第16話 スニーク・イン・ナイト⑥
「生憎だけど、ご名答」
ナギの視線の先には、屈強そうな背中の男が二人。
その手には、先程目にしたばかりの拳銃とまったく同じものが、握られていた。
「どうする?ミゲル」
ナギが中の様子を確認しながら、小声で話す。
「ここから見る限り、二人とも男だよ。逆光になってて顔は見えないけど」
ナギの報告を聞き、ミゲルは顎に手を当てて考え込んだ。
「突っ込むにしても、発砲音を聞いた警備員が加勢してくるのは目に見えてますし」
オボロもミゲルの隣にしゃがみ、作戦会議に参加する。
「警備員だけじゃないわ。学校の周りは住宅街だったでしょ」
拳銃を右手に構えたまま、あぐりは呟いた。
ここに向かうまで、団員はエラに教えてもらった裏道を通ってきたが、反対側から見えた通学路と思しき道には確かに一軒家がずらりと並んでいた。
「気付いた人たちが駆け付けてきても、おかしくない」
「警察は七緒に頼めばごまかせるが、一般の方だとそういうわけにもいかないからな」
「おい、そこに誰かいるのか?」
突如、知らない男の声。はっとして、ミゲルは口を手で押さえた。
バレた。
ゆっくりとナギを見ると、ドアの陰に隠れるように体を屈めていた。白い頬には汗が滲んでいる。
まずい。
「……?なあ、今何か音が聞こえなかったか?」
「いや、何も聞こえなかったが。どんな音だ?」
「なんか、話し声みたいな……」
男が二人で話している。今のうちに逃げなければ。ミゲルは皆に目配せし、そろりと立ち上がった。
「一応、見てくるよ。こんなことしてるって誰かに知られたら、まずい」
こちらに向かってくるようだ。ミゲルは物置の向かい側の教室を指さし、一旦の避難を試みる。団員はこくりと頷き、そろそろと移動を始めた。教室に近い順に、オボロ、エラ、あぐりが続く。
しかし、キラの目には、ミゲルの指示は見えていなかった。
キラは男の発言を聞いて、しゃがみこむ姿勢のまま固まった。
気付いたナギが、声をひそめ、そっと声をかける。
「キラ、立てるか」
(……まずいって、言った?)
キラは、声で分かっていた。あの二人の男性は、この学校の先生だ。
まずい?何が?こんなことって何?人気のなくなった夜に、拳銃なんか持って、知られちゃまずいことしてるの?
(それは、犯罪、とか?)
キラの思考は反芻する男の言葉に占拠され、もはや誰の声も聞こえない。まるで催眠にかかったみたいだった。
もう足音は近くまで迫ってきている。万が一の時のために、身元が割れてしまうエラとキラを先に教室へ向かわせようとしたミゲルは、キラの異変に気付いた。
ミゲルもキラのもとに寄る。
「キラ、どうした?早く移動するんだ」
「……まずい?まずいって何?……」
ぶつぶつと、同じ言葉を繰り返すキラ。しゃがみこんだまま動かない。
もう足音はすぐ近くまで迫っている。ミゲルとナギは顔を見合わせた。
「おーい、先生か?まだ時間じゃないだろ……ん?」
コツ、と廊下に響いた足音と、声。同時に、視界が眩しい光で埋め尽くされる。
ハッとしたナギが横を見ると、男が懐中電灯でこちらを、ナギとキラを照らしていた。少し離れたところにいたミゲルは、ぎりぎりのところで光を受けず、影と同化した。
男は驚いたのか、手に持っていた拳銃を落とした。拳銃がカシャン、という音を立てて転がる。
「お、お前、その制服は!」
声を荒げる男。加勢される前に逃げなければ。ナギとキラを庇おうと前に出ようとしたミゲルを、ナギが片手で止めた。
「ナギ、何して」
「俺とキラでこいつらを撒く。ミゲルは他の皆と先に学校から出てて。できれば猫も頼む」
「な、何言ってるんだ!」
「ミゲル達はまだバレてない。俺たちが囮になるから」
「……で、でも」
ナギは、ミゲルが考えていることをなんとなく理解した。コンピュータのハックを専門に行うナギと、普段は怪我の手当てや後処理を行っているキラ。二人とも、対人戦は得意としていない。もし戦わざるを得ない場面に遭遇したら、と心配しているのだろう。
ナギ自身、逃げ切れる確証はなかった。キラもずっとこの状態だし。でも、まだ可能性があるなら。
「大丈夫。死んでも生きて帰る」
ナギが笑いながら言うと、最初は困惑したような表情だったミゲルも、ふっ、とつられたように笑った。
「わかった。約束だぞ」
「待て!」
ミゲルが踵を返して教室に走り込むと同時に、ナギはキラの手を引いて走り出す。追手は二人。最後に警備員を見た時、一人はまだ寝ていて、もう一人は四階にいたはずだ。四階と、事務室のある二階の西側突き当りにさえ行かなければいいかな、とナギは足を止めずに考える。マルチタスクは得意だった。
キラはナギに手を引かれて並走してはいるが、まだ下を向いていた。今日は珍しいキラをたくさん見る。
階段を駆け上がり、さらに上に向かうふりをして少人数教室に隠れ込む。
「どこだ!」
「上に向かったぞ!急げ!」
「監視カメラには映ってないのか!?」
「俺が管理室で映像を見る!お前は追いかけろ!」
バタバタ、と走り去っていく音が、目と鼻の先で聞こえる。荒い呼吸を必死に抑え、ナギとキラは壁に背を当てて座り込んだ。
まず、キラを正気に戻さないと。ナギは平静を装って声をかけた。
「……っはぁ、はぁ、こんなに全力疾走したの、久しぶりなんだけど、」
「ね、ナギ意外と足早いんだね、へへっ」
「うわっ」
「えっなに」
突然普通に話し始めたキラに驚くナギ。その声に驚いたキラが一歩後退する。
「き、急に素に戻るなよ、びっくりするだろ」
「あはは、ごめん。走ってる途中に状況把握した」
追手の足音は聞こえなくなっていた。とりあえず撒けたようだ。
ブブッとスマホが振動したと思うと、男たちが出ていった後の物置で、子猫を抱きかかえるエラの写真が送られてきた。無事に救出できたようだ。背後からナギのスマホを覗き込んだキラが、猫ちゃんとお姉ちゃん同じ顔してる、と口に手を当てて笑った。ミゲル達はもう脱出できるだろう。
「もう、大丈夫なの?」
スマホをポケットにしまって、ナギはキラの顔を見た。先程の切羽詰まった表情はなくなっていたものの、その笑みは沈んだような影を覗かせていた。
「んー、大丈夫じゃない、かも」
困ったように眉を寄せ、首を傾けてキラは言った。
「聞こえた?これを知られたらまずいって言ってたの」
「え、何それ」
「言ってたんだよ、さっき。やっぱり何か悪いことしてるんだ、って思って、ショック受けてたみたい」
キラがショックを受けると再起不能になる、と、ナギは頭にメモを残した。
慰めようと言葉を探すも、生憎言葉選びに定評がないナギは黙り込んでしまう。行き場を失った視線だけが、泳ぐように左右をうろつく。
「慰めようとしてる?」
おまけに心を読まれ、ビクッと肩を揺らしてしまう。キラは気まずそうに逸らされたナギの顔を覗き込んで、ふふっと笑った。
「ナギあんまり得意じゃなさそうだし、いいよ」
「なんかすいませんね」
「それより、どうしようか」
キラは、教室のドアにはめ込まれたガラス窓から、目を細めて廊下を覗いた。
「この階にはいないみたいだけど」
「んー、俺はともかく、キラは早めに脱出したほうがいいかもしれない」
「僕?なんで?」
「制服で、この学校の生徒だってバレたと思う。逃げる時言ってたんだ、『その制服は』って」
キラも懐中電灯で照らされてしまったのは失敗だった。顔はバレたかわからないが、身長や髪型である程度、侵入者は絞られてくるだろう。
「そっか。じゃ……」
「おい、いたか?」
廊下に響いた男の声に、キラは手で口を押さえた。ナギは目を閉じ、男たちの会話に意識を集中させる。
「いや、いない。逃げられたか」
「くそ……おい、あいつらの制服見たか?」
「いや、見てない。何かあったのか?」
「それが……」
まずい、バレる。心臓の鼓動が速度を増していくのを感じる。
レモネード・ジャンキーは孤高の秘密組織だ。誰か一人でも正体が明かされたら、脱退はもちろん、解散の危機にさらされてしまう。せっかく出会えた仲間なのに。
嫌だ、とキラはぎゅっと目をつぶった。
「男の制服が、あの高校のものだった気がして」
男の?
困惑した表情のキラとナギが顔を見合わせる。どういうことだろう。
確かにキラは性別不詳だが、制服はスカートである。見た目だけでは判断できないはずだ。
「あのって、このあいだ問題を起こした……」
「そう、夜に他校に忍び込んで窓ガラス破壊したり、更衣室の鍵奪って金目の物盗んだりとかしてる、あの高校」
そんなヤンキー校あってたまるか、とナギは声を出さずにツッコむ。いずれは盗んだバイクで走り出しそうだ。
「まさか。そのために俺らが訓練してるっていうのに。先を越されたか」
訓練?
キラは目を見開いた。そういうことだったのか。
ナギはぽかんと口を開けている。まだわかっていないようだ。
「でも、今のところ何も被害は受けていないようだが……」
「いや、監視カメラが遮断されてた。セキュリティーが破られてた痕跡があるから、外部から誰かがジャックしたんだろう」
俺です、と心の中で制服姿のナギが挙手した。
「あと、一階の多目的室に予備として置いていたレプリカの拳銃がなくなってた。そいつが取っていったのかもしれない」
あぐりです、とキラの心の中で制服姿のあぐりが起立した。
「弾は入れていないから大丈夫だとは思うが、万が一警察に持っていかれでもしたら……」
「怒られるかもしれないな。とりあえず、もう一度探すぞ」
「警備員さんは?」
「二人とも、学校周辺の捜索に当たってる。あまり大事にしたくないから、なるべく早く見つけるぞ。俺は一階を見てくる」
「わかった。俺は三階に行く」
バタバタ、と走り去っていく音が遠のき、二人は止めていた呼吸を再開した。
「はぁ、忘れてた。確か先生達言ってた」
「全然話が分かんなかったんだけど。制服って俺のこれだったのか」
「うん。最近、年季の入ったヤンキー校で有名な近くの男子校の治安がさらに悪化してて、事件を起こす生徒が増えたんだって。多分、それのことかも」
着ている制服をまじまじと見つめるナギ。年季の入ったヤンキー校て。でも確かに、この辺では古いほうだと七緒も言っていた。
「まじか、七緒」
「知らないふりしてたほうが面白いかもね、ふふっ」
七緒の弱点を掴んだ二人は、揃っていたずらっ子のように笑った。
「じゃあ、訓練っていうのは?」
「そのヤンキー校の生徒が忍び込んできたときの訓練かなって思った。さすがに拳銃を持ち出すのは大げさだと思うけど」
キラが嘲るように笑う。でも確かに笑える話だ、とナギは頷いた。
「じゃあ、別に悪さしてるわけじゃなかったんだな」
「そうみたいだね。警察に秘密でやってるのはダメだと思うけど、犯罪レベルではなさそう」
ん-ギリ犯罪だと思うぞ、と呆れながらキラのほうを向いたナギは、いつの間にか、その表情から暗い影が消えていたことに気付いた。高校生らしいあどけない笑み。不安は消えたようだった。
「良かったな、キラ」
ナギが微笑んで言うと、一瞬目を丸くしたキラは、少し申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「うん、ナギにはいろいろと心配をおかけしました」
「別にいいよ。あ、けど」
「何?」
「貸しいち、ね」
二ッと笑って、ゆっくりと立ち上がるナギ。キラは呆れたような、しかしどこか嬉しそうな顔で笑い返した。
男たちの足音は聞こえない。足音を立てないように一階に降りると、ちょうど反対側の階段から、上の階に上っていく足音が聞こえた。タイミングばっちりだ。
「んー、やっと帰れるー」
早く愛しの車椅子に座りたい、と義足をさするナギ。対照的に、キラは少し寂しそうな表情を浮かべた。
小さな声で、ぽつりと呟く。
「なんか、楽しかったな」
「ん?」
少し先を歩き、大きく伸びをしたナギが振り返る。キラは、ううん、と首を振り、ナギを追い抜いた。
そして、振り返って笑う。夜風に靡く金色の髪が、ナギの視界を鮮やかに彩る。
「また皆で、悪いことしたいなって」
言い方、とナギは笑った。
こうして二人は、脱出に成功した。
[第17話 スニーク・イン・ナイト⑦ エピローグに続く]
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