4.お嬢様はあまりに天使過ぎました

 最初にそのことに気が付くきっかけを与えてくださったのは、旦那様でした。


 それはある日のご夕食時のことです。

 いつものように旦那様と若様、そしてお嬢様の三人で食卓を囲んでおられまして、私共は給仕をする者、いつご命令を受けても動けるように控える者と様々でしたが、同じ部屋にありましてお食事のどれもが美味しいと仰るお嬢様を見守っておりました。

 にこにこと微笑まれ、美味しそうに食事をなさるお嬢様の可愛らしさはまさに天使で……。



 え?早く先に進んで欲しい、ですか。

 仕方ありませんね。



 旦那様はその場でお嬢様と若様に明朝は何が食べたいかと尋ねられました。


 当時も今と変わらず、シェフたちが栄養面をよく考えて日々メニューを考案しておりましたから、お食事についてはいつもシェフたちに委ねられておりました。

 ですからそれは、旦那様の急な思い付きだったようです。

 

 たまには好きなものばかり食べる、そんな朝もいいだろう。

 それは若様とお嬢様を喜ばせるための、お優しい父親としてのお気持ちだったのでしょう。


 ところが旦那様に問われたお嬢様は、表情を曇らせて黙り込んでしまいました。

 旦那様はすぐにお嬢様に優しい言葉を掛けられます。


「お父さまはな、明日は朝から特別な日にしようと思い付いたのだ。シアもこれに付き合ってくれないかな?一緒に食べたいものを好きなだけ食べようではないか」


「あしたはとくべつなひなのですね?」


「あぁ、お父さまがそう決めたからね。我がままだなんて思わないから、好きなものを言ってごらん。朝食らしくなくてもいいんだよ。ケーキでもチョコレートでも構わない。私はそうだな。パンケーキをお願いしようと思う。シアは何が食べたいかな?」


 お嬢様の名はシンシア様といいますので、旦那様や若様からはシアと呼ばれてございます。

 赤ん坊の頃から今まで、それは変わっておりません。


 変化と言えば、もう一名、お嬢様を同じように呼ぶ御人が増えたくらいでしょうか。

 えぇ、こちらについては色々と語りたいことが山のように……なんでもございません。



 今はお嬢様のお話でしたね。



 お嬢様は旦那様がもう一度問われましても、やはり黙っておりました。

 具合でも悪いのかと、旦那様も、そして同じ席で話を聞いていた若様も、心配なさっておられたのですが。


「ごめんなさい、おとうさま。なにもおもいつきませんの」


 旦那様も若様も顔色を悪くされておりました。

 使用人風情が同列に語ることではございませんが、私を含め、この場に控えていた同僚たちも皆が顔面蒼白となっておりましたので、各々これまでの日々を思い出していたことと思います。

 

 お嬢様は、毎朝どんな髪型にするかとお尋ねしましても、私の好きにと仰ってくださいました。

 そこに「私の作る髪型が好きだから」という理由を与えてくださっていたのですが。

 思い返せば、御自身で髪型を選ばれたことはございませんし、どれか一つの髪型を特別に気に入って喜ばれるお姿を拝見したことはありませんでした。


 旦那様がどんなドレスをご用意されましても、お嬢様は素敵だと仰いますし、お礼の言葉をきちんと口にされております。

 けれども、ではお嬢様はどんなドレスがよろしいか、とお尋ねしたときには、すべてこちらに任せる旨のお返事しか返って来ないのです。


 お部屋にご用意するどのお花も美しいと喜んでくださいますのに、これが好きだと仰ることはありませんでした。


 若様がどのご本を読み聞かせておられましても、お嬢様は変わらず喜ばれるのです。

 けれどももう一度読んでとお願いされたご本はひとつもありませんでした。

 

 まだお嬢様が幼い頃のお話ですよ? 




 そしてこの問題がお嬢様の婚約にまで発展するのですが。

 それは追々ご説明することにいたしまして。



 私どもは大変焦りました。

 過度なお世話をしたせいで、お嬢様は好きなものひとつ分からなくなってしまったのだと受け止めたからです。



 シアは何をしたい?

 欲しいものはないか?

 行きたいところ?


 危機感を覚えられた旦那様も若様も、お嬢様に頻繁にお尋ねになられておりました。

 しかしそれももう遅かったということでしょうか。


 お嬢様は明確な返答が出来ないことを大変申し訳なさそうにして、謝られてしまいますので、お嬢様の好みを深く追求することも出来ず。


 私たちはお世話を尽くす以外に出来る術はなく、お嬢様からお願いごとひとつ引き出せない私共の無能っぷりに歯がゆい日々を過ごしていたのでした。


 そんな折です。

 この重大な問題に、突然光明が差したのは。



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