鯖すしの日


 ~ 三月八日(火) 鯖すしの日 ~

 ※杯水車薪はいすいしゃしん

  手助けが足りず役に立たない




 フランス語の。

 『サヴァ』とは。


 気軽な挨拶としての。

 『元気?』とか。


 相手を気遣う時の。

 『大丈夫?』とか。


 そんな意味を持つ。

 普段使いの優しい言葉。



「サバ?」

「サバ」


 そんな挨拶を交わすのは。

 我がクラスのマスコットコンビ。


 小さくて可愛らしいきけ子と。

 大きくてめんどくさい、舞浜まいはま秋乃あきの


「サバ……」

「サバ、サバ」


 明日は保健の筆記があるから。

 こればかりは、女子同士で一緒に勉強させるしかない訳なんだが。


「サバ」

「サバ」


 こいつらさっきから。

 なにを遊んでやがるんだ。


「お前ら効率悪いぞ? 昼飯前には終わらせろよ?」

「そんなに早くできるわけないのよん!」

「そ、そうなの……、よん」

「じゃあ無駄話してるんじゃねえ」


 さっきからずっと。

 サバサバサバサバと。


 どうしてフランス語なんかで遊び始めたんだ。


「無駄話じゃないわよ。どうすればもっと楽に覚えられるかって考えて……」

「ネットで調べたら、サバが良いって聞いたから……」

「そんな即効性あってたまるか」


 なんだ、フランス語じゃなかったのか。

 しかし呆れたやつらだな、なんでもかんでも食いもんで解決しようとすんな。


 そんなだから、ダイエットにいいって聞いた食いもんをがばがば食って、次の日に泣くことになるんだよ。


 まあ。

 それはさておき。


「偶然にも、昼飯はサバ味噌だ」

「おお! やった!」

「こ、これで試験勉強しないで済む……」

「食っただけで知識が身につく物なんかこの世にねえ」


 どんな理屈でそんなことを考えたのやら。

 途端に目を輝かせ始めたどうしようもない二人。


 その目の前にタッパーを出して蓋を開くなり。


「なまぐさっ!」

「なまぐさ……」

「もうお前ら、昼飯抜きな」


 泣いてすがってもダメなもんはダメ。

 食い物に対してそんなこと言うやつらには兵糧丸ひょうろうがんで十分。


 でも、自分の分だけ調理を始めた俺にすがるばかりで。

 まるで勉強しないではしょうがない。


 しょうがないから、真面目に勉強することを条件に。

 二人の分も、作ってやることにした。


「お前ら、文句ばっか言ってるけど。三年の授業はもっと難しいんだからな?」

「げ。何が一番難しいのん?」


 どうだろうな。

 きけ子は英語が苦手だから。


「第二外国語じゃねえの? 英語以外にもう一つ外国語の授業がある」

「……そげなものは、むっかすない」

「鹿児島がいつ独立した。日本政府は認めてねえぞ」

「でもでも、秋乃ちゃんも外国語苦手だもんね! なかーま!」

「ところがどっこい……、よ?」

「え……? まさかの裏切り!?」


 勉強に、よっぽど飽き飽きしていたんだろう。

 きけ子が席を立ってオーバーなリアクションをとると。


 それに合わせるかのように。

 秋乃は、ふふんと鼻を鳴らして嫌味な悪役お嬢様になりきりながら。


「サヴァ?」

「へ? ……サバ?」


 ああそうか。

 つい忘れちまいがちだけど。


「そりゃ余裕ぶっていられるのも納得だ。秋乃のお袋さん、フランス人だからな」

「サヴァ」

「…………使い方、知ってる?」

「サヴァ?」


 まるで意味を分かってない秋乃と。


「うそよお母さんがフランス人なんて信じないからあたしは!」

「何度か会ってるじゃねえかてめえは!」


 それを裏切り行為と決めつけて認めようとしないきけ子。


 こんなどっちもどっちちゃんズに。

 俺は三年になったら、さらに苦労しながら教えなきゃならんのか。



 そうこうしているうちに、魚が美味しそうに焼きあがったから。


 ひとまず将来の苦悩と教科書を机の中に押し込んで。

 昼飯の配膳をはじめる。


「でもさ、いくらなんでもちょっとは喋れるんだろ?」

「な、なにを?」

「フランス語」


 そんな質問に返事をしたのは。

 ぴたっと止まった秋乃の右手。


「おい。お前、お袋さんの母国語だろうに……」

「しゃ、喋れるよ? もちろん……」

「だよな。もしかして、ペラペラなのか?」

「サヴァ?」


 …………いや。

 だから、使い方間違ってるって。


「試しに、いくつくらいの単語知ってるか言ってみろ」

「じゅ……、ひゃ、百個くらい……」


 目が、サバ以上の速さで泳ぐ秋乃の返事を聞いて。

 きけ子が上手いことを言い出した。


「……サバ」

「うはははははははははははは!!!」


 だよな!

 今、十個って言いかけてたし!


 でも、その直後に起きた偶然が。

 俺をさらに笑わせる。


「サバ?」

「サバ。……サヴァ?」

「サヴァ……」

「サヴァ?」

「うはははははははははははは!!! な、なり立っとる……!!!」


 え? サバだって思った?

 うん、サバでしょ? そうじゃないの?

 ちがうよ。全然平気で百個は分かる。

 ほんとに大丈夫?


 まさかの会話に腹を抱えて笑っていたが。

 さすがに、サバよんじゃいけねえよ。


「お前ウソつくな。まるで知らないんだな」

「し、失礼……。他にも知ってる……」

「ほう? じゃあ言ってみ?」

「ラフランス」

「がっつり日本語」

「サヴァ?」

「俺は大丈夫。だいじょうぶくないのはお前の頭」


 わたわたしたって、もう透けてるんだよ諦めろ。

 しかしこいつに新しい言語覚えさせるなんて不可能だ。


 遠くない未来に頭を抱えた俺は。

 サバを皿に移す時。


 手元がくるって。

 油を跳ねさせると。


「サヴァ?」


 きけ子が慌てて秋乃に聞いて。


「サヴァ」


 それに秋乃が笑顔で応えた。



 ……おいおい。

 どういうこと?


 ちゃんと使いこなしてるじゃねえか。


 散々遊んでいるうちに。

 使い方を覚えたのか?


 こいつらには押しつけるより。

 体験型学習の方が合っているというのか。


 でも、ちょっと心配になって。

 うまそうにサバを口に放り込む二人がほんとに意味を掴んだのかどうか。

 ちょっと確かめてみる事にした。


「保健の勉強、あと一時間で終わらせろよ。……サヴァ?」

「サバ!」

「サバ!」

「…………ぜんぜん大丈夫そうじゃねえ」


 やっぱり、さっきのは。

 ただの偶然だったようだ。


 今のこいつらには。

 サヴァよりサバで頭が一杯のようだった。



 

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