聖女と始める宗教改革!

白里りこ

第1話 いざ使命を果たさん


 エラルド・シルヴェストリは、自分には何か使命があると、物心ついた時から感じていた。


 そのため、幼い頃から剣の鍛錬と勉学を怠らなかった。


 特に神学には熱心に取り組んだ。この使命感は神より賜りしものだという確信があったからだ。


 神の手によって記されたという聖書を熟読し、その解説書も読み漁った。


 運良くも高位の貴族の家系に生まれ落ちていた彼は、教皇の認可を得た特別な騎士、聖騎士に立候補することができた。彼の父は彼を教皇のもとへやるのを嫌がっていたが、彼がどうしてもと言うと無理には止めなかった。こうして二十歳にして彼は、この世界で最も神に近いとされる教皇に仕える、聖騎士となった。


 晴れて教皇のおわす中央教会で働くこととなったエラルドは、しかし、すぐに落胆した。


 中央教会は堕落しきっていた。


 免罪符、というものがある。

 教会に寄進をするともらえる代物で、これがあれば現世の罪は全て赦され、死後天国に行けるという。

 教会はこれを売り捌いてボロ儲けし、その金で奢侈に耽っていた。


 修道士たちは毎日たらふく飯を食い、酒を飲み、丸々太っていた。更に高級な衣服や装飾品、調度品などを買い集め、悦に入っていた。

 教会の建物も贅を尽くした仕様に建て替えられていた。金の細かな装飾が至る所に施されており、高名な芸術家が造り上げたステンドグラスも山ほど嵌め込まれて、室内にいても眩しいほどだった。


 そんな中でも聖騎士エラルドは清貧を貫くことを決意した。きっと自分の行動が周囲を変えていくだろうと信じて。

 毎朝早起きして剣の鍛錬をし、食事は最低限のものにし、常に質素な衣服を纏っていた。

 周囲にも自分と同じ行動をとるよう、事あるごとに進言していたが、これが一向に相手にされない。他の聖騎士や修道士たちは、エラルドの質素な服を貧相だと笑うばかりで、自らの行いを悔い改めない。


 自分では力が足りないのか。このまま、成すべきことを成し得ぬまま月日が過ぎてゆくのか。無力感に襲われながら、今日も一人で朝の鍛錬を終了する。部屋で黒い修道服に着替え、聖騎士専用の十字架の首飾りをし、灰色がかった髪をきっちりと結い直した。大聖堂へ向かうため一旦外に出たところで、何やら広場が騒がしいことに気づいた。


 不審に思ったエラルドは、人だかりのある方へと歩いて行った。荘厳な彫刻作品に彩られた、中央教会の門扉。そこに、いつもとは違う何かがある。教会の外側に向けて、紙が張り出されている。


「百箇条の論題」


 一番上にでかでかとそう書かれていた。

 その下に第一条から第百条までこまごまと綴られているのは、全て、現在の中央教会の堕落ぶりへの批判と、修道士は本来の信仰に立ち返るべきであるという主張であった。更に、この説に反する者は悪魔的存在であると断じ、そのような者との戦いに勝利し神に貢献すべきだ、とも論じている。


 その通りだ、と言う市民もあれば、けしからん、と言う修道士もあった。紙を剥がそうとする者、紙を守ろうとする者、上を下へのの大騒ぎである。そんな中でエラルドは、つうっと一筋の涙をこぼして、張り出された紙の前にへたりこんだ。

 人々はざわついた。


「何だこいつ」

「あっ、そのみすぼらしい姿は、変人聖騎士……」

「な、泣いてらっしゃる?」

「あのうエラルド様、どいてくださいませんか? 私はこれを剥がすように仰せつかっておりましてね」

「ならん」


 エラルドは言った。


「聖騎士の名において命ずる。これを剥がしてはならん。君たちは下がりたまえ」

「し、しかし大司教様がお怒りになっておられます。悪魔とは何ぞ、戦いとは何ぞと」

「怒らせておけばよい。お前が怒られた場合は私の名を出して黙らせよ。よいな?」

「は、はい……」


 修道士は立ち去った。

 エラルドはすっと立ち上がると、周囲を見回した。


「誰ぞ、これを記した者を知らぬか。私はその者に会いたい」


 ざわざわと人々はお喋りをやめない。その中から「アリーチェ様」という声がした。


「アリーチェ様」

「聖女アリーチェ様」

「アリーチェ様、万歳!」

「アリーチェ……。サンクタ・レオ教会の修道女か。最近やたらと市井の人々の人気を集めていると聞くが……」


 まだ朝も早い。中央教会での毎日の儀式が始まるまでには間がある。そこでエラルドは中央広場を出て、サンクタ・レオ教会までてくてくと歩いて行った。一部の市民たちもぞろぞろとついてくる。


 教会の前には、剣を携えた二人の若い男たちが待ち構えていた。二人ともまだ十代後半といったところか。若いながらも闘気が漲っている。


「失礼仕る」

 エラルドは声を張った。

「ここにアリーチェという修道女がいると聞いたが、間違いないか」


 二人は立ち上がった。

「おいでなすった。中央教会の奴だ。ふうん、なかなかの美丈夫だね?」

 金髪の方が言った。

「……捕まえに、来たのか。アリーチェを……」

 黒髪の方が言った。


「いいや!」

 エラルドは声高に宣言する。

「私はアリーチェ殿と面会に来た。あの素晴らしい張り紙をした人物に、一目会いたいのだ」


「嘘はいけないなあ、聖騎士さん」

 金髪の方が剣に手を触れた。

「質素に変装していてもバレバレさ。その首飾りは聖騎士専用の特注だね? 中央教会のお偉いお偉い聖騎士様が、あの張り紙を許す訳がない。お前、アリーチェを捕まえに来たんだろ」

「そんなことは……俺は許さない……」

 黒髪の方もゆらりと構えを取った。


「確かに私は中央教会の聖騎士。その名もエラルド・シルヴェストリだ!」

 エラルドは怯まず堂々としていた。

「私は他の者とは違い、清貧の誓いを実行している身である。今の中央教会の有様にはほとほと呆れ果てていた! 周囲に諫言しても一向に態度を改めようとはせん! 自分の無力さを嘆いていた時、あの張り紙が現れた! 権威ある中央教会に物申したその勇気には敬意を表したい! そして私も仲間に入れて欲しい! そう思い、ここへやってきた次第だ!」

「でかいでかい、声がでかい」

 金髪の方が顔をしかめた。

 黒髪の方は虚ろな目でこちらを見てきた。

「……お前、アリーチェを、捕まえないのか? 捕まえるのか?」

「捕まえるものか。むしろ、そのような者を中央教会が寄越したら、この手で追い払ってしんぜよう!」

「つってもなぁ。どうも信用ならないというか」


 そこへ、「おやめなさい、二人とも」と言う女性の声がした。

 赤毛の修道女が、階段を降りてこちらに近づいてきていた。歳の頃はエラルドと同じくらいか。鋭い目つきをしている。

 彼女は若者二人の間を通り過ぎ、しゃんとした姿勢でエラルドの前に立った。


「聖騎士のエラルド・シルヴェストリ様ですね? お噂はかねがね。わたくしは修道女のアリーチェ・ベルティーニと申します。中央教会の門に『百箇条の論題』を張り出したのは、他でもないわたくしにございます」


 凛とした声からは、神に仕える者としての揺るがぬ覚悟が伝わってきた。エラルドは軽く一礼した。


「お初にお目にかかる、アリーチェ・ベルティーニ殿。あの紙を張り出したその勇気は素晴らしい。私にはできなかったことだ。よくぞやってくだされた。しかも百箇条とは! 相当な努力をなされたと見受けられる」

「大したことではございません。わたくしも神に清貧を誓った身、そして神学を学んだ身でもあります。加えてわたくしは、物心ついた頃からとある使命を感じておりました。神のため人々のために尽くしなさいという使命です。ですからこれは、当然のことをしたまでなのです」

「何と!」


 エラルドは一段と声を張り上げた。


「私も幼き頃より使命を感じていた。それが何かも分からぬまま、これまで鍛錬と勉学に勤しんで生きてきたが、今ここではっきりした。私の使命とは、アリーチェ殿、貴殿をお守りし、中央教会に改革を起こすことだったのだ!」


「ちょっと待ったあ!」

 先ほどの若者二名が飛び込んできた。

「さっきから何をくそまじめに話してるのかと思ったが、そいつは聞き捨てならないぞ! アリーチェを守るのは俺たちだ! 手柄を横取りしてもらっちゃ困るね」

「俺も……アリーチェを守るためにここにいる……!」

「おっと、これは失礼」


 エラルドは一歩下がって、二人に居場所を譲った。


「アリーチェ殿の護衛には先輩がおられたか。市民の護衛業の方とお見受けするが、名は何と申される?」

「俺はリベリオ! この根暗な奴がパルミロだ!」

「……」

「そうか。アリーチェ殿、リベリオ殿、そしてパルミロ殿。どうかこの私エラルドも、アリーチェ殿の護衛の末席に加えてはいただけぬか?」


 三人は顔を見合わせた。アリーチェは頷いた。


「んー、いいぜ!」

 リベリオは言った。

「ただし、今そこに来てるお前の元お仲間……中央教会の連中をその手で斬れるならな!」

「何?」


 エラルドは振り返った。

 市民たちがどよどよと道を開ける。


 そこには確かに、中央教会から派遣された、同僚の聖騎士とその一団が、隊列を成してやってきていた。

 同僚はエラルドの姿を見て怪訝な顔をした。


「変人……失礼、エラルド殿ではないか。ここで何をしている?」

「私はこのアリーチェ殿から話を聞いていたところだ!」

「これはこれは、わざわざ案内ご苦労。……アリーチェ・ベルティーニ!」


 同僚は声高に呼ばわった。


「貴様を異端審問にかけると、教皇様が仰せだ。おとなしく我々についてこい!」

「お断りします!」


 アリーチェは堂々と返事をした。その声にはいささかも怯えた様子はなかった。


「ならば力尽くで連れてゆくまで。お前たち、かかりなさい!」


 聖騎士は手下の騎士たちに命令を下した。十名ばかりの武装した男たちがワッと取り押さえに走ってくる。


「させるかよっ!」

 リベリオは叫んだ。

「……許さない……」

 パルミロは呟いた。

「アリーチェ殿こそ真の聖女。異端審問になど行かせるものか!」

 エラルドも言った。


 三人はそれぞれに剣を抜いた。


 それを見た敵も各々の剣を抜き払う。


 ガキーン、と金属のぶつかり合う音が鳴り、市民たちの間からは悲鳴が上がった。


「皆さん、お逃げなさい!」


 アリーチェは言ったが、本人はその場から動かない。それほどまでにこの二人の護衛に信用を置いているのか。なれば、エラルドも期待に応えねばなるまい。


「さらば、中央教会よ! 私はアリーチェ殿につく! これが聖戦の始まりだ!」

「この変人が! とうとう気が狂ったか!」


 同僚が怒鳴った。


「仲間に刃を向ければ、聖騎士の座を失うどころか、教皇様に破門されてしまうぞ!」

「構わぬ!」


 エラルドは敵を一人切り捨てた。そのまま流れるような動作で剣を操り、次の相手の振り下ろしてきた剣を受け止める。


「私はこの世界を変えるために生きてきた。今が決断の時なのだ!」

「こんな若輩者どものちゃちな反逆ごときで、何を言っている! 正気に戻れ! 剣を振り回すのをやめろ!」

「やめぬ!」

「やめろーっ!」

「やめぬわーっ!」


 エラルドは目前に迫った同僚を斬った。

 そして次なる攻撃に備えたが、一向に来ない。疑問に思って周囲を見渡す。

 十人の騎士たちはみな、地面に転がっていた。リベリオとパルミロが、順々に容赦なくとどめを刺している。

 エラルドは驚いた。この二人、華奢な見た目によらずなかなかの手練れだ。


「き、貴様ーッ」


 同僚は激怒した。胸部から出血しているが、致命傷ではない。肥満のせいだろうか。


「よくもこの私に! 傷を負わせたな! 許さぬ、許さぬぞ! この件は必ず私から教皇様に奏上する!」

「待て、逃げるな!」

「いいや逃げる!」

「逃げるなーっ!」

「逃げるわーっ!」


 同僚は手下を置き去りにして、馬に乗って走り去った。後には血痕が生々しく残った。


「おい」


 呼ばれて振り返ると、リベリオとパルミロがこちらに剣を向けていた。


「今、手心を加えたろ。あの聖騎士に」

「……何故……殺さなかった……」


 エラルドは目を逸らした。


「すまない。あやつは私の同僚で、よく見知った奴だったのだ。つい」


 二人は殺気立った。


「やっぱり斬れねえのかよ、お仲間を! この中央教会の犬めが!」

「……その程度の覚悟の奴を、アリーチェの護衛には、置けない……」

「む」


 エラルドは恥じ入った。


「お二人の申される通りだ。私にはまだ覚悟が足りなかったのかも知れない。しかし約束しよう、これからは誰が相手であろうと……」

「いいや、信用ならないね。お前は信用ならない。今ここでそれが証明されたんだ!」

「……お前ごときに、アリーチェの命を預ける訳には、いかない……!」

「おやめなさいったら。剣を下ろしなさい、リベリオ、パルミロ」


 アリーチェが二人の肩に手を置いた。二人は渋々、剣を下ろした。アリーチェは改めてエラルドに向き直った。


「この度はこの二人が御無礼を。大変申し訳ございません。エラルド様には、わたくしのために戦ってくださったこと、感謝申し上げます。お陰で今もわたくしはこうしてここに立っていられます。エラルド様も先ほど決心を固めたばかり、そんな中で元お仲間に剣を向けられるのは、さぞおつらかったことでしょう。重ね重ねありがとうございます」

「いや、私こそ、せっかく信頼を寄せていただいたのに、それを裏切るような真似をしてしまい申し訳なかった。感謝ならば、リベリオ殿とパルミロ殿に。彼らはあなたによく忠義を示された。聖戦を戦い抜かれた。立派な御仁だ」


 当の二人はというと、不服そうだった。


「おい、こいつを信用するのかよ、アリーチェ?」

「……こいつのせいで、アリーチェに危険が及ぶのは、嫌だ……」

「二人とも、よくお聞きなさい。エラルド様こそ立派な方です」


 アリーチェは言い聞かせた。


「エラルド様は、あの唾棄すべき穢れた中央教会にありながらも、ただ一人清貧を貫き、修道士たる志をお忘れにならなかった。言わば、汚泥の川に注ぐ一筋の清水のようなお方なのです。そんなエラルド様に直々に味方についてくださると言っていただけたことは、光栄なことなのですよ」


 リベリオは、むすっとした顔で何も言わなくなった。パルミロも、昏い色の眼を逸らして無言になった。


「私は」

 エラルドは口を開いた。

「そのような評価を受けるに値しない。アリーチェ殿の方が遥かに気高く、勇敢であられる。そして私はそんなアリーチェ殿をお守りすると決意した身。よって、アリーチェ殿、私への敬語は不要です。名も呼び捨てていただいて構わない」

「ですが、聖騎士様にそのような無礼は……」

「無礼などではありません。いずれ私は聖騎士を除名されるでしょう。そもそも神の前では人はみな平等であり、中央教会の定めた序列など無意味です。そうではありませんか?」


 アリーチェはしばしの間俯いたが、やがて顔を上げて真っ直ぐにエラルドを見た。


「分かりました。では以後、あなたにはリベリオやパルミロにするのと同じ接し方でお話しいたします。よろしくお願いします、エラルド」

「はっ。このエラルド、今度こそは、身命を賭してアリーチェ殿をお守りします!」


 エラルドの声は、血溜まりばかり広がるひとけの無い町に、朗々と響き渡った。

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