第17話 「水族館にて」:早瀬志帆(6)

 志帆は巨大な水槽の前で、魚群が渦を巻いて回遊していく様子を眺めていた。巨大な影のようなものが、時おりキラキラ輝きながら蠢く様子は、見ていて飽きない。そうやって魚影をぼんやり眼で追っている最中だった。


「おや、君は確か」


 不意にかけられた声。首を横に向けた先に、だらっとしたスーツ姿の男がなんだか馴れ馴れしい感じで手を挙げていた。


「えっと……紙谷……さん、でしたよね?」

 なんでここに? と思わないでもなかったが、それを質問する前に先を越される形で、

「こんなところで会うとはね。あ、もしかして誰かと来てるとか?」

 邪魔したかな、という紙谷に志帆はやや構えたまま、

「あ、いえ……友達と来てただけなんですけど、彼女、途中で用事ができちゃったみたいで……」


 あれから美鈴が言い出して水族館に行こうということになったのだが、行ったはいいが美鈴に急用が舞い込み、志帆は親子連れやカップルでにぎわうなか、ひとり水槽の間をぶらぶらしていたのだ。


「こんなところで会うとはね。……しかしなんだろう、もしこんなところで会うとしたら空木君だと思ったけどね。以前美術館にいたし、こういうところは好きそうだ」


「はあ……確かにカナって美術館や博物館は好きですけど、水族館とかは興味ないみたいですよ、あと動物園とかも。なんていうか、動かないものが好きなんです。絵画とか化石とかそういうのをじっと見つめるのが好きだって言ってましたよ」


「へえ、それは……なるほどね」

 妙に納得したように言うと、まあいいか、とつぶやいて、

「なんにせよちょうどよかった。面白いことがわかってね。御堂君と被害者のつながりなんだけど……」


 そう言ってから紙谷は、とりあえず向こうに座ろう、と人気ひとけがない隅に置かれた二人掛けのスツールを示す。腰かけると志帆は、話の先を読んだように、

「私、その話たぶん知ってます。被害者は稲生大学のオカルト系のサークルメンバーで、御堂君もそこに属していたってことですよね?」

 そういってから、その情報を仕入れるに至った経緯を話す。紙谷は感心したように頷き、

「なかなか運がいいね。君がその新聞部の友達から聞いたとおりだ。御堂司はその大学のサークルとも同好会ともつかないものに出入りしていたらしい――ただ、それは表向きの話で、どうもそれは御堂自身がネットを介してつくったもののようだ。そして、そのオカルトサークルとやらはある種の隠れ蓑になっていた」


「隠れ蓑?」

 どういう事なのかいまいちよく分からない。


「自殺サークル――しかも例の大量自殺事件についてのものだ」

「どういうことなんですか?」志帆の声が高くなる。

「どうやら、あの大量自殺の主催者で、管理者というかそういうものだったらしいということが被害者のパソコンに残ったデータからわかってきた。彼らは実験と称して自殺者を一か所に集めてみようとしたらしいが」


「何のためにですか?」

 勢い込む志帆の疑問に、しかし紙谷はこっちが聞きたい、と芝居がかったしぐさで肩をすくめて見せる。


「とにかく、今殺されているのはそのメンバーだってことだ。御堂を含め全部で五名だ。御堂、そして殺された近藤と槙村を除いて、残り二名は長谷川優太、そして加藤佐紀。長谷川は御堂と同じ四ッ谷高校の二年生。そして加藤は稲生大学の二年生だ。この残りの二人が何らかの事情を知っているとみて捜査員が向かったが、どちらも昨日あたりから姿を消しているらしい」


 どういうことなんだろう。だんだんつながりが見えてきてはいる。しかし、どうにも妙な話だ。あの大量集団自殺事件の裏側にそれを主催した人間たちがいて、今度はその人間たちが殺されている。


「なんにせよ、とりあえず動機らしきものが見えてきた気がしないかい?」


 水槽に目を遣る紙谷の言葉に、志帆がどうにも返しづらく黙っていると、視線を志帆に向け直し、

「彼らがある意味自殺を誘引していた――極端なことを言えば作り出していた、ということだからね」


「あそこで死んだ人たちの遺族が何らかの形で、彼らがかかわっていたことを知った、ということなんですか? そして復讐をしている、と?」


 確かにそれは想像にかたくない、しかし、どうもしっくりこない気がする――。そういう志帆の内心が顔に出たのか、紙谷はにやりとして、

「あくまでそういう可能性が出てきた、ということだ。まあ、確かに自分としてもそれには違和感があるけどね」


 紙谷はそう言うと、胸ポケットから煙草の箱を取り出し、一本振り出した――ところで、その無意識の動作を止め、苦笑しつつ引き出したものをゆっくりポケットにしまった。それから、すこしそわそわした感じで右手の親指と人差し指をこすり合わせ、

「例えそうだとして、身内を自殺させられたその復讐で動いている犯人がああいった奇妙な殺人を行うのか、ということに強い違和感が残る。あんな派手なパフォーマンスじみた殺人――首を切ったりバラバラにしたり、首の在り処を暗号文で示したり、ましてや密室殺人なんてものをする犯人像としては、あまりにもかけ離れた感じがする……そうだろう?」


「そう……なんですよね。むしろ、あんなめちゃくちゃな――それだけが目的化しているような犯罪をするとしたら……」


「御堂司しかいない、か」先を読んだように紙谷はその名を口にした。


「私は実際会ったことないですし、あくまであの二人から話を聞いた限りの印象でしかないですが」

 ひいらぎ美鈴みすずとの会話もあり、志帆のなかで、御堂司という人物はかなり怪しい人物になっていた。


「まあね……しかし、そうだとしても、一週間以上行方不明のままっていうのが気になる。高校生だし、単独で長時間隠れるには限界があるだろう。もしかしたら、共犯者がいる可能性もゼロではないだろうが」


 やはりというか、そこが引っ掛かりということは志帆も同じだ。しかし、それでも御堂司という少年の影が、何かしらの影響を事件に与えていることを感じてしまう。


「本当に、この事件はどこか奇妙で出鱈目だ。常識的でない感じがしてならない。だからこそ、私は空木君に期待してるんだけどね」


 要への期待を口にする紙谷。しかし、それもまた志帆にはよく分からない。志帆はそれまでわだかまっていたことを思い切って口に出すことにした。


「……なんでそこまでカナに期待してるんですか? カナは確かに勘は良いかもしれませんけど、正直そんなに肩入れする理由がよくわかりません。しかもいいんですか、こんな簡単に捜査情報とか漏らして」


 いくら志帆や要たちが口外しないといっても、常軌を逸しているといわざるを得ないだろう。志帆の少し硬い言葉に、

「君は意外と生真面目だね。探偵小説好きって聞いてたからもっと張り切るのかと思ったんだけど」

 どこか茶化すような言い方にいささか志帆はむっとしてしまう。


 紙谷は少し笑って、言葉を探すように、

「……なんていうかなあ、見てみたいと思わないかな? 名探偵ってやつがこういったこんがらがった事件を解く。そういう光景をさ」


 志帆は思わず、紙谷の整った顔をまじまじと見つめる羽目になった。

 何を言っているんだろうかこの人は。こう言うのは何だが、バカなんじゃなかろうか……半ばそう思った。それともからかっているのか。


「その顔、信じてないね。まあ、それも無理ないのかね」

 相変わらずニヤニヤ笑うように言って、紙谷は立ち上がる。


 ずっと座っているよりは少し歩こう、とうながされ、志帆は彼についていく。あまり人気ひとけのなさそうな、小さな水槽が並べられたエリアの一画に足を止めると、そこでひっそりと泳ぐカクレクマノミやナンヨウハギを眺めながら紙谷はぼんやりと言った。


「空木君がどう思っているかは知らないが、これは奇妙な事件であることは確かだろう。こういう奇妙な事件については、常識的で通り一辺倒な捜査機関よりは、そういう事件にふさわしい名探偵が、真相に到達しやすいと思わないかい? 彼はそういったことに必要な直観力には優れていると思うんだよね」


 いったいなんなんだろう。何を言い出すかと思えば典型的な探偵小説の名探偵礼賛というか、書き手の無理やりな言い訳セリフを平気に口にするとは。志帆は、なんだか軽い酩酊感にとらわれそうになる。


うす暗がりのなか、四角い光のコントラストが形成するどこか非日常的な空間で、目の前の男は本気とも冗談ともつかない言葉を、泡のように噴き出している。


 しかし、同時に志帆は彼が本気でそういう戯言に身をゆだねているのか怪しんでもいた。 


 本来エリートであるはずの彼の立場が何故このようなことになっているのか、それは分からないにせよ、彼はこの立場を不満に思っているのではないか。こうなった原因が警察という組織との何かなら、彼の行為はささやかな嫌がらせとして、要を利用している、という風にも考えられる。むしろ、そういう理由のほうがまだ信じられそうだ。


「あはは、やっぱりいまいち信じてなさそうだね。どういうことを考えているかわかるよ。私が組織に対する意趣返しとして彼を利用して、ささやかで稚拙な復讐をしているって思っているんだろう?」


 志帆は、そうやっていちいち自分の考えていることを見透かしてくるこの男を、少し苦手に感じ始めていた。


「まあ、君がそう思いたいならそれでいい。ただ私としてはこういう事件はまたとない、まさに探偵小説的な事件だ。だからこそ、彼みたいな人間が必要だと思うんだよ。現に警察の捜査では君たちが主張した密室は無視されているわけだしね」


「はあ……」


 どこまで本気なのか、志帆には分からないとはいえ、紙谷は志帆たちの証言を信じてくれているらしい。首を発見した時のように、確かに要は妙な勘が働く。が、はたしてそれがどこまで通用するのか、正直、志帆には分からない。


「……なんだか、紙谷さんは高みの見物って感じですね」


 モヤモヤの原因の一つは、紙谷のその態度にあるような気がしないでもない。どこか無関係な場所で、人を使って成り行きを見ていようとする。要をそんな形で利用しようとしている様子が、なにか気に食わない。


「高みの見物ね……」

 目の前の水槽から二人は離れ、次はクラゲたちの水槽へと移っていく。


「別に、ふさわしい人間がやるべきだってことだよ。それに、君だって結局のところは私と同類じゃないのかい?」


 どこかおどけたように言う紙谷の指摘に、志帆は言葉がつまって何も言い返せない。紙谷は少し笑って、

「別にそれを気に病む必要はないよ。だいたい、それはみんな同じだろう?」


 紙谷はそう言って、水槽に指を這わせた。クラゲたちがその間をゆらゆら揺れていく。


「新聞もテレビもネットも勝手なことばかりで、いかに面白く消費するかに忙しい。まだ君はましなほうだ。真剣に考えている分ね」


 皮肉とも本気ともつかない調子の紙谷に志帆は返す言葉もなく、ただ黙って餌の小魚に絡みつく水槽のクラゲたちを見つめる。自分もまた、こうやって水槽の中をのぞき見るように事件を眺めている人間の一人ではある。残虐であれば、奇妙であればあるほど、人間の興味は大きくなっていく。人間たちの事件への欲望が、この街を中心にして大きく形作られているのがわかる。事件の一端に直接まき込まれたとはいえ、自分もその他大勢と同じように、それに参加しているということは、事実なのだ。その自覚を志帆としては忘れたくない――と思ってはいるが、そんな思いには自己満足のにおいもまたしてしまう。


「空木君が事件を解決するかどうかは分からないさ。ただ、私としてはそっちに賭けたほうが面白そうだってだけだよ。どのみち私は特に発言権みたいなのはない身分なんでね。悪いかい?」


 そんなふうに悪びれることなく言われてしまうと、志帆としても何とも言いづらい。というか、毒気を抜かれたようになる。とりあえず、彼にいろいろと聞いてみるのもいいのかもしれない。そうして、志帆はカレー屋で思いついたことを口にする。


「ははあ、自殺したとされた人間が実は生きている……か。なるほど、探偵小説好きらしい考えではあるね」


「まあ、そうかもしれませんけど……」

 志帆は苦笑気味の紙谷の反応で、あっという間に自分の推理が空想の域を出ていないことに気づかされ、気恥ずかし気にうつむく。


「まあ、一応、あの山は頑張って捜索したからね。完璧――とまではいかないかもしれないけど、あそこに埋葬されたとする遺体は全部掘り出したことは確かだよ。それに、万が一そういうことがあったとして、どうやって身を隠すのかという問題もある」


 志帆は、考えの浅さに赤面してうつむく。


「ま、そう考えるのも仕方ない。死んでいた人間が実は生きていたっていうのは探偵小説の基本パターンだからね」


 フォローになっていないフォローが入る。そしてそれは余計、志帆を気恥ずかしくさせるのだった。


「おや、なんだろう」

 そう言って、紙谷は携帯端末を取り出すと、耳に当てた。


「――え、どこにいるかって? ええと、まあ近くですよ。――ん、新しい死体が――」


 紙谷の顔つきが微妙に変わった。通話を終えると紙谷は志帆を見て、

「どうやらまた死体が見つかったらしいよ。例の道化師による殺人とみていいらしい。しかも発見者はまたも要君と惣太らしい」


「え、また?」


 突然の情報に、志帆はただポカンとした返事しかできない。道化師による殺人もそうだが、またもあの二人が発見者になるとは。あの二人はよほど運が悪いのか、それとも何かの導きでも受けているのか。いずれにせよ、大変なことになりそうだ。そう、志帆はぼんやりと思うしかなかった。

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