3.9デイ


 ~ 三月九日(水) 3.9デイ ~

 ※安穏無事あんのんぶじ

  穏やかに、無事に過ごせますように




 急に暖かくなって、春を鼻先に感じる朝の教室内。


 一足先に開いた花が。

 可愛らしく小首をかしげて笑顔で告げる。


「試験勉強の面倒を今までずっとみてくれて、ありがと……、ね?」

「誤魔化すな。ノートを開け」


 ひいんと鳴き声をあげるのは。

 花の妖精、舞浜まいはま秋乃あきの


 残念だが、俺は花に興味は無いからな。

 お前の色香に惑わされん。


 テストはあと二日。

 礼を置いて逃げ出すにはまだ早い。


「で、でも……。いつもより指導が厳しい……」

「当たり前だろ。なんたって、学年末テストなんだから」


 配点的に、三学期分で五十点。

 一、二学期の範囲でもう五十点ってところだろう。


 クリスマス前までの知識をすこんと脳から抜いて。

 電車内に落としものして来たお前が悪い。


「だから、いつもなら口を押えて耳をふさいで無理やり目から知識を押し込むところを、今回は鼻もつまんで流し込まなきゃ間に合わんのだ」

「息が詰まる……」

「そう。勉強というものは息が詰まるほどの緊張感で取り組むもんだ」

「そういう意味じゃなく……」


 ええい、ぐずぐずとうるさい奴め。

 そんな暇があったら英単語の一つも覚えやがれ。


 ……テスト一時間前の教室で。

 押し問答する俺たち二人。


 クラスには朝型人間がそれなり多く集まっていて。

 みんなの迷惑になっていることを自覚してはいるんだが。


 すまんがみんなのことを気にかけてやっている余裕はねえ。

 俺は、自分の知識をすべてこいつに叩きこむという使命感に燃えているからな。


「で、でも……、ね? やっぱりいつもより厳しいと思うの」

「だから、今回は範囲が一年分で……」

「そうじゃなくてね? なんだか、教え方が……」

「何が違うって言うんだよ」


 まあ、当人は厳しいと感じるやもしれんが。

 俺が振るっているものが。

 愛の鞭だということは、みんなには伝わっているはずだ。


 そう思っていたんだけど。

 意外なことに。


 王子くんが、苦笑いと共にそれを否定する。


「あっは! なんて言うか、今回は愛情が足りない感じするよね!」

「え!? うそ!」

「ほんとほんと! ねえ、秋乃ちゃん!」


 秋乃が涙目で首肯すると。

 クラスのみんなも我先にと話に混ざってきた。


「そうだそうだ! なんか今回は、つめてえ感じがする!」

「秋乃ちゃん、びくびくしながら勉強してて可哀そう!」

「語気が荒いし、冷徹だし」

「お前、彼氏なんだろ? ちょっとは考えろよ!」

「まじか」


 自分ではわからなかったけど。

 みんなが言うんじゃ間違いない。


 どうやら、俺。

 厳しくやりすぎてたみたいだ。


「そ、そうか。彼氏として、もっと優しく接してやらなきゃいけなかった」

「うん……。分かってくれたら、助かるの……」


 そう微笑む秋乃の目に。

 うっすらとクマが出来ている。


 そんなことにも気付けないなんて。

 俺は彼氏失格だ。


「これは、罰を受けなきゃならんな」

「そんな必要はないけど……」

「いいや! ここはみんなに手を貸してもらおう! 俺の罰だが、立ってればいいか?」


 秋乃に決めさせるでは俺の気が済まん。

 ここは陪審員にジャッジを任せよう。


「いや! それじゃ生ぬるい!」

「秋乃ちゃんに、美味しいもの食べさせてあげて!」

「そりゃ毎日やっとる」

「じゃあ、家事を一週間代わってやるとか……」

「こいつ、実家じゃ家事なんかやってねえぞ?」

「ええい面倒な奴だなお前は!」

「なにそれ俺が悪いのか?」


 みんなは、じゃあどうしようと頭を抱えているようだが。

 気付けば秋乃はしょんぼり委縮。


 なんだかごめんとは思う。

 でもお前が悪いんだからな?


「じゃあグラウンド二十周!」

「それだ!」

「全力で!」

「手を抜くんじゃねえぞ!」

「お、おう。分かった」


 随分体育会系の罰におさまったな。

 まあいいけどさ。


 でも結局のとこ。

 こいつが納得できるかどうかが問題なわけで。


「お前も、それで勘弁してくれるか?」


 秋乃に確認を取ってみると。

 苦笑いと共にコクリと頷く。


 なんだかはっきりとしねえけど。

 でも。


「よし、走って来るか」

「あ……、待って……」


 俺が覚悟を決めて席を立つと。

 秋乃が慌てて袖を引く。


 そして、一瞬視線を泳がせた後。

 意を決したように呟いた。


「ほんとに、いつもありがとだから……、ね?」


 …………うん。

 でも、その言葉は。


 テストが終わった時まで取っておけ。


「おう。でも、ちょっと重い」

「そ、そう?」

「もっと気軽に言ってくれ」

「じゃあ……。さ、さんきゅー?」

「いいね。実に気軽だ」


 俺は、まるでつきものが取れたような心地でグラウンドに飛び出すと。


 心から今までの態度を反省しながら。

 それだけを考えながら、走り続けた。



 ~´∀`~´∀`~´∀`~



「保坂はどうした。事情が無ければ、欠席として零点にするぞ」

「じ、事情はあります……」

「ほう? 言ってみろ」

「えっと……、あ、あたしは感謝しているのですが、罰を受けていて……」

「よく分からんが、身から出た錆なら事情として認めん」

「じゃ、じゃあ……。じゃなくて、本当は……」

「ちゃんとした事情なんだろうな?」

「さ…………、産休です!!!」

「…………ならば仕方ない」


 俺は、グラウンドで。

 クラスから響く、窓ガラスが割れるんじゃないかって程の笑い声を耳にした。


 そして試験は、残り時間三十分で戻って来て。

 もちろん無事にこなしたのだが。


 どういう訳か。

 試験を終えた俺に。


 みんながレモンを山のように持って来た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る