第6話 異母弟への頼み事


 ハミルドは優しい男だ。

 想い人ができたというのに、私への態度を絶対に変えない。

 生まれる前から押し付けられた年上の婚約者でしかないのに、ハミルドは共に過ごす時間を穏やかさで満たしてくれた。目を虚ろにするほど絶望的な恋をしていながら、私を変わらず大切に思ってくれている。男女の愛ではなくとも、間違いなく私のことを愛してくれている。


 本当に、ハミルドは優しい。

 穏やかなのに頑固なほど義理堅く、自ら恋を諦めて捨てようとしている。

 彼は立派なエトミウだ。剣を日常的に振り回す武人ではないが、誰が何と言おうと誇り高いエトミウの人間で、用意されている「女領主の夫」という檻の中に閉じ込めてしまうのは惜しい人材だ。

 私はハミルドのことを誰よりも大切に思ってきた。でも、私を愛していると言ったあの瞬間のハミルドほど魅力的な男は見たことがない。

 優しくて、穏やかで、頑固で、実にエトミウらしくて。ハミルド・エトミウは飼い殺しにしていい人材ではない。

 私の装飾品には絶対にしてはいけない。そのためには……彼の恋を成就させよう。


 私の考えは、一般的にはおかしいかもしれない。

 恋の自由を謳歌する領民たちは、婚約者に想い人ができたとなると「修羅場」などと表現するらしいから。

 実際に、かなりの修羅場の可能性を秘めていた。注意深く観察し続けた末に察したハミルドの恋の相手は、カラファンドの婚約者になったばかりのメネリアだったから。

 まさかと疑う気持ちもあったが、アルヴァンス殿を何度も締め上げてようやく確証を得た。


 さすがに驚いた。

 いつから恋が生まれたのだろう。

 皆の前でカラファンドとメネリアの婚約を明らかにした日は平然としていたはずだ。その前も、特におかしな様子は見せなかった。

 でも、よくよく思い出してみると、夏至祭の間の連日の宴では楽しそうに話をしていた。アルヴァンス殿と酒を飲んでいた私は、そんな二人を見ながら「なんてお似合いの二人だろう」と思っていた。


 そうだ。とても釣り合いの取れた二人だった。

 メネリアが一歳年上なのも、穏やかなハミルドにはちょうどいいと思った。二人とも美しくて賢明で、どんどん会話を交わしながら笑っていた。

 きっとあの日々の中で二人は恋に落ちたのだろう。

 あの二人はお似合いなのだ。

 私の隣で穏やかに微笑むだけのハミルドより、目を輝かせて笑い合うハミルドの方が好ましくみえた。

 だから私はハミルドの恋を許して応援する。相手がメネリアと知って驚いたが、よく考えれば彼女が相手で幸いだったとも思う。

 ハミルドの恋を許さないという選択肢はない。婚約の意味を正確に知った時から、私はハミルドの幸せを誰よりも願っていたのだから。



 私がまずやったのは、異母弟カラファンドを呼び出すことだった。

 早朝も早朝という時間帯だったが、私の身が空いている時間でカラファンドも自由になる時間は、意外に少ないからしかたがない。

 カラファンドは呼び出すとすぐにやってきた。でもとても眠そうで、目があまり開いていなかった。


「寝ていたのか?」

「……少し前から起きてはいたんだけど、頭はまだ動いていないかな」


 カラファンドはあくびをかみ殺して、ドサリと椅子に座った。

 母親は違うものの、カラファンドと私は似ている。

 髪は同じ黒色で、鼻の形もよく似ている。背の高さはカラファンドの方が高いけれど、私も長身だからそれほど大きな違いはない。十七歳のカラファンドはまだひょろっとした体型で、肩幅に若干の差がある以外はよく似ていると思う。

 確かに近い血縁を確信させる異母弟を見つめ、私はゆっくりと口を開いた。


「簡単な質問をする。お前はメネリアをどう思っている?」

「え? 急にどうしたの? ええっと、そうだな、メネリアは僕の婚約者だけど、しっかりした女性だと思うよ」


 突然の質問に、カラファンドはさすがに戸惑ったようだ。生母似のきれいな顔が、どこか間の抜けた少年の顔になってしまった。

 こんな顔を見ていると、カラファンドは大きくなったけれど、やはりかわいい弟のままだと楽しくなる。

 でも私は緩みそうになる顔を引き締め、質問を重ねた。


「では、男として彼女をどう思っている?」

「……男としてって……もしかして、ハミルドとのことを言っているの?」


 カラファンドは眉をひそめた。

 どうやら気づいてようだ。自分の婚約者であり従姉であるメネリアと、ハミルドの秘密の恋を。


「おまえは知っていたのか?」

「うん、まあね。最近のメネリアは変だし、ハミルドも様子がおかしいから。確かめてはいないけれど、もしかしたらそうなのかなって」


 どうやら私が一番鈍かったらしい。悔しいがよくある話だ。仕方がない。男女間の色恋絡みの機微など、私にはもっとも縁のないものだから。

 己のいたらなさにため息をつき、私は気を取り直して異母弟に向き直った。


「カラファンド。お前に頼みがある」


 私の言葉に、カラファンドは表情を改めて立ち上がり、姿勢を正した。

 その顔は少し前のかわいい弟ではない。すでにマユロウの武門を率いる男の顔だ。いつの間にかカラファンドも立派な大人になっている。

 そのことにほっとして、私は言葉を続けた。


「この私と一緒に、婚約者に逃げられた男という汚名と屈辱に耐えてくれないか?」


 私がそう言うと、カラファンドはなぜか意外そうに目を大きく見開いた。

 耳にした言葉をゆっくりと反芻するように私を見つめ、やがて深いため息をついて天井を見上げた。


「カラファンド?」

「……僕は、メネリアもハミルドも好きだ。だから二人の幸せを願いたいし、そのためなら多少の汚名や屈辱にも耐えられる。でもこの場合、一番被害があるのは姉上だと思うよ」

「私?」

「あのね、姉上はもう二十一歳だよ。無礼を承知で言わせてもらうと、貴族の未婚女性としては若くはない。これから新しく結婚相手を探すのは大変だと思うよ」

「なんだ、そんなことか。私のことはどうでもいい。でもおまえには、たった十七歳で嫌な思いをさせてしまうことになる。それが不憫だと思っている」

「……姉上。言っただろう? 僕はメネリアもハミルドも好きなんだ。それにライラ・マユロウたる姉上が望むことなら、僕はいかなることであろうと喜んで従う。その覚悟はできている」


 ため息まじりの言葉は、でも明確だった。

 私を見つめる目は何の屈託もない。カラファンドは私が思っていたよりずっと大人だ。姉と弟の気安い間柄であると同時に、嫡出の次期当主と庶子の関係をはっきりと意識している。

 可哀想な私の弟。

 ハミルドのために、私は血を分けた弟を犠牲にすることを選択しようとしている。


「……すまない」


 私は異母弟を抱きしめた。私より大きくなった弟は、大人しく私のやりたいようにさせている。でも頭を撫でた時だけは、少し照れるように顔を逸らした。

 カラファンドの将来を潰すのではないかと恐れる気持ちはまだ消えない。でも、それでも私はかわいい異母弟を生贄にすることを躊躇わない。

 私は次期当主。あらゆるものを利用することを当然と考える価値観の中にいて、庶子は手駒だ。ハミルドとカラファンドを比べて、どちらが価値があるかを冷徹に判断してしまう。

 ……私は、カラファンドに借りを作ってしまった。

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