2-1 爆発(1)

「で、遠野さん」

 ソファーに身を投げ出したすばるは、ダイニングにいる遠野に聞いた。遠野の姿を横目でチラッと確認する。

「家族はいるの?」

「〝いた〟が正しいな。今はいない」

 遠野は、苦笑いをしたまま答えた。

「なーんだ、つまんないの」

「つまんない?」

「オレと一緒じゃん」

 天井を見上げたすばるは、遠野の言葉に一言ポツリと返す。

「みんな、オレを置いていなくなっちゃったから……」


 すばるに、同居する家族はいない。近所に住む親戚が、安否確認のため、たまにすばるの様子を見に来る。特に何をするでもなく、義務的に見に来るだけの存在だ。

 あの日までは。普通の家族がすばるのそばにいて、他愛もない日常はすばるの全てだった。取り巻く環境が、突然変わってしまったのも、原因が何かのかさえも。すばる自身、未だに消化できない、あの日の出来事。その出来事が、前に進む事を恐れしまう、今のすばるの全てとなったのだ。

 約二年前のクリスマス・イブ--。

 クリスマスイブには毎年、海沿いのレストランに家族でディナーに行くのが毎年の恒例行事。楽しみの一つであったにも拘らず、すばるは「行かない」と言った。困った顔をする家族を尻目に、すばるは自室に閉じこもる。そして、聞き慣れた車の音が、自宅から離れるのをただひたすら待っていた。すばるは一人、家族と別行動をしてみたかったのだ。

 理由は酷く簡単で、楽観的。昔見た映画の主人公になりきりたい。それだけ。何故、あんな子どもじみた欲求に勝てなかったのか。今となっては、自分の単純な欲求に心底、呆れてしまうところなのだが。その年のクリスマス・イブは、どうしてもそうしたかった。

 特別何かある、というわけでもない。

 ただ〝いつもどおりの、普通のクリスマスは嫌だ! サプライズをしたい!!〟それが、すばるの小さな野望であり、楽しみであったから。

 ディナーに出かけた両親と、年の離れた兄を帰ってきたら驚かせたい。その一心で、すばるは参考とした映画さながらのサプライズというイタズラを家中に仕掛けまくる。

 サプライズを見渡して、すばるは家族の驚く顔や笑い声を想像した。ワクワクと高鳴る気持ちを抑え、一人暗い家に身を隠す。家族が帰ってくるのを、ただただ待っていた……のだが。

 その日、すばるの家族が、帰ってはこなかった。

 その次の日も、またその次の日も。ずっと明かりの灯らない、暗い家で待ち続ける。そして、いつの間にか年を越そうとしていた。

 明かりと音が消えた、暗く冷たい自宅。すばるは一人、遠くで反響する除夜の鐘に耳を傾けた。寂しさと不安だけがつのり、無意識に体が震えはじめる。それでも、玄関のドアから驚いた家族が今にも入ってくるのではないか、と期待していた。半ば意地になりながら、すばるは、ひたすら家族を待ち続けていたのだ。

 人々が新年の到来を祝う元旦。

 玄関のインターホンが厭に大きく響いて、すばるは目を覚ました。自分の仕掛けたサプライズなど忘れて、玄関のドアに飛びついて勢いよく開ける。

「ッ!?」

 すばるは、言葉を失った。

 そこにいたのは、待ちわびた家族ではなく、スーツを着た見ず知らぬ大人の姿。突然やってきた顔も知らない大人が、心身共にやつれたすばるに、最悪の一言を告げる。

「ご家族の乗った車が、県道のガードレールを突き破り、崖下に転落した」と--。


 ディナーの帰り、家族を乗せた車は、海沿いの道を走行していた。ハンドル操作を誤ったのかは不明だが、車はガードレールを突き破り、三十メートルの崖から転落。衝撃で爆発炎上した、と大人はすばるにそう言った。

 どうやって、家族のところに連れていかれたか、すばるは覚えていない。気がついたら、いきなり変わり果てた車を自らの目で確認していた。

 家族を目の前から消してしまった爆発と炎。すばるはその凄まじさを、容易に想像していた。家族のカケラさえも焼き尽し、存在していたはずの痕跡すら、文字どおりこの世から消しさってしまった業火。その瞬間、すばるの思い出が全て、業火のすすで真っ黒に塗り潰された。

 正直、そこから先の記憶がかなり曖昧だ。いつ葬儀をして、いつ後見人が決まって、それすらもわからないまま月日が過ぎていた。生きているのか、確信しないまま月日は過ぎ去る。気がつくとすばるは、前に進むことができないまま、家族の思い出が残る自宅と共に取り残されていた。

 それ以来、すばるは僅かに残る家族の痕跡を必死に探り、守りながら--生きている。

「〝耐えられない〟そう言われたよ」

 未だ癒えぬ過去の出来事を思い返していたすばるは、遠野の言葉にハッとして顔を上げた。遠野は、バツが悪そうに笑う。

「警察官という仕事のさがなんだけどな」

さが?」

「災害や事件が起こった時、俺たち警察官は、家族を置いて真っ先に現場に行かなきゃならないんだ。俺の嫁さんは、それが耐えられなかったらしい」

「……」

「欲張りすぎてたんだな、俺は」

 遠野は、目を細めて穏やかな口調で続けた。

「先輩にも言われてたのに、俺には変な自信があってさ。〝自分は絶対に大丈夫〟なんて思っちまっていたけど。結果、一度離れてしまった人の気持ちまでは、どうすることもできなかったよ」

「会おうと思えば、会えるから……いいじゃないか」

「会えればいいんだけどなぁ」

 他人の心の奥を覗いてしまったような。なんとも、腹の中の収まりが悪くなったすばるは、無言でテレビのリモコンに手を伸ばした。

 パチッと通電する音がして、大きな液晶テレビが光を放つ。

『--続いてのニュースです。今日、午前十一時三十分頃、F県B市川上町の民家で爆発と思われる火災がありました。この爆発の影響で、この民家を含む三軒の家屋が全壊半壊しており、近隣住民に避難勧告が出されています』

 女性アナウンサーが告げる夕方のニュース。遠野とすばるは、ジッとこのニュースに耳を傾けた。

『この民家は二年ほど前から人は住んでいなかったとのことですが、三日ほど前からこの民家に大量の段ボールを運ぶ人物が目撃されており、警察と消防は事故と事件の両方を視野に入れ捜査をしています』

「ねぇ、なんで事故と事件なわけ? 爆発したなら、明らかに事件じゃないの?」

 すばるは思ったことを何の気なしに、遠野に聞いた。

「んー、どうだろうな。今の段階じゃはっきりとは言えないな」

「どうして?」

「事件なら明らかに人通りの多い街中を狙う。その方が被害も注目度も大きいからだ」

 進んだ老眼の目を擦りながら、遠野はさらに答える。

「民家に運び込まれた大量の段ボールの中身が、正真正銘の爆発物なら事件になるだろうが、中身が違法投棄された可燃物なら話は別だな」

「色々あるんだね」

「まぁな」

 そう短く返事をした遠野は、瞬間、少し眉頭に力を入れた。おもむろにスマートフォンを取り出し、どこかへ電話をかけ始める。

 その様子を横目に。すばるはパチパチとリモコンのボタンを押下し、テレビ画面を目まぐるしくかえた。

 興味をそそるものは、何もない。何故なら世の中は、すばるの巣食う過去を払拭してくれるほど、ゆったりとしてはいない。目まぐるしい世界は、すばるを待ってはくれないからだ。

 そしてまた。今日も、すばるを置き去りにしまま、一日が終わろうとしている。すばるはため息をつくと、再びソファーに身を投げ出した。

「すばる、簡単に荷物をまとめろ。家を出るぞ」

「え?」

 電話を切った遠野は、今までの雰囲気を覆すほど緊迫した声で言った。すばるは、思わずソファーから飛び起きる。

「五分だ。できるな」

 圧のある遠野に、すばるは小さく「うん」と、返事をせざるを得なかった。

「俺はその間、戸締りをする。急げ、すばる」

 急げ、と。遠野が言うよりも速く。すばるは駆け出した。滑り込むように自室に入ると、目に付いたリュックサックをベッドの上に放り投げた。

 思いつくまま衣類や肌着をベッドに投げ、塊ごと開いたチャックの中に捩じ込む。あっという間に、リュックサックがパンパンに膨らんだ。

「これだけは、持ってかなきゃ……」

 小さく独りごちたすばるは、学習机の上に置かれたダークブラウンのノートパソコンを手にすると、物思いにふける間もなく、リュックサックの隙間に入れ込む。

 リュックサックを左肩に乱暴に掛けると、すばるは慣れ親しんだ自室をぐるりと見渡した。

(しばらく、帰ってこられないのかな……)

 なんだか夢心地のような。現実味が湧かないまま、すばるは踵を返しドアノブに手をかけた。


「ちょうど五分だな。行くぞ、すばる」

 玄関には既に遠野がいた。腕時計と睨めっこをしながら、遠野はすばるに声をかける。その声に急かされるように、すばるは歩調を速めた。

「遠野さん」

「なんだ?」

「どこに行くの?」

「ま、ひとまずアジトかな?」

「アジト!?」

 驚き声を大きくするすばるに、遠野は人差し指を口の前で立てる。遠野は穏やかに笑いながら、静かにするようにジェスチャーをした。ゴクッ、と。空気を飲み込んだすばるの喉が鳴る。緊張が、すばるの体を堅くした。

「車から離れて歩け。道路に出たら右に向かって、ガードミラーの前まで全力疾走だ」

「え!?」

「いいな、すばる。行くぞ」

 玄関の鍵を閉めながら、遠野はニコニコ笑いながらすばるに耳打ちをする。不審に思いながらも、すばるは遠野に言われたとおり、自宅の左手の駐車場に停められている白い車から離れて歩いた。白い車は、親戚のものだ。いつも勝手に停めていく。すばるにとっては迷惑でしかない白い車が、今は不安の対象でしかない。

(どういう……こと?)

 膝が、ガタガタと震えているのがわかる。玄関から門扉までが異様に長く感じられた。カクカクと妙な歩き方をして、すばるはようやく門扉の外に出る。

「すばるッ! 走れッ!!」

 遠野が鋭い声と共に、すばるの背中を押した。膝に力が入らない。それでも、懸命に走った。中々前に進まない奇妙な感覚。足を義務的に動かしていると、ガードミラーの先に市川がいてすばるに向かって手招きしているのが見えた。

(よかった……! 市川さんだ!)

 安心したその時、目の前に迫る市川の目が、大きく見開かれた。

 瞬間、背中を強い風が押す。

 体が浮き上がるほどの圧を伴った風。すばるは、ハッと息を呑んで振り返る。


--ドォン!!


 鼓膜が機能を失うほどの爆発音が、すばるに突き刺さった。一瞬で皮膚をチリつかせるほどの、巨大な火柱が天に真っ直ぐに伸びるのが、すばるの視界の端に映る。

 まるで地面を突き破った悪魔の手が、すばるを捕まえようとするように。体が浮き上がるすばるに、記憶に刻まれたがその襲いかかった。

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