第6話 ダンス・マカブル③



「それ、わたしに頂けませんか…?」



「おっと?」


モニターを見ていたナギが、ガタッと椅子から背を浮かせた。ババ抜きをしていた他四人は、ナギの声を聞いてモニターに近寄る。


「誰だ?この子」


「今、急に近づいてきた。ミゲルが持ってるカップと何か関係あるのかな」


「美味しそう…」


「お姉ちゃん、ちょっと静かにしてて」


モニターに写ったミゲルは、何か言おうとしたあぐりを制して、カップを少女に手渡した。


「…食べたかっただけ、ですかね」


「いいな、私も食べたい」


「お姉ちゃん」


少女は笑顔で去っていった。ミゲルたちは、少しして少女がモニターから消えると、背後を追っていった。


「やっぱり、取引と何か関係あるのかも」


七緒は画面に見入る。もう少し様子を見た方が良さそうだ。



「お父さんがそれ、好きなんです。わたしが持っていったら、喜んでくれるかな、って思って」


もじもじしながら話す少女は、ちらちらとあぐりの方を見やる。ドレスアップした優美な女性を前に、緊張しているようだ。


「そうなのね。そしたら、こっちの方が…」


その白いのは得体が知れないから、とアラザンの乗った別のカップを渡そうとするあぐりを、ミゲルが片手で制す。ミゲルはにやりと笑っていた。


「はい、どうぞ。これ美味しかったよ」


ミゲルから手渡されたそれを見て、顔を輝かす少女は、ありがとう!と元気よく去っていった。


「ミゲル、いいの?あれ変なの乗ってたわよ」


「あの子、怪しいかもしれない」


え、とあぐりは言葉を失う。どこからどう見ても、可愛い普通の少女だった。犯罪と絡んでるようには見えない。

あぐりは見えてなかったかもしれないけど、とミゲルは話を続ける。


「あの子、俺たちの方をずっと見てた。あぐりがそのカップを手に取るのを見て、走ってきたんだ。しかも、そのカップの上に乗ってた白いやつ」


ミゲルは声を潜める。あぐりも屈んで耳を寄せた。


「もしかしたらだけど、薬物かもしれない」


「!?」


今まで何度か薬物絡みの事件には携わってきたレモネード・ジャンキーだが、あぐりが薬物に直接関わるのは初めてだった。

途端に緊張が走り、背筋が強ばる。


「追いかけよう」


至って自然に見えるように、ゆっくりと歩き出すミゲル。その小さな背中を心配そうに見つめ、あぐりも後を追った。




大事そうに両手でカップを包み込んだ少女は、ぱたぱたと足音を鳴らしながら、貴婦人と楽しそうに会話をする一人の男性のもとへ駆け寄った。どうやら、あの人が彼女の言うお父さんらしい。頭を撫でられた少女は、嬉しそうに微笑んだ。

垂れ下がったテーブルクロスの影に隠れて、二人は少女を見つめる。


「あれがお父さんかしら」


「いや、あの人、さっきみんなの前で喋ってた人じゃないか?」


「え…ほんとだ」


男の左胸には、赤い薔薇が差し込まれていた。男の前に代わるがわる招待客が挨拶に行っているのを見ても、間違いないだろう。


「なんか匂うわね。あの子のお父さんにしては、ちょっと若すぎる気がしない?多分まだ二十代くらいだわ、あの男」


「うん…あぐり、俺にいい案があるんだが」


ミゲルの作戦を聞いたあぐりは、困ったように眉をひそめた。


「それ、あたしにできるかな」


いつになく不安そうなあぐりを元気づけるように、ミゲルはいつも通りの笑顔をつくって言った。


「大丈夫。何かあったら俺が助けるから」


無邪気な子供なら、可愛いね、で済むような言葉だが、それをミゲルが言うものだから、あぐりは勝手に本日二度目のドキドキを発生させてしまった。負けたようで何となくムカついたあぐりは、そっぽを向いて言った。


「い、言ったわね。まあ、あたしにかかれば楽勝よ」


でも助けに来てよね、絶対だからね、と口を膨らませて言うあぐりは、いつもと変わらず喧嘩腰だ。よかった、とミゲルは心の中で呟いた。


「じゃ、行こう。困ったら呼んで」


「あ、あたし今日あれ持ってきてないわ」


あぐりは自分の耳を指さした。いつも耳に填めているイヤホンモニターを、今日は人の目が多いから、とアジトに置いてきてしまっていた。


「隠しカメラに音声機能がついてるんじゃないか?あぐりがまずくなったら、ナギが俺に連絡をくれるだろ」


カメラに通話機能がついていないのが発覚したのは、七緒が会場からアジトに戻った時。つまり二人は、カメラに通話機能がついていると思い込んでいた。

勘違いに気付かないまま、二人はそれぞれ作戦へ移行した。

あぐりをその場に残し、ミゲルは女の子へ近づく。男は話に夢中で、近寄ってきた子供の存在には気付く気配もなかった。

ミゲルは人差し指を唇にあて、女の子に微笑む。


「やあ、こんにちは。さっきの料理、お父さん喜んでくれたかな」


女の子にしか聞こえないボリュームで話しかけ、男の様子を確認しながらさりげなく女の子の手を取り、少しずつ後ずさる。

後ろから様子を見ていたあぐりは、前世はホストでもやってたのかしら、と目を白けさせた。

女の子は取られた手を見てドギマギしながらも、少し赤らんだ顔を大きく縦に振った。

女の子の返答に、ミゲルは笑顔で応える。


「よかった。ちょっと一緒に遊ばない?」


女の子は顔をぱああっと輝かせ、「うん!」ともう一度頷いた。男はまだ気付いていないようだ。

とりあえず、第一関門は突破した。親指を立てるあぐりの横を抜け、大広間を出た。



「ん?なんか二手に分かれたぞ」


ナギが呟くと、ババ抜きが白熱して言い争いになっている七緒とエラを置いて、まだまともな二人が近寄ってきた。

ミゲルが着ているジャケットの内部に仕込まれた隠しカメラには、少し緊張したような女の子が写っている。二人は大広間を出て、そのまま外に向かったようだ。


「何をするつもりでしょうか」


「あぐりのカメラには、まだあの男が写ったままだな」


あぐりは依然、男の様子を探っているようだ。


「あの二人に何か、取引との関連があるのでしょうか」


「さっき、カップを渡した子だよね、あの子」


「多分な。うーん、何がしたいんだろう」


首を傾げるナギを置いて、二人は七緒とエラの取っ組み合いを止めに入った。



その頃あぐりは、会話をやめて動き出した男の背後を追っていた。

男は客と客の間をするりと抜け、会場の裏へと繋がるドアの中へ消えた。


「あ、待って」


ドアには黒字で[STAFF ONLY]と書かれていた。見られていないか、辺りを確認してドアノブを回す。

と、上から男の声がした。


「皆様、お楽しみ頂けておりますでしょうか」


突然、頭上から響いた声に、咄嗟にドアノブを握っていた右手を離した。目立たないように、壁際に寄る。

男は、再度ステージの上に立っているようだ。マイクを持ってにこやかに挨拶をしている。

あぐりは両手をきゅっと握りしめた。驚いた衝撃で、心臓がドクドクと音を立てているのがわかる。極度の緊張で、手足が震え出した。慣れない格好で、慣れない場での単独任務は、なかなか応えるものがある。


「でも、あたしがやらなきゃ」


ミゲルはあたしを信用して、この案を出したんだ。そう思うと、内側からふつふつと熱い何かが湧き上がってくる心地がした。この手足だって、きっと武者震いだ。

あぐりは、にやりと口角を持ち上げた。




「わあ、綺麗!」


「だろう?この花、君に似合うと思うんだ」


屋敷を出て、少し歩いた先に庭園があった。警備員に見つからないよう、ミゲルと少女は赤い薔薇の咲く木の下に隠れこんだ。スパイみたいだね、とミゲルが言うと、おかしそうに少女も笑った。

ミゲルは薔薇を一輪抜き取り、丁寧に棘を取り除くと、少女の髪飾りの横に差した。


「ほら、もっと可愛くなった」


甘い言葉と共に微笑まれ、照れたように下を向く少女。恥ずかしがり屋のようだ。

そろそろ本題に入るか、とミゲルは近くの段差に腰を下ろした。少女も隣に続く。


「君はどうしてこのパーティーに来たの?」


少女は、はっとした表情をして目を逸らし、口をきゅっと結んだ。

やっぱり、怪しい。でも、あまりきつい質問をすると、逃げていってしまうかもしれない。慎重にいかないと。


「…このパーティー、楽しい?」


女の子は正面に向けていた顔をくるっと回してこちらを向き、うん!と満面の笑みを浮かべた。

ミゲルも笑って続ける。


「そっか。よく来るの?」


「ううん、初めて。うち、貧乏だから」


ミゲルは確信する。この子は、取引に利用されている、ただの女の子だ。


「…そうなんだ。実は僕も、今回が初めてなんだ。お揃いだね」


お揃い、と繰り返し、ふふふ、と微笑む少女。小さい子にはお揃いは嬉しいものだ。


「あなたのお姉さん、とっても綺麗ね。さっき、見とれちゃった」


徐々に心を開いてくれているのだろうか、少女から話しかけてくれた。


「はは、ありがとう。自慢の姉だよ。君のお父さんも、若くて背がこんなに高くて、かっこよかったよ」


父の話題に触れてみる。少女は顔を硬くし、引きつった笑顔を貼り付けて、そうでしょう、と呟いた。

今なら、教えてくれるだろうか。


「…あの人は、本当は誰なの?」


少女は下を向いた。話してくれるのを、ミゲルは待った。

そして少女は、静かに口を開いた。



「…二人だけの、秘密にしてくれる?」



少女は語った。男は本当のお父さんではないこと。男がただのセレブではない、ということ。そして、これは誘拐まがいだと、認識していること。


「美味しいものも食べられるし、綺麗なドレスも着られるよ、って言われて、着いてきちゃった。遊んでくれるのかなって思って」


ごめんなさい。誰にとは言わず、少女は呟いた。

ミゲルは暗い顔をした少女の頭を撫でた。安心したのか、少女はへへ、と笑った。


「約束するよ、言わないって。だから、ちょっと質問してもいい?」


うん、と少女は頷く。頭上で薔薇が揺れた。


「その人に、白と茶色のカップを持っていったでしょ。あれは、その人が食べてた?」


少女は顎に手を当て、考え込む素振りをする。やがて、あ、という声と共に、少女は顔を上げた。


「食べてたよ、けど、上に乗ってた、なんだろう、白いやつ?は手で取ってポケットにしまってた。なんかにやにやしてて、気持ち悪かったなあ」


「…やっぱりか」


なかなか暴言を吐く少女にも驚きつつ、ミゲルは自身の仮説が正しかったことを確認した。あれは間違いなく薬物で、取引が終わったあとに少女を殺そうとしていたのだろう。あるいは、取引相手を。


「ごめん、もう一個だけ聞いてもいい?その人、誰かに何か、ものを渡すような動きはしてなかった?」


曖昧な質問になってしまった。伝わるだろうか。

しかし少女は、今度ははっきりと答えた。


「してた。パーティーが始まる前に、旅行用のガラガラを横にしたみたいなカバンを、白いドレスに赤い薔薇の髪飾りを付けた女の人に渡してた」


ちょうどこんな感じかも、と少女は笑いながら自分の頭を指さした。ミゲルも一緒になって笑うが、内心それどころではなかった。


(そうか、俺達が中に入った頃には、取引はもう終わっていたのか。とすると、取引相手は既にここにいない可能性が高い。さらに男は今、薬物を所持している)


ミゲルは嫌な予感がして立ち上がった。ただならぬ雰囲気を感じたのだろうか、少女は心配そうにミゲルを見つめる。


「…あぐりがまずいかもしれない」


もし尾行がバレたら。

薬物は、あぐりに使われるかもしれない。

落ち着け。ミゲルは自分に言い聞かせる。今、俺がやらなければいけないことは。


(七緒に連絡して取引相手を見つけてもらうこと、あぐりを助けに行くこと、あと、男の仲間がシェフの中にいるかもしれない)


いや、最優先すべきは。



「あぐり」



ミゲルは呟き、少女を立ち上がらせる。状況を説明している暇はない。



「一緒に、来てくれるかい?」



[第7話 ダンス・マカブル④に続く]

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