漫画週刊誌の日


 私は、なぜ勉強をするのか。

 この疑念は、俺たち子供しか理解できないものでは決してない。


 なぜなら、どんな大人にこの難題を吹っかけてみても。

 返る言葉は。


 ああ、俺も私も。

 学生時代はそう思っていたなあ。


 ということは。

 誰もがこの命題に。


 正しい解を導き出すことが出来ないのだ。


 ……そう考えていたのはつい最近までの事。

 でも、どうやら間違っていたらしい。


 勉強が、どう重要なのかということは。

 全ての大人が理解しているのだ。


 ではどうして子供の疑問に答える事が出来ないのか。


 それは、必要なことだと力説しておいて。

 自分が実践しないわけにいかないからに他ならない。


 聞いた話には。

 夜、勉強している両親の姿を見て育った子は。

 当たり前のように勉強をするとのこと。


 愛する者の真似を。

 子供はしたがるのだから。



 だから、大人たちよ。

 他人に命じるならば自らの背で語ると良い。


 俺は、勉強する秋乃の姿を見て、自分も勉強するようになった凜々花を見て。


 この真実にたどり着いたのだ。



 ……だが。

 そうすると、一つ疑問が生まれる事になる。



 …………俺。


 たしか、凜々花の前で。


 ずーっと勉強してたと思うんだが?




 ~ 三月十七日(木) 漫画週刊誌の日 ~

 ※背信棄義はいしんきぎ

  道義を棄てて裏切ること




「また勝った!」

「さすがにウソだろ?」

「それが、本当なんだよね……」


 昨日の夜から先。

 凜々花と親父は、事あるごとにじゃんけんをしてきたらしいんだが。


「分かりやすいパターンになってたりしてねえ?」

「まったくそんなことないと思うんだけど……」


 今の勝負でぱんぱかぱーん。

 記念すべき百勝目をあげた凜々花の強運にはさすがに恐怖すら感じるのだが。


 それよりも。


「…………いや、気持ちは分かるがそこまで落ち込むな」

「そうは言ってもさ、一勝もできないなんて、ちょっとあり得ないよね?」

「あ、明後日はきっといいことありますから……」

「こら。なぜに明日を飛ばした」

「い、一日じゃちょっと無理かなって……」


 たった一日でやつれ切った親父が自室に籠ろうとするその背中に。

 中途半端な励ましの声をかけたこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 今日は学校で、随分迷惑をかけて。

 晩飯を度馳走する運びになったから。


 バイトを終えた足で、こうして我が家に招き入れたわけなんだが。


「励ますんならちゃんと励ませ」

「う、うそは良くないと思う……」

「凜々花も。ちょっとは手加減してやれよ」

「本気だしてねえよ? 手ぇ抜いてるのに勝っちまうんだもん」

「ま、まるで手加減したら負けることができるような会話……」


 秋乃は呆れ顔を浮かべながら食後のお茶をすすっているけれど。


 まあ、この冗談みたいな確率になるはずはないが。

 じゃんけんって言うのはしっかり推理すればそこそこわざと負けることができるんだ。


「おにいもじゃんけん弱いよね?」

「バカを言え。肝心な時には勝ってるだろ? 俺はどうでもいい時はわざと負けてたんだ」

「んじゃ、じゃんけん」

「ぽい」

「……り、凜々花ちゃんチームの圧勝」


 じゃんけんにチームも圧勝も無いんだが。

 まあ、そういうことだ。


 俺は凜々花に十回に一回くらいしか勝てないから。

 推理してワザと負けていると、自分に言い聞かせて生きて来た。


 ……こいつの運は。

 誰よりも太い。


 きっと入試の時も、この強運で。

 自分の覚えてる問題ばかりが出題されたんだろう。


「だからって、主席とか……」

「そ、そうだった。おめでとう、凜々花ちゃん」

「いいっていいって褒めなさんな! 凜々花、天才だからさ! 向こう三年勉強しないでもずっと主席間違いなしなんよ!」


 ああ、お前は天才だ。

 たった数週間勉強しただけで絶望的な学力がそこそこまともになったんだから。


 でも、天才というものはこうしてマイナスに働くことが多々あるわけで。


「お前、試験が終わってから一分たりとも勉強してねえだろ」

「ちょっとはやったよ? 舞浜ちゃんみたいに綺麗な円書きたかったからさ、円周率百桁覚えたんだけど」

「お、おお」

「でも丸書いても綺麗にならないんよ」


 それは当たり前。

 果たして秋乃の頭の中でどんな数式がどう展開されてるのか想像もつかないが。


 常識的に考えて。

 円周率覚えてたからってフリーハンドであんな綺麗な円は書けん。


「だからもう、勉強しないでいいかなーって」


 秋乃のおかげでやる気を出してくれたかと思ったが。

 単に、丸を綺麗に書きたかっただけだったか。


 でも、そうやってマンガ雑誌積んでゴロゴロしてるのは良くない。

 活字にいつでも触れさせておかないと、あっという間に劣化する。


「本を読め」

「読んでるよ?」

「マンガじゃなく。参考書とか」

「毎話、オチがあるなら……」

「売れそうだけども」


 数学の参考書に各ページオチを考え出せる天才がこの世にいるとしたら。

 それこそお前だけだろうよ。


 しかしまいったな。

 活字離れは勉強しなくなる第一歩。


 なんとかこいつに本を読ませねえと。

 そう思って頭をひねっていたら。


 凜々花は、マンガを放り捨てた。


「……うーむ」

「どうした凜々花。さすがに勉強しないとまずいって思ってくれたのか?」

「そじゃなくて」

「じゃあなんで」

「読むのがめんどい」

「わ、分かる……」

「マンガですら!?」


 いよいよ信じがたいことを言い出した凜々花も凜々花だが。

 分かるってどういうことだよ秋乃!


「こ、こんなこともあろうかと……」

「おお、気持ちが分かるなら対策も分かるってか。どうすればいいんだ?」

「あたしからのプレゼント……」


 そう言いながら、秋乃がカバンから取り出した一冊の本。


 そのタイトルは。



 『絵本で覚える世界の歴史 12 ニコラ・テスラ』



 …………なにそれ?

 しかも、ニコラ・テスラとはまた随分とんがったセレクトだな。


 だが、ひとまずよくやった。

 凜々花も興味を示して秋乃と一緒にページをめくる。


 ろくに文字も書いてないけど。

 これをきっかけに、伝記を読み始める事になれば……。


「……うーむ」

「どうした」

「読むのが辛い」

「わ、分かる……」

「絵本ですら!?」


 見開きに三行くらいしか書いてねえじゃねえか!

 それでニコラ・テスラのなにが分かるんだってツッコミたいの我慢してた俺の身にもなれ!


「こら凜々花! いいから文字を読め! あと秋乃!」

「は、はい……」

「お前、絵本大好きだろうに! 凜々花に無理やり合わせて気持ちが分かるとか言わなくてもいいんだぞ?」

「む、無理やりじゃないよ?」


 ウソをつけ。

 そのわたわたは、図星を指されたやつ。


「じゃあ凜々花ちゃん。テレビ見よ?」

「そーしよーそーしよー!」


 うわ。

 最悪だ。


 能動的に頭に入れる文字と違って。

 受動的に情報が目から入るテレビは、勉強への積極性を著しく下げる。


 だが、俺が止めるのも聞かず。

 二人はリビングソファーに飛び込むと。


 電源を付けたテレビには。

 出初式の様子が映し出されていた。


「おお! すげー!」

「や、やってみたい……」

「言うと思った」


 しょうがねえな。

 でも、テレビで見た方が印象深くて覚えやすいか。


 意地でも勉強に結び付けてやる。


「これは、出初式っていうんだ」

「おにい! あれ、どこで出来るの?」

「…………これは見るもの。やるものじゃなく」

「えー!? 舞浜ちゃんも、やってみたいよね!」

「うん……。梯子上るの、憧れる……」

「「そっち!?」」

「は、梯子って、登る機会無いから……」


 そうだけどさ。

 パフォーマンスの方じゃねえの?


 さすがに凜々花も今の発言には呆れたようで。

 俺と一緒に、ぽかんと秋乃の顔を見つめていたんだが。


 そのうち、どういう訳か首を左右に振って目を閉じた秋乃が。


 テレビの電源を切ってしまった。


「……うーむ」

「どうした?」

「読むのが辛い」

「テロップですら!?」

「そうだよね、凜々花ちゃん?」


 活字に抵抗を覚え始めた凜々花に同調し続けてきた秋乃が。

 ここでも凜々花に媚をうったんだが。


「さすがにそりゃねえよ舞浜ちゃん」

「えええええええええ!?」

「うはははははははははははは!!! 登れたじゃねえか、梯子!」


 苦労の甲斐なく。

 凜々花に梯子を外された。

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