーチェが演壇に立つ。パルミロがそばに控える。リベリオとエラルドは聖堂の外を警戒する。

 

「今の中央教会は腐り切っています!」

 アリーチェは堂々たる声で言い切った。早くもそうだそうだと声援が上がる。

「寄進をすれば天国に行ける? それは中央教会が贅沢をするための口実に過ぎません。免罪符などもってのほか! それでは貧しい人々があまりにも救われないではありませんか!」

「そうだそうだ!」

「神は御自ら聖書にこう書き記されました。『隣人の財産を欲してはならない』。それを最も忠実に守るべき修道士たちが、清貧を貫くと決意した修道士たちが、他人から貪るように金を巻き上げ、その金で贅沢をしている。これは正真正銘、神への反逆行為であり、悪魔の所業に他なりません!」

「そうだそうだ!」

「わたくしたちは真に神に忠実であるために、聖書に記してあることこそを忠実に守るべきなのです。神はこうも仰られています……『殺してはならない』。ただし、神の教えに従わず悪行に走る悪魔は敵であり、これを打ち滅ぼすことは聖戦である、と! かつては中央教会がこの教えに従い、異教徒を討ち滅ぼしてこの国を救いました。しかし中央教会や教皇様は、その功績を利用して地位を欲し、ついには悪魔的な存在へと堕落しました! 今度はわたくしたちが神の教えに従って立ち上がり、悪を滅ぼす時です! 臆せずに、勇気を持って立ち向かいましょう!」

「そうだそうだ!」


 凄まじい人気だな、とエラルドは感心した。それだけ人々は、中央教会に対する不満を募らせていたのだろう。

 エラルドは改めて己を恥じた。鍛錬と学業に邁進するばかりで、真に救うべき人々の声を聞かなかった己を。それでは使命を果たせなかったのも当然だ。本当に神の教えに従うのならば、アリーチェのように自らの手で慈善活動を行い、自らの足で人々の前に赴かなければならなかったのだ。

 だがこれからは違う。エラルドは守るべき聖女を見出した。これからは彼女を助けることで、生まれもって与えられた使命を果たすのだ。

 誇りが胸に湧き上がってくるのを感じる。エラルドは一人で深く頷いた。

 その時だった。

 怪しげな気配を感じたのは。


「リベリオ殿」

「分かってる。中央教会の手先だな?」

「私が相手しよう。リベリオ殿は、パルミロ殿に緊急事態を伝えてくれ」

「……今度こそ必ずとどめを刺せよ」

「案ずるな。既に覚悟は決めている!」


 リベリオは聖堂の中に飛び込んで、全員に聞こえるような大声で叫んだ。


「中央教会の手先が来たぞ! 武器を持ってる。パルミロ、アリーチェを守れ!!」


 キャーッと悲鳴が上がり、聖堂は大騒ぎになった。しかし、逃げ出す者はいなかった。誰一人として。


「何……?」


 そんなに大声で知らせては大混乱に陥るぞ、と思っていたエラルドは驚嘆した。

 みな、戦うつもりでいるのだ。悪魔的な中央教会に対し、勇気を持って立ち向かう気でいるのだ!


「なればこそ!」


 エラルドは抜刀した。


「ここにいるみなを私は守る! アリーチェ殿を、そして勇気ある市民たちを、みだりに傷つけさせはしない!」


 かっちりと武装した敵が現れる。その数、五人。

 エラルドは身軽に旅を続けるため、武器はこの剣の一振りだけ。

 だが、十分だ。

 堕落した生活を送り鍛錬を怠っていた中央教会の手先など、毎日必死に鍛錬してきたエラルドに敵うわけがない。


「貴様ら、中央教会の手のものか!」

「如何にも。アリーチェ・ベルティーニとエラルド・シルヴェストリを破門とし、異端審問にかけるため捕らえにきた!」


 やはり、そうか。


「はあーっ!」


 エラルドは腹の底から声を発し、敵に向かって突撃した。

 キィン、と甲高い音がする。エラルドの一撃は剣でもって受け止められた。だが、その程度のことなど予測済み。戦いは初撃の次の動作こそ肝心なのだ。

 エラルドは敵の力を受け流し、その勢いで相手の首を狙った。


「せいっ!」


 敵の首に剣が食い込む。その瞬間、同時に二方向からの敵の攻撃が来た。エラルドは素早く敵の首から剣を引っこ抜くと、剣を大きく振り回して二人の攻撃を凌いだ。まずは右手の一人から片付ける。腹を深々と刺した。さて左は……見るまでもなく、リベリオが加勢に戻ってきたのが分かる。そちらはリベリオに任せて、残りはあと二人。造作もないことだ。リベリオと息を合わせてしゃらりと剣を振るえば、敵の腕が落ち足が砕けた。二人同時にすぐにとどめを刺す。

 おおーっと見物していた市民から歓声が上がった。


「さすがアリーチェ様のお付き。お強くていらっしゃる!」

「やったー! 悪魔の中央教会をやっつけたぞ!」


 何とまあ、アリーチェの影響力の強いことか。よほど説教が上手いのだろう。それはエラルドにもよく分かった。アリーチェの声を聞いていると、心の底から何か奮い立つようなものを感じるのだ。


「リベリオ殿。アリーチェ殿を敵の手の届かないところまで逃がさねばならない。今のうちに移動しよう。ここの修道士に、裏口へ案内してもらうぞ」

「あ、ああ。分かった。すぐにアリーチェと合流しよう」


 こうしてアリーチェ一行は逃げ延びて、近所の別の教会へと身を寄せた。その頃にはすっかり陽も落ちて、辺りは暗くなっていた。

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