ミシンの日


 ~ 三月四日(金) ミシンの日 ~

 ※袒裼裸裎たんせきらてい

  すっぽんぽんになること。

  転じて、失礼な振る舞いのこと。




「ひ、ひとまずお疲れ様……」

「お前はそのセリフ吐いてる場合じゃねえからな?」


 凜々花のお疲れ様会が開催された昨日の晩。


 それが終わると、お袋は。

 夜のうちに東京へ帰った。


 心配だ心配だと永遠に繰り返していたが。

 試験直後に春姫ちゃんと共に答え合わせをした感じでは。


 一歩間違えれば。

 今まで二年間、辛抱強く凜々花に勉強を教えてくれていた春姫ちゃんよりいい点を取っているやもしれん。


 さて、答え合わせを俺がしていて。

 お袋が呪文を唱え続けていたわけだ。


 食材を買って来たのは。

 晩飯担当になる度に、お向かいへ出かける親父だったわけなのだが。


 どうして料理をしない男という生き物は。

 平気な顔して十人分くらいの品を買って来るのだろう。


 結果、今夜開催されているのは。

 後夜祭という名の、ようするに余りもの消費会。


 そんな席にご招待したのは。

 春姫ちゃんと舞浜母。


 そう。

 招待したのは二人だけなのに。


「お前は家で勉強してろ」

「ご無体な……」


 月曜日から始まる学年末試験。

 今回も文系教科は怪しいというのに。


 のんびりと、かれこれ一時間。

 カニ鍋をつつくこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


「ほら、とっとと帰れよ」

「そんな……」

「そんなもこんなもバージナルの前に座る若い女もねえ」

「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンディシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」

「…………フェルメール」


 下らんことは面白がって。

 驚くほど完璧に覚えるくせに。

 肝心なことを何にも覚えちゃいねえ。


 今回は芸術だって筆記があるんだ。


「また、後で泣いたって知らねえぞ」

「で、でも……。凜々花ちゃんと春姫にがこんなに頑張ったんだから……」

「だったら次は、お前が頑張る番だと思うが?」

「そんな殺生な……」

「まあまあ! かてえこと言いっこなしだぜおにい!」


 試験から解放されて。

 まるで酔っ払いのようにはしゃぎまわる凜々花が。


 秋乃に抱き着く勢いで。

 椅子に飛び乗ると。



 びりっ



「ん? 誰か引っ張った?」

「またやりやがった……」


 椅子にスカートを引っ掛けて。

 思いっきり破いちまった。


「この粗忽もん」

「それは一方的な話だよ? 見方を変えれば快活で活発な、どこか憎めない女の子!」

「自分で言うな」

「でもだいじょうぶ! 最近は凜々花が服を大破させるたんびにな? 凜々花の舞浜ちゃんにリメイクしてもらってるんよ!」

「脱ぐな脱ぐな」

「てことで! これもなんかに変身させとくれ!」


 椅子から飛び降りて。

 ぱっと見、修復が難しそうなほど破けたスカートを脱ぎ始めた凜々花に。


 舞浜家の三人は。

 一同揃って悲鳴をあげる。


 すいません皆さん。

 これでもこいつ。


 今日はいつもよりだいぶ服を着てる状態なんです。


「いつも言ってるだろうに。普段からやってると、ひとさまの前でも同じことするようになるって」

「え? 女子とパパとおにいしかいねえとこでもあかん?」

「二十四時間三百六十五日いつでもあかん」

「それよりな? 舞浜ちゃん、リメイクのプロなんよ!」

「誤魔化すんじゃねえぞ、脱皮のプロ」

「こないだもさ! 大破したスカートを手提げカバンにしてくれて……」

「え?」


 いや、そりゃウソだ。

 裁縫がまるでできない俺が言うのもはばかられるが。


 こいつの裁縫スキル。

 せいぜい、線に沿って刺繍が出来る程度なんだから。


 でも、実際にリメイクしてもらってるということは。

 ゴーストミシンニストがいるに違いない。


 俺は、春姫ちゃんの様子をこっそりうかがうと。

 案の定、自分の服をリサイズやカスタマイズするほどの腕を持つ彼女は。

 眉をひそめて秋乃を見つめていた。


「カバン……、使ってる?」

「どうだかわからん!」

「え?」

「形がびみょいから、パパにあげた!」

「がーん」

「……ほう? 私の仕事が微妙だったと?」

「へ? ハルキーが作ったの?」

「ううん? あのカバンは、あたしがリメイクした……」

「いやいや。もう、真の作者が名乗り出てるんだから諦めろよ」


 秋乃は、凜々花の前で格好を付けたがるところがある。

 今回のもそうに違いない。


「それに、機械以外は不器用なお前がカバンなんか作れるはずねえだろ?」


 俺は、確信をもって突っ込んだんだが。

 秋乃はなぜか、頬を膨らませた。


「ほ、本当なのに……」

「……疑いたくは無いのですが、いつも誰彼構わず傷んだ服を借りて来ては、リメイクを私に頼んで来るではありませんか」

「こ、今回のは違う……」

「まあいいじゃないか。頼むってことは、少なくともミシンの腕前は春姫ちゃんの方が上だって認めてるんだろ?」

「は、春姫よりあたしの方が上手い……」


 売り言葉に買い言葉。

 秋乃がムキになって反論してきたんだが。


 どうやら、縫物について。

 春姫ちゃんは、大好きな秋乃にも譲れないプライド的なものがあるようで。


「……ほう? では、勝負いたしましょうか」


 舞浜母が、ニコニコ顔で見守る中。

 急きょ、姉妹によるミシン対決が行われることになったのだ。


「しょうがねえなあ。凜々花、お袋のおさがりのミシン持ってこい」

「……マリモだったら握れたのに君の下にあるヤツ?」

「そう。サボテンの台になってるあれ」


 我が家に二台あるミシン。

 真っすぐ縫うだけなら、性能的にはさほど差がない二つをリビングの机に並べて。


「……では、私はスカートを縫うとして」

「秋乃が縫うものが必要だな」

「ほんじゃ、これでいいよ?」



 びりっ



「脱ぐな脱ぐな」


 随分くたびれてたとは言え。

 裾のほつれから、カットソーを裂いちまった凜々花がそれを脱いで秋乃に渡すと。


 舞浜家の三人は。

 一同揃って、さっきよりも大きな悲鳴をあげる。



 ……そりゃそうだよな。

 こいつ、下着着ねえもん。


「だから、いつも言ってるだろうに。普段からやってると、ひとさまの前でも同じことするようになるって」

「え? これもあかん?」

「パンツ一丁で許されたのは石器時代までだ」


 でも、呆れた格好で平然としてる凜々花ではなく。

 叱られたのは俺の方。


「……目くらい隠したらどうなのだ?」

「み、見ていたら可哀そう……」

「そうか。俺も普段から普通にやってたからひとさまの前で同じことするようになってたのか」


 これは気を付けないといけないな。

 俺は、凜々花から顔を逸らして二人へ向き直る。


「じゃあ、真っすぐ縫うだけでいいから。準備はいいか?」

「……いつでも」

「どこでも」

「よーい……、スタート」


 合図と共に、ミシンをかけ始めた秋乃と春姫ちゃん。


 どうせリメイクするということもあって。

 単に、裂けた所を重ねて縫っていた二人の手際はほぼ互角。


 でも。

 途中から急に。


 秋乃のミシンの速度が落ち始める。


 古い品だからかな。

 そう思いながら、ミシンに顔を寄せると。


「ひああああああ!?」

「うはははははははははははは!!! パンツ見えとる!」


 こいつ、自分のスカートを一緒に縫ってやがる!

 慣れねえことするからそんなことになるんだよ!


「……立哉さん」

「うはは! いつもやってると外で恥をかくって言い続けて来たけど、やってなくても恥かくことあるんだな!」

「……いや、そうではなく」

「え?」

「……いつまで見ているのだ?」

「はっ!?」


 無意識で、下の方を向いていた顔を慌ててあげると。

 目の前には、爆発寸前まで膨れた秋乃の顔。


「ふ、普段から凜々花のパンツ一丁を見慣れてたから、つい」


 そして、上手いこと言ってみたものの。

 もちろん鎮火するはずもなく。


 秋乃は、その見事な腕前で。

 まぶたを縫いつけてみせようと言いながら服を掴んで来たので。


 俺は、シャツを脱ぎ捨てて。

 急いで逃げ出した。



「…………もう閉店だぜ、お客さん」

「せめて朝までかくまってくださいカンナさん」

「それは構わんが……、なんで裸なんだよ、お前」

「……いつも家でやってることなんで。つい」

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