第5話 ダンス・マカブル②



そして、ダンスパーティー当日。

あぐりはモデルの撮影で使った、ツンデレすぎず、黒が基調の落ち着いたドレスを着用し、隠しカメラ付きの髪飾りをあてた。眼帯も目立たないよう、髪で上手く隠した。


「ど、どう?キラ」


モデルの時に一回着ているが、見せる人がいるとなると、しかもそれが知り合いだと思うと、余計に恥ずかしさが込み上げてくる。


「可愛い!すごく似合ってるよ」


満面の笑みではしゃぐキラに、自然と頬が緩んでしまう。

既に着替えを終え、リビングでテレビを見ているはずのミゲルの元へ向かう。


「おまたせ〜…」


おめかしをしている時は、冗談だって酷いことを言われたら傷ついてしまうものだ。出来ればナギやオボロには会いたくない、特にナギには、と思っていたら、リビングにミゲルはおらず、逆にその二人が待ち構えていた。


「最悪」


「いやなんでだよ」


「酷いです」


さすがに開口一番には向かなすぎるワードを選んでしまった、とあぐりはちょっと反省した。キラが背後で笑っている。

しかし、飛んできた言葉は予想外のものだった。


「え、めっちゃ似合ってるじゃん。お姫様みたい」


「は」


ナギが驚いたように目を見開いて言う。

それもそれで気に食わないが、「はっ、馬子にも衣装だな」みたいなことを言われると思っていたので、拍子抜けしてしまった。


「はい、素晴らしいです。花飾りも綺麗ですね」


オボロも加えてニコニコしながら言う。

褒められるのは得意じゃない。どう反応したらいいか、分からなくなってしまうから。


「な、何よ、褒めたって何も出ないわよ」


照れて赤くなった頬を隠すように、そっぽを向いて言った。


「え、じゃあいいや」


「期待して損しました」


「歯食いしばれこの野郎」


近くにいたオボロの胸ぐらを掴む寸前でキラが止めに入る。ナギは笑いながら自室へ逃げ込んだ。


「うそですうそですうそですごめんなさい」


「もう、オボロもナギもなんてこと言うの、あぐり落ち着いて、ミゲルー!」


キラが助けを求めると、ミゲルは慌てて自室から飛び出してきた。しかし、視界に広がった光景に、困惑が隠せない。


「え、な、何してるんだ」


「あぐりを、止めて、!」


キラも暴走少女を止めるのに必死だ。怒り狂った女は際限を知らない。


「もう、またあぐりに何か言っただろう」


呆れながらあぐりに近づくミゲル。ドレスの裾をくいくいっと引っ張って言った。


「あぐり、この衣装すごく似合ってる。でも、怒った顔をしたら台無しじゃないか。ほら、笑ってみせてよ」


少しの沈黙の後、その場にいた全員が目を丸くする。突然少年の口から飛び出した大人すぎるその言葉は、あぐりの心にジャストミートした。


「ご、ごめんミゲル。落ち着いたわ。ミゲルも似合ってる!」


「良かった。この体でスーツを着るのは初めてだったから、ちょっと心配してたんだ」


キラはほっと胸を撫で下ろし、すぐにナギを部屋から引きずり出して、何とか命拾いしたオボロをナギの隣に正座させ、説教を始めた。


「…なんだ、これ」


自室の外から聞こえる騒音に起こされ、少し機嫌の悪かったエラは、リビングの惨状を目の当たりにし、ひとりカオスを感じた。




会場までは、七緒が車を出してくれることになっていた。カオスがようやく収まった頃にアジトに顔を出した七緒は、素直にあぐりを褒めた。


「へえ、様になってるじゃないか」


「もうその言葉でもだいぶマシな褒め方に聞こえるわね」


「え、何、ごめん」


「いいの、七緒は何も悪くないわ。さ、行きましょ」


機嫌が良いのか悪いのか分からない。

鼻歌を歌いながら車に向かうあぐりを不思議そうに見つめた七緒だが、腕を腰に当てて仁王立ちしているキラの前で男二人が項垂れているのを見て、なんとなく状況を察知した。とりあえず、二人に親指を立ててから車に乗り込んだ。


「ほんとに大丈夫かしら」


一応作法はオボロから習ったけど、と呟く。オボロは何故かテーブルマナーに詳しかった。


「まあ、まだ若いし、大目に見てくれるんじゃないか」


「足を引っ張らないように頑張るよ」


他の男たちよりはよっぽどミゲルの方が紳士だな、と、今朝の一件を通じてあぐりは確信した。


「てゆーか、七緒が行けば良くなかった?あんたもまだ若いでしょうに」


「俺はセレブに顔が知れてるんでね、生憎ここらじゃ有名な刑事やらせてもらってるんで」


言わなきゃ良かった、と心底後悔した。


「さ、着いたぞ」


しばらくして、七緒がエンジンを止めたのは、いかにも豪邸、と呼ぶにふさわしいような見た目の屋敷の前だった。いつか火を吹く怪獣が攫った、あのピンク色の姫の住む城を彷彿とさせる。


「え、やば」


「こんなところがあったのか」


一般庶民にはお目にかかる機会も無さそうな、豪勢な佇まいにたじろぐ。周りにもちらほら、ドレスやタキシードを身にまとった人々が集まってきていた。開場はまもなくのようだ。


「俺はナギのところで監視カメラ見てるから。良さそうなタイミングで戻ってくるよ」


じゃ、と言って、七緒は行ってしまった。たとえ七緒でも、背後に警察がいる、という安心感が消えてしまったようで、あぐりの体が無意識に強張る。

ミゲルはそんなあぐりの手を取った。


「あぐり、俺もいるから大丈夫。頑張ろう」


見た目は子供でも、うちの頼れる総裁にそんなことを言われると、逆になんかドキドキしてきたぞ、とあぐりは自己観察ができるほどの冷静さを取り戻した。

きゅっと手を握り返す。白い手袋越しに伝わる、硬い木の感触。でも、温もりはしっかりと感じ取れた。


「うん、行こう」


「あ、待ってあぐり」


お姉ちゃん頼りの弟感を出すため、犯人を見つけ出すまではあぐりがミゲルを抱っこしていく決まりだった。気を取り直してミゲルを前に抱える。


「さ、行こう」


「う、うん」


履きなれないヒールをコツコツと鳴らし、続々と貴婦人、貴公子が吸い込まれていく入口へ歩き始めた。




第一関門は、不審に思われずに入口を通り抜けることだった。


「…結構、見られるわね」


入場待ちの列に並ぶと、こちらを見る人々の不思議そうな視線と、ひそひそ話に取り囲まれた。


「まあ、こうなるのは想定内だよ。作戦通りいこう」


屋敷の玄関には、専属の執事だろうか、招待状をチェックする係の者が二名立っていた。こちらを見て、同様に怪訝な顔をする。

二人は何やら言葉を交わし、そのうちの一人が笑顔を張り付けたままこちらに向かってきた。


「み、ミゲル」


「大丈夫、落ち着いて」


あぐりの腕に力が入る。ミゲルはあぐりの手に、自分の手のひらをそっと重ねた。

深呼吸をして、準備したフレーズを心の中で復唱する。


「こんにちは。ようこそいらっしゃいました、お嬢様。そちらのお子様は?」


「ご、ごきげんよう。この子は私の弟よ。いずれこちらのパーティーに参加するようになるから、少し様子を見せてあげたいの。男女、という決まりは守っているわ、大丈夫でしょう?」


あぐりの手が震えている。余程緊張しているようだ。ミゲルはあぐりの手を離し、すとんと地面に降りた。ここからはミゲルの出番だ。

ミゲルは、右手を高く上げて言った。


「こんにちは、かっこいいお兄さん!」




「きた、ここで精神攻撃」


あぐりの花飾りの監視カメラの映像をモニターに投影しながら、画面の向こうでナギはにやりと笑った。

七緒、エラも含めた一同がナギの部屋に集まり、二人の様子を見守っていた。この精神攻撃作戦は、あぐりの提案である。「可愛い子供の上目遣いの破壊力は凄まじいのよ」とのこと。


「いい感じじゃない?あの男の人笑ってるよ」


「だな。このまま行けば大丈夫…っていうか、なんでこのカメラ、音声は聞こえないんだよ」


七緒から借りた隠しカメラには、音声通話機能は搭載されていなかった。会場の二人はそれを知らないので、どうすることも出来ない。ナギ達は、二人の行動で様子を探るしかなかった。


「上がケチでなかなか買い換えてくれないんだ」


「ついに言ったな」


「お、無事に入れたようですね」


オボロが見つめる画面の先には、ほっと息をつくあぐりの様子が映されていた。




「ほ、ほんとに抜けれた」


あぐりはまだドキドキしていた。心臓を抑えたあぐりを見て、ミゲルは笑う。


「あぐり、本物のセレブに見えたぞ。ナイス演技だ」


「ミゲルこそ。可愛かったわ、本物の子供みたいで」


「それ、あんまり嬉しくないんだが」


こそこそ話しながら人の波に飲まれ、為す術もなくずるずると大広間へ向かわされる。


「ていうか、あんまりそれっぽい人いないよね」


本来の目的を忘れかけていた。今回のミッションは、ここで行われる予定の不正取引を、未然に防ぐことだ。まだ潜入したばかりだが、怪しい素振りを見せる人は見受けられなかった。


「まあ、さすがに身は隠してるだろうな。良家のお嬢様が取引の片棒を担いでいる可能性だってある」


「そうね。慎重に行きましょ…って、ひっっっろ」


ようやく辿り着いた大広間を一望して、あぐりは愕然とした。

某ドーム何個分か、数える気も湧かないほどの広さを誇るホール。色とりどりの花やほかほかの料理が乗せられ、白いクロスが掛けられたいくつもの丸テーブル。ステージのような高台になっている広間の奥の方には、見上げると首が痛くなる高さまで伸びたパイプオルガンが鎮座している。天井には、いつか盗み出したダイヤの比にならない輝きを放つシャンデリアが、所狭しとぶら下がっていた。

こんなに非日常な景色でさえも、もはや見慣れたものなのだろうか、人々は続々と大広間の中へ入り、ジュースやワインを片手に談笑を始めた。


「…これは、すごいな」


ミゲルも、あぐりの腕の中で、驚嘆の色を露わにしていた。


「と、とりあえず、飲み物を取りにいきましょう。この雰囲気に馴染まなきゃ」


そう言ったあぐりは、右手と右足を一緒に出しながらテーブルへと向かった。ミゲルは可笑しそうに微笑む。




「でかすぎでしょこれ」


ナギは映像を見て、あぐりと同じ顔をした。キラに無理やり連れてこられ、つまらなそうにしていたエラでさえ、顔をしかめている。


「ダンスパーティーとか、何が楽しいの」


「同感だな。ところで相談なんだが、エラ、その手を退けてくれないか」


ぼそっと呟いたエラ、の腕が自分の頭の上に乗っていることを言い出すタイミングを探っていた七緒が、ここでついに口に出した。


「嫌。ちょうどいい高さ」


エラは一度決めたことは必ず曲げない。見かけによらず頑固であった。七緒は諦めた。


「あ、なんか始まった」


キラが呟くと、画面の奥のステージでマイクを持って礼をする一人の男性が何やら話し始めた。




「紳士淑女の皆様、本日はお集まりいただきまして誠にありがとうございます」


突然現れたスーツ姿の男性の言葉に、会場からは軽く拍手が起こる。男が一礼すると、胸元のポケットに差し込まれた赤い薔薇がふわりと揺れた。

飲み物を取り終えて、行き場もなく一番端のテーブルに着席したミゲルとあぐりは、辺りを注意深く観察していた。


「なんか始まったわね」


「主催の人か?やけに若いな」


ミゲルの言う通り、男はパーティーの参加者に比べてもかなり若く見えた。この男が屋敷の主なのだろうか。

経験上、全員の視線が中央の男性に集まるこの時間が、犯行のチャンスである。会場から抜け出す人がいないか、細部まで確認する。


「…いなそう」


「だな」


男の話が終わっても、外から戻ってくる人の姿はなかった。どうやら、取引はまだ先のようだ。

それなら、とあぐりは立ち上がり、ミゲルの手を取る。


「ちょっと料理とか、見て回らない?」


楽しそうな笑みを浮かべるあぐりに、少し驚いた顔をするミゲル。少しずつ慣れてきたようだ。もちろん、とミゲルも笑って返した。

一定間隔で並べられたテーブルには、何一つとして同じ料理はなかった。色鮮やかな魚介のマリネ、鴨のコンフィ、野菜のゴロゴロ入ったキッシュ。名前からオシャレな海外の料理を初め、煮物や寿司、抹茶を使ったスイーツなど、日本食も豊富に揃えられていた。見ているだけでお腹いっぱいになりそうである。


「うわ、めっちゃ美味しそう…」


「普段食べる機会の無いものばかりだな。これ、美味しそう」


ミゲルが手に取ったのは、透明の小さなカップ。中では白と茶色が二段の層になっており、上にはアラザンのようなものが乗っていた。


「それ何?アラザンとか、お菓子でしか使わないと思ってた」


「いや、俺も分からない。あぐり、お菓子とか作るのか?」


「んー、たまにね。あんまり詳しくはないけど」


返しながら、ミゲルにスプーンを手渡す。一口掬って食べると、優しい舌触りが口の中で溶けた。


「美味しい。魚のすり身だ。茶色いのはソースかな」


「え、美味しそう。あたしも食べよ…て、これなんだ?」


あぐりが手に取ろうとしたカップには、アラザンとは少し違う、白い何かが乗っていた。


「さっきのとちょっと違うわよね」


「本当だ。間違えたのかな」


ちょっと匂いを嗅がせて、とミゲルは容器を受け取る。

すんすん、と鼻を鳴らすと、不思議そうに口を開いた。


「これ、もしかして…」


「あ、あの!」


背後から聞こえた知らない声。ミゲルは振り返る。

こちらを見ていたのは、ミゲルと同じくらいの背丈の少女だった。


「それ、わたしに頂けませんか…?」



[第6話 ダンス・マカブル③に続く]

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