円周率の日


 ~ 三月十四日(月) 円周率の日 ~

 ※甘井先竭かんせいせんけつ

  天才は衰えも早い




 春休みに旅行に行こう。


 これは秋乃から俺にお願いしてきたものであり。

 そしてクラス中に蔓延する一大ブーム。


 いつものメンバーで行くことになりそうではあるが。

 それでもみんなが気を使って。

 俺たちを二人にする機会も多いはず。


 ……ここのところの慌ただしさで。

 すっかり忘れていたんだが。


 俺は、秋乃の彼氏だ。

 ちょっとは、なにか、こう。


 進展みたいなものが待っているはず。


 とは言えまたぞろ頭の中を占拠し始めた妄想を叶えるには。


 先立つものが必要なわけで。


「バカ妹、受かったんだってな! 合格祝いをやろう!」

「やたー! あねごちゃん、ありがとー!」

「おいバカ兄貴! こいつの好きそうなもの、バンバン持ってこい!」

「……ほれ。粗茶だ」


 俺は、金を稼ぎに来てるんだ。

 凜々花に好きなだけ食わせた日にゃ。


 カンナさんは、俺の給料から天引きするに決まってる。


「こらバカ兄貴! あたしがおごるって言ってんだ、気の利いたもん持ってきやがれ!」

「まあ、ここは気持ちだけ渡しとけよ」

「それは受け取る側が使う言葉だ!」

「大丈夫だって。凜々花が食う分は、そこの万馬券当てやがった男が出すから」

「おにいちゃん! そんなこと大声で言うもんじゃないよ!?」


 日曜日。

 凜々花の合格祝いが随分豪勢になったんだが。


 その程度では到底無くならない程の大金を当てた親父が。

 五人前くらいのバーガーを抱えてテーブルに戻って来ると。


 さらに、もう二人前程度のバーガーをトレーに乗せて。

 同じテーブルに腰かける制服姿は。


 舞浜まいはま秋乃あきの


「お前、堂々とサボるなよ……」

「だ、だって。凜々花ちゃんの合格祝い……」

「もう何回目だと思ってんだ。とっととレジに戻れ」


 拗音トリオが俺たち抜きで部活をしてるせいで働き手がいないんだ。


 今も、長蛇の列がこのテーブルをにらみつけてるじゃねえの。


「レジ打てって」

「じゃあ、立哉君が代わりにレジへ……」

「そうはいかねえ。厨房で悲鳴上げてる店長んとこにこいつ連れてかなきゃいけねえからな」


 俺は、秋乃とカンナさんの首根っこを掴んでそれぞれの適所へ配置した後。


 ボーナス期待で、自分も不本意ながら適所へ向かおうとしていたところで。


 ……凜々花に。

 足をかけられて思いっきりすっころんだ。


「ぐおおおおお! ふざけんな! 鼻打ったじゃねえか!!!」

「なあおにい! 春休みの旅行の話なんだけど!」

「そんなことで足引っ掛けるな! 場所は春姫ちゃんと親父とで決めろよ。俺は別件で旅行決まってるから、一緒に行けねえって言っただろ?」

「行き先の話じゃねえよ。そんなことで足引っ掛けて止めねえよ」

「ああ、そうなんだ。じゃあなんの相談だ?」

「金出してくんね?」

「ほんとふざけんなよお前……」


 人様を転ばせて頼む話じゃねえからな?

 それにそういうことは、目の前の万馬券様に頼みやがれ。


 俺は反撃とばかり。

 凜々花の頭を掴んで揺さぶると。


 遊んでもらってると勘違いしたのか。

 キャーキャー喜び始めるとか、たちが悪い。


「い、いいな……。立哉君だけ遊んで……」

「そう言いながらレジから出てこようとすんな!」

「じゃあ凜々花、舞浜ちゃんの代わりにレジ打つ!」

「てめえは大人しくその数千キロカロリーを胃に詰め込んでろよお客様!」


 ああもう!

 普段から騒がしいこいつだが。


 受験が終わってから、倍以上にめんどくさくなった!


 それというのも。


「お前、まるで勉強しなくなりやがって……。せっかく習慣づいてたんだ、毎日決まった時間机に向かえ」


 凜々花が絡みついてくるせいで。

 せっかく自分の勉強に集中できると思ってたのに、まるでできん。


 高二の夏から受験戦争は始まっていると世間では言われているというのに。


 これじゃあ目標にしてる大学に入れなくなるやもしれん。


「お前だって、高校生になったらマグロの一本釣り以外になりたいものが見つかるかもしれんだろ」


 そのために進学したいと思っても。

 間に合わなくなるかもしれんのだ。


 生まれた頃は無限の可能性があった未来の姿。

 それを狭めるようなまねするんじゃねえよ。


 年中口にするこの説教。

 みなまで言わなくても凜々花に伝わる。


 でも、この話をすると。

 決まって逃げ出してた凜々花が。


 珍しく真面目な顔で聞いてきた。


「なあおにい。勉強って、なんでしなくちゃいけねえの?」

「そりゃ、よりいい学校に進学するために……」

「そじゃなくてさ。学校って、大人になるのに必要な知識を教えてるわけじゃん?」

「ああ、そうだが」

「凜々花、思うんだけどさ。大人が円周率使うとこ見たことねえんだよね」


 でた。

 勉強しねえ奴らの常套句。


 舞浜軍団一同揃って、平城京がいつできたか覚えたところで何に使うんだと俺に食って掛かって来たことを思い出しながら。


 そう言えばあの時も。

 今みたいに口ごもったんだ。


 そんな状況に割り込んできたのは。

 意外なことに、万馬券様だった。


「えっとね、凜々花ちゃん。パパ、円周率、百桁言えるんだよ? 凄くない?」

「…………きもい」

「一刀両断!?」

「それ、なんかの役に立つん? 使う必要がある時に調べりゃいいじゃん」


 ぶっちゃけてしまうと。

 正直、俺もそう思う。


 でも、親父は。

 珍しく納得のいく話をしてくれた。


「パパはね? 円周率を中学生のころ覚えたんだ。でも、今覚えようとしてもそうはいかない」

「なんで? きもい行為だって分かったから?」

「そうじゃなくて。若いうちの方がものを覚えやすくて、としを取っても忘れないんだ。だから今のうちに、なんでもかんでも頭の中に詰め込んでおくのは理に適っているんだよ」

「…………おお。すげえ理解できた」

「でしょ?」

「だってパパ、昨日食べた昼飯を思い出せないもんな……」

「それは覚えなくていい知識だからね、凜々花ちゃん」


 ……結局のところ。

 いらなそうな知識をなんで覚えなきゃいけないのかという問いに答えたわけじゃねえけど。


 でも、今のうちに勉強しといた方がいいってことの。

 裏付けにはなっている。



 たまには役に立った親父の言葉が。

 凜々花の勉強欲に火をつけたとは思えないが。


 でも、炭の一欠けら程度には。

 間違いなくなっているはず。



 俺は、株をあげた親父の顔を見つめて。

 珍しく感心していたんだが。


 そんな視界の片隅から。

 また仕事をサボって寄って来た女が、テーブルに紙を広げると。


 凜々花の目がまん丸に見開かれるほど。

 フリーハンドで、綺麗な正円を書いてみせたのだ。


「なにその手品!? 舞浜ちゃん、すげえ! どうやったの!?」

「えっと……、まず円周率を使って……」


 秋乃博士による解説は。

 俺をはじめ、到底常人に理解できるものでは無かったのだが。


 でも、凜々花はいちいち頷きながらその説明を聞き終えると。


「分かった! 凜々花、早速円周率覚える!」

「うん……。勉強、全部役に立つんだよ……」

「よっしゃ燃えて来た! 入学前に、教科書全部覚えてやる!」


 そして、凜々花に火をつけた理数系最強の教授は。

 結果、役立たずに終わった男二人を尻目に。

 悠々と、レジへ戻って行ったのだった。



 ……そんな秋乃に。

 俺は、小さな声で聞いてみる。


「…………平城京、何年に出来たか言ってみろ」

「べつにそんなの知らなくても、レジは打てる……」

「うはははははははははははは!!! このペテン師!」


 まあ、今日の所は。

 その功績に免じて。


 チョップ一発で許しておいてやろう。

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