親に感謝の気持ちを伝える日


 ~ 二月二十五日(金)

 親に感謝の気持ちを伝える日 ~

 ※寸草春暉すんそうしゅんき

  親の愛情は大きすぎて、子供が

  どれほど恩を返したところで

  微々たるものだということ。




 凜々花の容体は。

 そこまで酷いものではなかったんだが。


 一週間ほど、なにも食うなと言われたことがよっぽどショックだったらしく。

 すっかりやる気も元気も失ってしまった模様。


 それでも健気に机に向かっている姿を黙って見ているのは。

 シスコンの兄には辛いものがあり。


「ちきしょう! 何かあげてえのに、食い物しか思いつかん!」

「だ、ダメなお兄ちゃん……」


 そんな俺に対して。

 ヒーリング音楽なる、実に女子らしい品をプレゼントして。

 すっかり株をあげた、できるお姉ちゃん。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 余裕から来るものであろうか。

 さっきから、随分と偉そうなことを言い続ける。


「ああもう! 何かしてやれることはねえのか!」

「えっと、何度も言うようだけど……。授業中だから、も少し静かに苦悩して?」

「これが静かになんかしていられようか!!!」


 先生も、廊下に行けとか言って来たけど。

 そんな場合じゃねえだろと突っぱねたら口をつぐんで大人しくなった。


 でも、教室にいたからと言ったって。

 なにも思いつかず、机に額を叩きつけるばかり。


「わ、割れちゃうよ?」

「割れば何かアイデアが零れ落ちてくるかもしれん……」

「そ、そんなのダメ……。それじゃあ、携帯で調べてみるとか?」

「それだ! さすがは秋乃!」


 俺は、秋乃の素晴らしいアイデアに、思わず席を立ちあがりつつ。


 携帯を取り出して、電源を入れて。

 『凜々花』『ご機嫌を取る』『食い物以外』とキーワードを打ったその瞬間。


 電話の着信音が鳴り響く。


「なんだ? 親父? もしもし?」

「保坂、貴様……っ!」

「せ、先生落ち着いて……。大事なことなので……」


 秋乃がなにやらわたわたしてるが。

 そんなことなど、どうでもいいほどの衝撃発言が携帯から飛び出して来て。


 俺の脳をガツンと揺さぶった。


「はあ!? 不備の訂正!? ……試験管理委員会に出せばいいんだな? それだったら俺が明日、学校の事務室に提出を…………? 期限、今日まで!?」


 入試に必要な訂正書類があるなんて!

 急いで取りに戻らねえと!


「俺が急いで戻るから! ……は? お袋が向かってるって? 何の話だよ! 東京から何時間かかると思ってるんだ! くそっ!」

「……入試申請書類の訂正期限か?」


 携帯を切りながら、慌ててカバンを掴む俺を邪魔するダミ声。

 相手をしてる暇はねえんだが……。


「ああ! そういう訳だから、授業は抜けさせてもらう! 何時が期限か知ってるか?」

「十四時までだ」

「はあ!? あと三十分!?」


 まじかよ!

 間に合うわけねえ!


「し……、申請書類を一から書かせろ! 取りに行ってる暇はねえ!」

「残念だが、顔写真の添付が必要だ。もう間に合わんだろう」

「こんの石頭!」

「……諦めろ。そして暴言の罰だ。立っとれ」


 そういや、祝日の前になんか提出しなきゃとか言ってたなあいつ!

 食あたり騒ぎで忘れてたのか!


「じ、事務室に行ってくる!」

「諦めろと言っているだろうに」

「諦められるわけねえだろ!!!」


 冷たい石頭が止めるのを聞かず。

 俺と秋乃は教室を飛び出した。


 そして絶望から、真っ白になる頭で階段を駆け下りて。

 事務室の前にたどり着いたその時。


 昇降口の方から。

 けたたましい爆音が響いてきた。


「なんだ!?」

「きゃ……っ!!!」


 迫りくる赤いスポーツカー。

 それが急ブレーキで大量に砂埃を巻き上げると。


 何かに激突したような音を発しながら。

 煙の中から飛び出してきたのは。


「お袋ぉ!?」

「立哉! これ! 急いで提出しなさい!」

「お、おお! 分かった!」


 事務所から、職員室から。

 何事かと集まる人だかりを掻き分けて。


 滑り込みギリギリで。

 訂正書類をなんとか受理してもらうと。


 俺の背後で、お袋と秋乃が。

 身を寄せ合うようにして床にへたり込む。


「…………むちゃくちゃしやがる」

「しょうがないでしょうに! これ渡しとこうと思って、家に戻って良かったわ……」


 その、フェンスの鉄柱にぶつかってへこんだ車。

 あと学校の修繕費。


 いくらかかると思ってるんだよ。


 まあ、偶然家に寄っててくれて。

 無茶苦茶飛ばして書類を持って来てくれて。


 助かったけどさ。

 

「何を渡そうってんだよ?」

「あたしは次の商談があるから、あんたに預けるわ。学校の被害請求書も受け取っておきなさい」

「経費で落とす気じゃねえだろうな。…………なんだこれ?」


 修理代の方は置いといて。

 お袋がポケットから取り出して、手渡してきた方に目を丸くさせる。


 五つの紙袋。

 それぞれから現れたのは。



 お守り袋だった。



「大宰府と北野天満宮と湯島天神と明治神宮と鶴岡八幡宮……」

「四天王揃ってりゃ無敵でしょ!」

「五人おる」

「いいわね? ちゃんと渡しておくのよ!」

「神様もここまで集まると、ケンカじゃなくてUNOやり始めそうだな」

「うるさいわね! お守りが二つあると神様がケンカするなんて迷信よ!」

「お守りの方が迷信だとは思わんのか」


 なにからなにまで呆れた話だが。

 でも、親心ってやつだよな。

 なんだかものすごくあったかい。


 普段は冷静で現実主義なお袋が。

 どうやって手に入れて来たんだよ、東西屈指の学問の神様五人衆。


「……ひとつ聞いていいか?」

「急いでるんだけど、なによ」

「俺の高校受験の日にさ。急に帰ってこなかったっけ?」


 前日、北海道で仕事してたはずのお袋と。

 家を出たところで鉢合わせた記憶があるんだが。


「そ、そんなわけないでしょ!? 予備校の面談で早慶付属を滑り止めにしましょうなんて言われてたあんたが、落ちるわけ無いでしょうに!」


 あれ?

 俺の記憶違い?


「そうだったっけ?」

「そうよ」

「……凜々花と扱い違い過ぎじゃね?」

「別にいいでしょうに」

「この冷酷おんなめ……」


 そんな暴言を吐いた俺の頭が小突かれる。


 でも、叩いた主はお袋ではなく。


「いてえじゃねえか。なんだよ秋乃」

「あ……、ありがとう、は?」

「ん? ……お袋に?」


 まあ、確かに助かったけどさ。


 凜々花のためにしたことを。

 改めてお礼しろって?


 釈然としない俺だったが。

 そんな仏頂面をしばらく見つめていた秋乃が。

 ため息をついた後、深々とお袋に頭を下げる。


「ありがとうございました」

「あら素敵。誰かさんと違って」

「うるせえ」

「じゃあ行くわね」


 そして、秋乃に飛び切りの笑顔で手を振って。

 俺にはあかんべしながら。


 助手席の側をへこませた車に乗り込んだお袋は。

 学校をあとにしたのだった。



「て、照れ隠し、だと思う……、よ?」

「は? なにが?」

「立哉君の受験の日に、帰ってきたこと」


 騒然とする昇降口から。

 事情を説明しろと、教頭に連行される道すがら。


 秋乃が言って来たのだが。


「…………来なかったって言った事? ウソだったの?」

「うん。……照れ隠し」

「わかりづら!」

「だって、あたしも凜々花ちゃんにヒーリング曲のダウンロードコードをメールで送った時……、照れた」

「そうなのか? お袋も秋乃も、照れる必要なんかないだろうに」

「……立哉君だって、昨日、照れ隠ししてた」


 なに言ってんだ。

 俺がなにに照れ隠ししてたってんだ。


 でも、俺が否定する前に。

 秋乃は、くすくす笑いながら。


「スポーツドリンク、大量に買ってきて、凜々花ちゃんに渡す時…………。道で拾ったって」

「…………言った」


 ほんとだ。

 心配だと、素直に言わずに。

 よりにもよってついたウソ。


 落っこちてたもんなんか飲めるかバカおにいと突っ返されたスポドリ十二本。

 慌ててウソだと訂正したら、余計怒って自分で買って来るって外に出ようとして親父に止められて。


「なるほど。家族には素直に言い辛いってことか」

「家族だけじゃなくて……。あたしだって同じ」

「ヒーリング曲の話か?」

「……メールにダウンロードコード添えて」

「うん」

「本文に、書いちゃった」

「なんて」

「道で拾ったって」

「うはははははははははははは!!!」


 素直に気持ちを言葉にすること。

 意外とできていないのかも。


 俺は、教頭からの説教を聞きながら。

 そんなことを、ずっと考え続けた。

 

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