第4話 ダンス・マカブル①
翌日。
キラが軽く身支度をしてリビングへ向かうと、既にミゲルとオボロが茶を飲んで駄弁っていた。
「おはよう、ミゲル、オボロ」
「おはよう」
「おはようございます。早いですね」
今日は土曜日。高校生ならまだ寝ていてもいい時間だが、キラはこの中で誰よりもしっかり者だった。
「オボロこそ。まだ七緒さん来ないんだから、もっと遅く来ても良かったのに」
「それが、早朝にナギに呼び出されまして」
虫の退治くらい一人でも出来る気がしませんか?と軽く毒づきながら、オボロはキラの分の茶を用意した。
キラはありがとう、と返し、キッチンからお菓子を取り出して並べた。
「言ってくれれば、僕がやったのに」
「いやいや。私が来た時、ナギまだ昨日のお酒が抜けてませんでしたし」
「それはまずいね。酔ってるナギに女子は近づかせない方がいい」
それはそう、とキラは思った。
見た目が女子っぽいので、皆は女子だということにしているが、実はキラは性別不詳である。一人称は僕だが、女の子扱いされるのを拒むことはない。本人がどっちでもいいと言っているので、どっちでもいいのだ。
「おはよ〜」
毛むくじゃらのシャム猫のような頭をボリボリと掻き、大きな欠伸をかましてエラが起床した。
「お姉ちゃん、早いね」
「おはよう」
「おはようございます」
「ん〜、散歩行ってくる」
「「「ちょっと待て」」」
ぼさぼさの髪、お腹が完全に出る丈の短いTシャツ、その長い足にはあまりにも短すぎるショートパンツで玄関に向かったエラを、三人は全力で止めた。
「?」
不思議そうなエラをよそに、どうにか身支度を整えさせて送り出すと、間髪入れずにナギが起床した。
「ふあ〜あ」
「だらしないね」
車椅子を動かし、寝癖の付いた髪をピンで留めながら、キラの隣に向かう。
「第一声それなの?おはようとかないの?」
「おはよう、ナギ」
キラはナギの分のコーヒーを器用に片手で淹れ、ちゃんと挨拶した。髪色と似ていてバカにされるから、と茶を嫌うことも把握済みである。
「うん、キラは優しいね、おはようね」
「おはよウナギ」
「てめえばかにしてんのか」
ミゲルとキラは、茶を噴き出しそうになったのを慌てて堪える。不貞腐れてコーヒーに口をつけるナギ。そんなに嫌そうに見えなかったので、オボロは謝らなかった。
そこへ、ピンポーンとインターホンが鳴る。
オボロがドアを開けると、珍しく黒髪のあぐりと、隣に並ぶターコイズブルーの髪の、端正な顔立ちをした青年と目が合った。
「おや、いらっしゃいませ。一緒にいらしたんですね」
「そこで会ったのよ」
「あぐりが黒髪だったから、最初わからなかった」
「この後撮影があるの。人気者って大変だわ」
あぐりは組織の活動とは別に、モデル業もしている。本人はメディアに追われるのが嫌なようで、客層の固定しているツンデレ美少女雑誌なるものを好んで掲載してもらっているらしい。モデルの仕事の際は、目立つ赤髪は隠して黒いカツラを被っている。
「ははは、人気者ね。じゃ、手短に済まそうか」
「なんで笑ったの?」
「ごめんって」
あぐりに真顔で詰められ、思わず目を逸らす青年は、辻七緒といった。彼は都立警察所属で、若くして支部長まで登り詰めた逸材だ。
レモネード・ジャンキーは、孤高の組織である。
その仕事の速度、精度、匿名性を買い、政府や警察、おまけに海外の犯罪取締局などから、直属のエージェントにならないか、との誘いも受けたことがあるが、全て断った。社会のはぐれ者たちが好きにやっているだけ、というスタンスを崩したくないからだ。
そんな中でこの男、辻七緒だけは、警察として動く傍ら、レモネード・ジャンキーの正体を知っており、こうして度々アジトにやってくる。
その理由は、彼がレモネード・ジャンキーの給料元、かつ依頼主だからである。
「はい、今回と前回の分の給料」
散歩中のエラを除く全員がリビングに集まったことを確認して、七緒は肩から提げた鞄から茶封筒を二つ取り出した。表には、繊細な筆跡で「レモネード・ジャンキー 依頼料」と書かれている。
「あたし体張ったんだから、ちょっとボーナスちょうだいよ」
「ミゲルに頼め。内訳は任せる」
「オボロがいいならそうするけど」
「そうですね、今回は私はほぼ何もしてないので、私の分から引いてあぐりに上乗せしてください」
「やった〜オボロ大好き!」
本気で照れ始めたオボロに若干の気色悪さを感じたので、あぐりは口を噤んで見て見ぬふりをした。
「ありがとな、いつも依頼受けてくれて」
実は、七緒の昇進の影には、レモネード・ジャンキーの存在が欠かせなかったのである。
七緒に任される仕事のうち、三分の一ほどをレモネード・ジャンキーに依頼し、その分の報酬を渡す。お陰で七緒は仕事量が少なくても上司から認められ、レモネード・ジャンキーにもそれなりの給料が入る。まさにウィン・ウィンの関係である。実際、レモネード・ジャンキーの給料のほぼ全てが、七緒からの依頼で賄われていた。
「こちらこそ。警察への口止め料だよ」
レモネード・ジャンキーのこなした仕事が警察内で話題になっても、世に出回るのは七緒が制止していた。レモネード・ジャンキーへの世間からの悪評が少ないのも、七緒が一役買っているお陰だった。
「ところで、次の依頼なんだが」
「またかよ。ちょっとは休ませてくれよ」
ゴソゴソと資料を取り出した七緒に、ナギは怠そうな顔をする。
「あんたはずっと家の中なんだからいいでしょ」
「システムジャックって割と疲れるんだよ。数字が嫌いになる」
「ふーん、私には無理ね」
「ああ、無理だろうな、お馬鹿さんには」
ナギの腕が捻り上げられそうになるのをキラが必死に止めている図には目もくれず、ミゲルとオボロ、七緒はテーブルに広げられた資料を眺める。
「これは…」
*
「これは…」
「ダンスパーティー、ですか?」
七緒がテーブルに並べた資料には、都内でもセレブが集まると有名なパーティー会場の写真、そこで優雅に踊る煌びやかな男女の様子が載せられていた。
「来週、ここで行われるダンスパーティーで、不正取引が行われる可能性があるとの情報が入った。確かにここには金持ち達が集う分、内部の情報がほとんど外に出回らない。警察も立ち入りが制限されているから、うってつけの場だと思ったんだろう」
「確かに、ここならバレずに済むかもね」
「頭いいな」
着眼点そこじゃないんだが、と七緒は心の中でつっこむ。
さらに七緒は、資料の下から赤い封筒を二つ取り出した。達筆な英字の金箔が施されており、いかにも高級そうな見た目をしている。
その瞬間、辺りを包んでいた空気が変わった。
七緒は嫌な予感がした。
「…そのパーティーへの招待状を二枚、手に入れ」
「やだ」
「行かない」
「俺踊れないからなあ」
「ただの一般庶民ですので」
「…だろうと思ったよ」
食い気味な大ブーイングを受け、よろよろと封筒を持ち上げていた手を降ろし、ため息をついた。
「ダンスなんて出来るわけないじゃん」
「それは警察も変わらないだろ。しかもこのパーティー、男女でしか入場できないんだ。ほら、うちの支部、女警がおばさ…あんまりいないからさ」
「ほぼ言ってたぞ」
顔の横で招待状をひらひらさせ、そっぽを向いて誤魔化す七緒。所詮この男も、そこらの若造と変わらなかった。
「でも、七緒さんのとこよりは僕たちの方が、年齢的にも適任なのかな、年齢的にも」
「キラちゃん、受け入れてくれるのは嬉しいけど繰り返さないで、それすごい刺さる、痛い」
真顔で言うから尚更である。キラはただのいい子ではない。覚えておいた方が身のためかもしれない、と七緒は思った。
「七緒、男女なら、男は俺でもいいのか?」
その一言に、全員が目を丸くする。
口に出したのは、ミゲルだった。
「…いや、いいと思う、けど」
「じゃあ、俺が行こう。いい案がある」
ミゲルがにやりと笑う。総裁の悪い笑顔は、いつだって組織に成功をもたらしてきたのだ。自然と皆、つられてにやりと笑う。一斉に全員がこちらを向いて悪い顔をするので、逆にミゲルは恐怖を感じるが。
「俺の社会見学、という名目で入ろう。まだ子供だが、ゆくゆくは名家の跡継ぎを担う子だから、早めにダンスパーティーの様子を見せてあげたくて連れてきてしまった、と母親のあぐりが言うんだ」
「いや、なんであたし」
「名案」
「最高」
「さすが総裁」
「よし、それでいこう。あぐり、頑張れ」
七緒から笑顔で招待状を手渡され、わなわなと震え出すあぐり。それを見て一同は笑顔で拍手をしている。あぐりは心底嫌だったが、総裁のご指名なので断れない。赤い封筒はナギが無理やり握らせた。
とはいえ、セレブがダンスパーティーに子供を連れていくだなんて、マンガでも聞いたことがない。
「入れるのかなあ、ほんとにそれ」
不安そうなキラが呟く。オボロも心配しているのか、眉尻を少し下げた。
「あぐりも、母親と言うにはまだ若いです。姉弟ならまだしも」
「姉弟でいいんじゃない?」
ナギがダンスパーティーの写真を眺めながら言った。
「ほら、ここ見て」
ナギが指差した注意書きには、「交流の場ですので、若い方もどうぞ」というような趣旨の文が書かれていた。
「カップルでもなきゃ踊らされないだろうし、若い方ではあるよ、一応。屁理屈かな」
「屁理屈っぽいけど、まあそう書いてあるならいい気もしてきたわ」
踊らなくていいなら行っても行かなくてもいい、と抵抗も面倒臭くなってきたあぐりは思った。
「あぐり、頑張ろう」
ミゲルがニコッと笑って言う。あぐりはこの笑顔に弱い。
「かわいい頑張る」
「盲目か」
発言したナギも含め一同は、何気に上手いこと言ってるな、と思った。誰も口には出さなかったが。
[第5話 ダンス・マカブル②に続く]
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