第14話 スニーク・イン・ナイト④
「今気付いたけど、パソコンの画面って眠るのに良くないんじゃなかったっけ」
「あー……まあ大丈夫でしょ」
根拠のない自信。徹夜は初めてだ、とキラは覚悟を決めた。
ナギが部屋のドアを開けた途端、視界が目を刺すような青い光に包まれた。
思わずぎゅっと目を瞑り、両手で顔を覆う。
「うわっ」
「あんまり直視するなよ。慣れないうちは目に悪い。慣れても悪いけど」
「すごい強い光。ナギはもう汚染されてそうだね」
「ご覧の通り」
キラが必死に目を守っている間にも、ナギは口を動かしながらキーボードを操作していた。四台ものパソコンが、ナギに向かって青い光を放っている。
部屋の電気はつけていないにもかかわらず、ナギの背後には大きな影が伸びていた。
(……すごい)
キラは音だけで、ナギの手さばきを把握していた。
速い。カタカタ、とかそういう次元ではない。全ての音が繋がって聞こえる。
やっと目が慣れてきたキラは、次から次へと画面に表示される数字と目を合わせながら、ノールックでキーボードを叩くナギに思わず息を飲んだ。
「どう? すごい?」
ふふん、と鼻を高くして笑うナギ。手は止めずにこちらに話しかけている。
「す、すごい。それ何、ていうか喋る余裕あるの」
「これは暗号を解いてるの。この程度のハッキングなら喋れるよ。数はある癖にセキュリティ甘いねここ。俺、量より質派」
もう入れそうだ、とEnterキーをタンッと叩く。
キラは呆気にとられた。ナギにとってはなんてことないのだろうが、こんな大変な作業を、誰の手も借りず、夜な夜なやっていたのか。
いつもここで、一人で戦っていたんだ。
キラはそっとパソコンに近づき、ナギの隣に膝立ちして目線を合わせた。
「何か手伝えること、ある?」
「ちょ、そんなに近づいたらダメだって」
「もう慣れたから平気」
キラの右肩を押して、パソコンから離れさせようとしたナギの手をぱっと払い、その顔を見上げた。
困惑したように眉尻を下げるナギ。きっと僕を心配してくれているのだろう、とキラは微笑む。
キラは目を閉じて、口を開いた。
「ナギ。ナギはすごいよ」
「え、なに、急に」
「ナギは簡単って思ってるかもしれないけど、これってすごいことだよ。セキュリティの穴を見つけて試行錯誤して、だからあんなにアイスの消費も激しいんでしょ?」
頭を使うには糖分がいることは、キラも知っている。高校の試験勉強中でもキラはチョコを手放せないのだから、さらに高度なハッキングには何十倍もの糖分が必要なはずだ。あんな箱アイス一個じゃ、足りるわけがない。今までケチって買わせなかった自分を殴ってやりたい、とキラは反省した。
「ここに連れてきてくれたのだって、僕の目を強制的に疲れさせて寝させるため、だよね?」
実際、キラは睡魔がそこまで迫り来るような気配を感じ始めていた。こんなに眩しい光なのに、不思議だ。
「……キラは頭だけじゃなくて、察しもいいのね」
全て見透かされたナギは、少し恥ずかしそうに、はぁ、とため息をつくと、頭をがしがしと搔いた。
ふふん、と得意気に微笑むキラ。
「優しいよ、ナギは。性格悪くなんかないよ」
手をぴたりと止め、ナギは目を大きく見開いた。
ゆっくりとキラの方を見ると、もうその綺麗な二つのライトグリーンは次第に幕が下りようとしていた。
「皆がナギを揶揄うのも、ナギが優しいから、許してくれるからだよ。皆、それをわかってるから。本気でナギを嫌ってる人なんか一人もいない。僕だって、そう」
だから、だいじょうぶだよ、ナギ。
膝立ちのまま、キラは眠りについた。
遺言のようにキラから放たれた言葉は、ナギの奥深くにとん、と刺さり、杭となって動かなかった。
「……ら、キラ。おい、キラ」
「ん……」
誰かが、呼んでいる。
キラは目を閉じたまま大きく伸びをすると、布団の感触がいつもと違うことに気が付いた。違和感を覚え、はっきりと目が覚醒する。
起き上がり、後ろ手についた手のひらに、革の硬い質感。どうやらリビングのソファで眠っていたようだ。
「あれ……?」
「やっと起きた。意外と目覚めよくないんだな」
頭の後ろから、爽やかな朝に似合わない悪口が聞こえたので、キラは近くにあったクッションを発声源に投げた。ぼすっ、という小気味いい音。目を向けると、寝癖でぼさぼさの髪のナギがこちらを睨んでいた。ソファの背に片肘をついていたのか、右腕が変な形で固まっている。
「あ、ナギか、ごめん」
「分かんないのに投げるのは良くないと思うよ」
はは、と渇いた笑いを返し、壁にかけられた時計を見ると、いつもの起床時間ぴったりだった。
なんで僕の起きる時間を知ってるんだ。僕のほうが早起きなのに、と軽く恐怖を感じるキラ。
「そっか。昨日ナギの部屋で寝ちゃったんだ」
「大変だったよ、こっちまで運んでくるの。女子高生ってみんなあんなに重いの?」
「やっぱりナギ嫌いかも」
全国の女子高生を敵に回したナギに、性格悪くないって言ったの撤回しようかな、と割と本気で考えるキラ。ナギはへら、と説得力のない笑みを浮かべて、ごめんって、と謝った。
そしてそのまま少し表情を固くし、言葉を濁らせて言った。
「あと、ありがと。昨日の」
キラはナギを見上げた。綺麗な緑色と目が合う。
ナギはぷいとそっぽを向いて、顔を赤くした。照れている。ふふ、と微笑んだ。
「どういたしまして。ナギからちゃんとありがとうって言われたの、初めてかも」
「嘘だ、それは言い過ぎだろ」
「監視カメラは? ジャックできた?」
「ああ、もうばっちり。おかげで眠いよ」
ふああ、欠伸をするナギ。
よく見ると、その目元にはうっすらと黒いクマが浮かんでいた。きっとあのあとも、しばらく作業が続いたのだろう。
「ほら、今日は長丁場なんだから、ちゃんと朝ご飯食べて行けよ」
「いつもごはん作ってるの、僕とあぐりなんだけどね」
キラの軽口を流し、ふわあと大口を開けて二度目の欠伸をするナギの横を通って、キッチンへ向かう。
「あれ?」
異変は、キラの目の前の盆に乗っていた。
「……ねえ、ナギ」
「んー」
「ご飯、作ってくれたの?」
キラの視界に映る、ほかほかのご飯。隣で湯気を立てる椀の味噌汁には、豆腐が入っていた。七緒が売り切れたと言っていたはずだから、これはインスタントだろうか。申し訳程度に総菜もいくつか添えられている。
「ご飯?何それ知らなーい。誰かが作ってくれたのかなー」
「……」
「用意されてるんなら食べちゃえば?ほら、早くしないと遅れるぞー」
キラは開いた口をふさぐことが出来なかった。なんてわかりやすいのだろう、この人は。
キラはわかっていた。ナギは、僕を心配してくれているのだ。昨日から、ずっと。
こらえきれず、ふふ、と声が溢れた。
「ナギってほんと素直じゃないね」
「おい、年上だぞ」
「すみませんね、おじいちゃん」
「あーご飯なんて用意しなきゃよかった、もう全部食べようかな俺」
「やっぱりナギだったんじゃん。でもだめだよ、僕のだもん」
まだ温かい味噌汁の椀を傾け、口に含んだ。濃い味噌の味が体にじんわりと染み込む。
いつもより質素で、ちょっと不健康な朝ご飯。でも、キラにとっては一番幸せな朝ご飯だった。
「いってきまーす」
「おう」
いつもどおり、定刻きっかりに家を出たキラを見送るナギ。入れ替わるように、ミゲルが起床した。
「あ、ミゲル。おはよー」
「おはよう、ナギ。……ん?」
まだとろんとしている目をごしごしと擦り、ミゲルはナギの顔を凝視する。ナギは両手で顔を挟み込んだ。
「な、何? なんかついてる?」
「ああ、両目の下に、大きなクマが。入念に準備するのはいいことだしありがたいが、ちゃんと寝なきゃダメだぞ」
「ああ、慣れないことしたからかな。夜まで寝とくわ」
「? 何かしたのか?」
「いーや、なんでもない」
不思議そうに首を傾げるミゲルの横を通り過ぎ、車椅子の車輪を回してリビングを出る。
決行は今日の午後八時半。準備の時間を考えても、たっぷりあと八時間は寝られるだろう。
ふああ、と何度目かの欠伸をこぼす。使い過ぎでもう働かない頭の中には、一つだけ鮮明に、昨日の言葉が引っかかって残っていた。
(だいじょうぶ、か)
そして、いよいよ決行の時刻。
[第15話 スニーク・イン・ナイト⑤に続く]
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