第7話 ダンス・マカブル④
「一緒に、来てくれるかい?」
「……ん?」
キッチンに棒アイスを取りに行ったナギに代わり、オボロが画面を見ていると、突然あぐりのカメラを写した画面が暗転した。
「あれ、消えちゃいました」
「どっか変なとこ押したでしょ」
キラがジト目でオボロを睨む。生憎機械とは縁がないオボロは否定出来ずに目を逸らし、ナギが来るのを待った。
「見て、なんかミゲルの様子がおかしい」
キラが指差す画面には、少女の手を引いて走り出したミゲルの姿があった。向かう先の道は、会場へと続いている。
「七緒さん、これどう思います?」
エラとスピードをしていた七緒は、いい所だったのに、とぶつぶつ言いながら立ち上がった。その時、七緒の胸で何かが激しく振動する。
「な、なんだなんだ」
右胸のポケットに入れていたスマートフォンを起動すると、電話マークの上に大きく「ミゲル」と書かれていた。
「ミゲルからだ。……もしもし、ミゲル?」
みんなが耳を澄ます中、キッチンから帰ってきたナギは、暗転した画面を見て口を尖らせる。
「あー、勝手に操作するなって言っ」
「え、あぐりが危ない!?」
ナギの垂れた文句をかき消した七緒の声は、一同を凍りつかせた。
あぐりは、一人で戦慄していた。
何故なら、男性のスピーチが終わり、これからここで行われるのは。
「……ダンスパーティーの名に恥じぬ、ってことね……」
混乱していて、自分でも何が言いたかったのか分からなくなってしまった。
大広間は、ダンス会場へと装いを変えようとしていた。ステージ正面のテーブルが端へと移動され、客たちは会話の途中でも、いそいそとパートナーの隣へ戻って行った。
あぐりは一人取り残される孤独感に苛まれる。
「とりあえず、目立たない所にいど」
「こんにちは、お一人ですか?」
歩き出そうとした途端、背後から突然聞こえた声に、ビクッと肩を震わせる。
しかも、この声は。
「良かったら、僕と踊りませんか?」
胸元の赤い薔薇が映える、あの男性だった。
にこやかな笑みを浮かべ、少し屈んでこちらに目線を合わせている。
あぐりは顔を引きつらせ、どうにか逃れる策を探した。
「……お相手、いらっしゃらないのですか?」
「ええ、恥ずかしながら、娘と参りまして。ダンスをする気など無かったものですから」
後ろめたげに眉尻を下げる男性。あぐりは、逆にチャンスかも、と思い始めた。踊っている最中に、何か聞き出せるかもしれない。
でも、と思いとどまる。
あぐりは、ダンスなど未経験だった。オボロに教えてもらえばよかった、と後悔する。
「……もしかして、あなたもですか?」
言葉を返せず、黙っていたあぐりを見て男性が問う。
「え、ええ。私、誰かと踊ったことがないの。あなたが良ければ、ここでお話するのはどう?」
一緒にいれば休憩しているふうに見えるわ、と笑顔で提案する。男性は、聡明なお嬢様だ、と言って快諾した。あぐりは冷や汗を拭った。
「へえ、じゃああなたは、この屋敷を持っている人ってわけじゃないのね」
「ああ。ここの主人と仲が良くてね。たまにこうして、大広間を借りてパーティーを主催しているんだ」
二人は近くのテーブルに腰を下ろし、ドリンクを片手に談笑を始めた。屋敷を持つほどではないものの、彼もなかなかの名家の出のようで、あぐりには到底理解できないような話ばかりだった。
会話の中で、あぐりは取引について聞き出すタイミングを図っていた。
「そうそう、さっきあなたのお子さんが、私達に話しかけに来たわ。小さいけど、とてもいい子ね」
「あ、ああ、そうだったんだ。話に夢中で気付かなかったな」
男性は露骨に顔を引き攣らせる。
やっぱりね、とあぐりは目を光らせた。実の親子ではないことは、想定内だった。
「お父さんに食べて欲しいからって、私達が食べていた料理を持っていったのよね。あれ、美味しかった?」
「ああ、あのカップの小料理のことか。美味しかったよ、魚のすり身が滑らかに濾されていて、口当たりもまろやかだったよ」
「そ、そうね、私もそう思った」
あたし食べてないからわかんないけど、とあぐりは内心焦る。
この調子なら、何か吐いてくれるかもしれない。少し攻めてみようか。
「でも、あなたに渡したカップにだけ、上に白い何かが乗っていたの。忘れててそのまま渡してしまったのだけれど、大丈夫だったかしら?」
少しふざけて言う、くらいのつもりだった。
もしかして、薬物だったりして?と言いながら笑うと、男性は浮かべていた笑みを崩した。表情が一気に固まる。先程よりも、こちらを見る目が鋭くなったようだ。
(やっちゃったかも)
あぐりは身の危険を感じ、距離を取ろうと椅子ごと下がる。しかし、動き出すのが少しだけ遅かった。
「……お前、何か企んでるな?」
急に温度の下がった男性の声に、あぐりは少し怯んでしまった。その一瞬で、あぐりの手首を掴んだ男性は力ずくで立ち上がらせ、大広間の出口へと向かう。
「いやっ、離して」
「うるさい。黙ってついてこい」
強い。いや、いつもならこれくらいの男でも、一発で投げ飛ばせるのに。慣れないヒールでは、力の入れ方が分からない。拳銃も、着替える時に置いてきてしまった。
どうしようと思いつつ、頭の上の隠しカメラに聞こえるように、「ミゲル、やばいかも」と呟く。
カメラで遠くから見てないで、誰か助けてくれないかな。この際ナギでもいい。
変に冷静な頭で、そんなことを考えていると、ずるずると引っ張られて辿り着いたのは、どこか知らない部屋だった。
男性は扉を開けて中に入ると、あぐりの手を振り払うように離した。勢いのまま、あぐりは社長室のようなテーブルに背中から打ち付けられる。弾みで髪飾りが飛んでいってしまった。
「痛っ、」
「大人しくしろ。どこまで知っている?」
男性は片手であぐりの細い手首を固定し、空いた手でポケットから拳銃を取り出し、あぐりの頭に突きつけた。
こいつ、力が強い。振り払おうとしてもびくともしない。無理に逆らったら、あたしが怪我をするだけだ。
あぐりは抵抗を弱めた。
「……ここで今日、不正な取引が行われる。そして、あの女の子は、あなたの子供じゃないわね」
あたしが知ってることはこれだけよ。
こいつが主犯格に間違いない。あぐりは、犯人の顔が知れただけでも収穫だ、とポジティブに捉えることにした。絶対に忘れないように、脳裏に強く焼き付ける。
「はは、その通り。どちらも正解だ。だが取引はもう終わった。これからお前に何が出来る?」
大きく目を見開く。
取引は既に行われていたのか。
あぐりは予想外の出来事に一瞬戸惑うが、すぐに立て直した。
大丈夫。もうすぐミゲルが来てくれる。
「それはこちらのセリフよ。あたしをどうするつもり?」
男は笑いながら拳銃を傍に置くと、再度ポケットを探る。
この瞬間に、あぐりは勝利を確信した。
(バカね、戦闘の所作も知らないで)
拳銃を敵の傍に置くのが、一番危険なのに。
強気なあぐりは、無敵だった。
男がポケットから取り出したのは、見覚えのある白い固形物。
「それは……」
「教えてやるよ。お前が言ってた白いやつは、青酸カリだ。せっかくだから、お前にくれてやる」
男はあぐりの口を開けさせる。青酸カリがあぐりの口の中へ飛び込む、その瞬間。
「舐めんじゃないわよ」
押さえつけられていた片足を無理やり動かし、無防備になった男の股間を、膝で思い切り蹴り上げた。
「!!」
男は痛みに耐えきれず、両手で急所を抑える。足を動かした拍子に脱げたヒールを掴み、同時に拳銃を奪ったあぐりは、男を床に押し倒して拳銃を向けた。首元にヒールを押し当てられた男は起き上がることができず、怯えた子犬のような表情で、あぐりを見上げている。
鼻で笑ってやった。
「情けない顔ね。どこのおぼっちゃまだか知らないけど、女を軽く見てると痛い目に合うわよ」
こんなふうにね、とわざと音を立てて撃鉄を起こす。かなり力強く蹴り上げたから、もう襲ってこないだろうが、楽しいから怖がらせておこう、とあぐりは不敵に笑った。
「あぐり!!」
タイミングよく、ミゲルが扉を壊さんばかりの勢いで部屋に入ってきた。後ろには、先程の少女も一緒だ。
「ミゲル!やっぱりこいつが犯人だったわ」
「あぐり、無事か?」
無事か無事じゃないか、と言われたら、確かに危ないところだったが、今の様子を見れば、男とあぐりのどちらが強いかは一目瞭然だ。返答の必要も無いな、と思い、あぐりは笑顔でウインクをした。
あぐり達が紐で縛り上げた男と少女を連れ、外に出たタイミングで、七緒の車が到着した。あまり大事にはしたくない、というレモネード・ジャンキーの要望に応え、複数の自家用車に私服警察が乗ってやって来たようだ。もちろん彼らは、この少年少女がレモネード・ジャンキーであることなど知らない。
ある男性はチェックシャツの胸ポケットから警察手帳を取り出し、またある男性は、肩にかけていた地味なポシェットから銀色に光る手錠を取り出した。
「これはこれで、なんか面白いわね」
「ああ、異様な光景だな。逆に目を引きそうだ」
男の手首には手錠をかけられ、そのまま車に乗せられて行ってしまった。少女はまだ、ミゲルの後ろに隠れたままだ。
七緒が気付いて近寄る。
「ミゲル、その子は」
「男に誘拐されて連れてこられただけだ。犯行のことも、薬物にも一切関係ない」
「そうか。……一応、署に来てもらえるか。詳しく話を聞きたい」
七緒が屈んで少女に話しかける。少女は怯えたようにミゲルの手を握っている。少し震えているようだ。
「俺も一緒でいいか?」
「ああ、もちろん」
ミゲルは少女に向き合う。
「お兄さんに協力してあげてくれないか。大丈夫、僕がそばにいる。怖いことはないよ」
キザなセリフに、七緒は目を白けさせる。ちらっとあぐりを見ると、同じような反応をしていて、七緒は思わず吹き出した。
少女とミゲルを乗せた車は、男の後を追って行ってしまった。残されたあぐりと七緒は、一度アジトへ戻ることにした。
「ありがとな、給料多めに割り振ってやるよ。にしても、薬物も絡んでるのは予想外だったな」
窓のヘリに頬杖をつきながら、片手で運転する警察官はどうなのだろうか、と後部座席から訝りつつ、あぐりはパーティー中に感じた疑問の存在を思い出した。
「そうだ、ミゲルが薬物の匂いを嗅いでたんだけど、あれ大丈夫なの?」
ああ、と七緒は嘲笑するように答える。
「ミゲルには薬物は効かない。なんてったって、人形だからな」
「ふうん。食べ物は食べられるのに、不思議ね」
「それは……なんでだろうな、確かに」
そういえば、あぐりが初めて会った時も、七緒はしれっとレモネード・ジャンキーに依頼をしてきたが、この組織とは一体どういう繋がりなのだろうか。できるだけ警察と関わらないようにしているレモネード・ジャンキーにとって、七緒がただの警察官ではないのは明らかだ。
「ねえ、七緒は、どうやってレモネード・ジャンキーの存在を知ったの?」
七緒は、しばらく無言だった。ようやく口を開いたと思っても、さあな、と言うだけで、答えてくれなかった。その目は、真っ直ぐ前を見つめていた。
「……あ、ごめん、借りてた隠しカメラ、壊しちゃった」
「あー、別にいいよ。そうだ、それ音声機能付いてなかったけど、大丈夫だった?」
「……は?」
[第8話 ダンス・マカブル⑤に続く]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます