第17話 スニーク・イン・ナイト エピローグ(終)
翌日。
「キラちゃーん、お待たせー」
ガチャッとアジトの玄関が開く音とともに、警官の制服姿の七緒がドアから顔を出した。
その声を聞きつけ、ドタドタと玄関にやってきたのは、エプロン姿のあぐり。
その右手には銀色のおたまが握られている。
「何よそれ。キラをナンパしようったってそうはいかないわよ」
あたしの許可もなくキラを連れ出そうなんて百年早いんだから、と言いながら、おたまを七緒に向かって振りかざした。
キッと七緒を睨む目が、逆三角形に吊り上がっている。七緒は思わず怯んだ。
「ええ違う違う、俺はただ頼まれて」
「はい七緒、これ返す」
あぐりの横から、車椅子姿のナギがひょこっと顔を出した。太ももの上には、透明なビニールにくるまれた黒い学生服が乗せられている。
「これのせいで散々な目に遭ったよ。七緒が元ヤンだったなんて知らなかった。あ、ちゃんと洗濯したから。じゃ」
「「「えっ」」」
学生服を手渡して、さっさと部屋に戻っていくナギ。爆弾のようにその場に投下された言葉は、全員の好奇心に着火した。
いつの間にか話に参加していたオボロが、あぐりと声を合わせる。
「何なに、警官が元ヤンですって?」
「更生したってこと?」
「お、おいナギ、何変なこと言ってるんだ、俺はいたって普通の高校生活をだな……」
明らかに動揺している様子の七緒に、あぐりとオボロが詰め寄ろうとしているところで、救世主が通りかかった。
「ごめん七緒さん、もうちょっと待ってて。あ、あぐり、この間の拳銃ある?」
パタパタと部屋から出てきたキラは、あぐりに声をかけると、答えを聞く間もなくそのまま洗面所へ向かった。急いでいるようだ。
「学校から回収してきたやつなら、テレビ台の下の棚に入ってるけど」
「そんな所に凶器をしまっておくな」
「だって、よく見たらあれレプリカだったのよ。ワクワクして損した」
「本当に恐ろしいな、この女」
「お待たせ、ごめんねお昼休憩なのに」
制服姿のキラが、学生カバンの中にレプリカの拳銃を詰めながら、玄関にいる七緒に話しかける。準備ができたようだ。
「いや、大丈夫だ。ボーナスも出るしな」
「キラ、今日は土曜日なのに、制服を着てそんな男とどこへ行くの?」
ギリ、という歯ぎしりの音が聞こえてきそうな顔で、あぐりはキラの顔を覗き込んだ。超能力ではなく物理の力で曲がったおたまに、オボロが震えあがっている。キラはまったく動揺した素振りを見せず、笑いながら顔の前で手を振った。
「落ち着いてあぐり、学校に拳銃を返しに行くだけだから。僕が学校で拾った拳銃を、警察に届けたっていう設定にしたかったから、七緒さんにもついてきてもらおうと思って」
「警察の許可なく夜間訓練をしたことも、一緒に注意しようと思ってな」
あぐりはデートではないとわかると、途端に営業スマイルに切り替えて二人を見送った。さすがはモデル、隙の無い笑みだ。
「いってらっしゃい、キラ。元ヤン男には気を付けるのよ」
営業スマイルを顔に張り付けたまま手を振るあぐりを横目に見つつ、絶対まだ怒ってる、と七緒は小刻みに震えた。
「七緒さん、元ヤン男って誰のことかわかる?」
何気なく聞いたキラの横で、ギクッと肩を震わせる七緒。
なんとか平静を装って答える。
「い、いや、知らないな。最近治安が悪くなってるあの高校の生徒かなんかじゃないか?」
「あー、あそこかー、確かに」
キラに弱みを握られてはいけない、と過去の七緒が耳元で囁く。わかっている。まったくあの連中には厄介な奴が多い、と七緒はため息をついた。
そういえば、と七緒はわかりやすく話題を変えた。
「今日のナギ、元気なさそうに見えたけど。なんかあったのか?」
ナギは制服を渡したあと、すぐに部屋に戻ってしまった。顔色もなんだか悪そうに見えたが。
「あー、もしかしたらこのあいだの疲れが残ってるのかも。ナギにとっては久々の実地だったし、義足で走ったりもしてたからね」
「走った?ナギが?想像つかないな」
「ふふ、意外と速かったよ。僕も助けられた」
待てよ、ナギに足も速いというステータスが増えたら俺は……という七緒の心の声をかき消すように、キラが声を上げた。
「あ、あの人の制服、七緒さんのに似てる」
キラが指さした先には、七緒の目にはお馴染みの黒い学ランを着た男子が二人、自転車を手放しでこいでいた。
まずい。最悪のタイミングだ、と七緒の背筋が冷える。俺だとバレたら、面倒臭いことになる。
「あ、ああ、確かに似てるな」
ぎこちなく返答した七緒に追い打ちをかけるように、キラは言葉を続ける。
「確か、自転車の手放しこぎってダメだったよね?ほら七緒さん、注意しないと」
ちらりと隣を見ると、いたずらっぽい笑みを浮かべたキラが。
こいつ、絶対気付いてる。七緒は確信した。
二台の自転車が通り過ぎるぎりぎりのところで、七緒は声のボリュームを最小限まで落として言った。
「……おーい、ちゃんとハンドル掴めー」
声小さ、とキラは心の中でほくそ笑んだ。
しかし、男子生徒には聞こえていたようだ。二人は七緒の隣でキッと自転車を止めると、自分より身長の低い七緒を見上げるように、下から睨みつけた。視線はキラに飛んできたわけではないのに、近距離で感じる威圧感にキラは少しドキッとする。
「な、七緒さん、逃げたほうが……」
キラが七緒の服の袖を掴んだのと、男子生徒の両目が見開かれたのは、ほぼ同時だった。
「ダメだキラ、名前を呼んだら……」
「「な、七緒さん!?」」
「えっ」
焦る七緒に、目を輝かせている男子生徒。思わずキラが困惑の声を上げる。次の瞬間、自転車を降りた二人は七緒に向かってぴったり九十度に腰を折ってお辞儀をした。
「「ちわーーっす!!」」
「……は?」
呆然とするキラ。七緒は慌てて男子生徒に顔を上げさせた。
「うわあああ声がでかいよお前ら、仕事中は話しかけるなって、」
「や、自分嬉しくて!初めてなんス自分!お目にかかれて光栄っス!」
目をキラキラと輝かせる男子生徒。もう一人も、隣でうんうんと大きくうなずいている。
「なんてったって、校内で、いや都内で喧嘩で敵う者はいなかったっていう、あの辻七緒、通称『辻風の七緒』っスからね!」
「ちょやめろ馬鹿あああああああああ!わかったから早くどっか行け!」
嬉しそうにハンドルを両手で握りしめて去っていく男子生徒。七緒は肩で息をしながら、二人を見送っていた。
すぐ後ろでこちらを眺める視線にも、七緒は気付いていた。
「……七緒さ」
「何も言うな」
七緒はしゃがみこんで、下を向いた。ヤンキー座りなのは無意識だろうか。
キラは笑いをこらえるのに必死だった。
「ほら、早く行かないと。『辻風の七」
「やめろ」
キラは耐え切れず、ブハッと吹き出した。やっと立ち上がった七緒の顔は、真っ赤に染まっている。
「ごめん、僕七緒さんが元ヤンってわかってて知らないふりしてた」
「そんな気はしてた……。お願いだから忘れてくれ、黒歴史なんだ……」
「大丈夫大丈夫、誰にも言わないから、あはは」
信用できない、と七緒は心の中で呟いた。
[スニーク・イン・ナイト 終]
レモネード・ジャンキー 楡野なの @nireno_nano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。レモネード・ジャンキーの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます