第5話 確信
マユロウ一族をはじめとしたこの辺りの土着の人間は、黒か黒に近い褐色の髪が多い。
しかしトラスガーン帝国を打ち立てた征服民族は、全体的に色素の薄い姿をしている。アルヴァンス殿もそんな「都の貴族」の血統で、肌は私たちより白く、髪も目も色が薄い。
アルヴァンス殿は、都の貴族たちの中でもひときわ色素が薄い。特徴的で色鮮やかな赤い髪をかきあげ、アルヴァンス殿はちらりとハミルドに目を向ける。私もつられたようにそちらに目を向けた。
私たちの視線の先にハミルドがいる。
彼はいつものように、様々な人々と酒を飲み交わしながら談笑していた。その物腰は丁寧で、穏やかな性格がにじんでいる。それにハミルドの話術はとても巧みで、どんな相手とも楽しい会話を続けることができるのだ。
でもそんないつも通りの彼が、一人になった途端にふと目が虚ろになった。誰かを探すように視線がさまよわせ、すぐに何かを振り払うように葡萄酒を飲んでいる。
あれは誰だろう。
……あんなハミルドは、私は知らない。まるで別人のようだ。
こみ上げてくる焦りを押し殺し、私は八つ当たりのようにアルヴァンス殿をにらみつけた。
父の再従弟という遠い血縁のわりに、頻繁にマユロウに遊びにくる都の貴族は、端正な顔を片手で隠すようにしてため息をついた。
「申し訳ありませんが、彼については何も言いたくないのです」
「言いにくいのなら、一つだけお聞きしたい。ハミルドは誰かを見ていると思うが、これは間違いではないですね?」
アルヴァンス殿はテーブルに置いた銀杯を手にする。
たっぷりと満たしている葡萄酒の水面を見つめ、もう一度ため息をついた。
「彼は、あなた以外の女性を見ています。……許し難いことだ」
ため息に紛れるような小さな声は、しかしはっきりとそう言った。
それから、ふと顔を上げた。何か言いたそうな顔で私を見ている。アルヴァンス殿のきれいな顔は、不慣れな子守が赤子が泣き出すことを恐れている時のような表情だ。
私はもう子供ではないから、泣いたりはしない。
気にかけてもらうほど傷付いてもいない。ハミルドが誰かに恋をしているとわかっても、やはりそうなのか、と思っただけだ。
「ライラ・マユロウ」
「そんな顔をしないでください。あなたは私が欲しかった言葉をくれた。感謝します」
私はにっこりと笑い、自分の酒杯をぐいと傾けた。
とても上質の葡萄酒だったはずなのに、なんだか酸っぱく感じた。
自分の席に戻った私は、もう一杯新たについだ葡萄酒を飲み干してからどこかへ移動したハミルドを探した。
ハミルドはすぐに見つかった。子供の頃より少し濃い色になったけれど、金褐色の髪は黒髪が多いマユロウ一族の中ではとても明るく見えて目立つのだ。
座っているのはマユロウの武人たちが集まっている辺りで、何か熱心に話しかけられていた。穏やかな顔が少し困ったような表情をしているのは、卑猥な冗談を聞かされているからだろう。
いつもなら笑って見守るところだが、今夜はそんな気分にはならなかった。
ハミルドは私の大切な婚約者だ。他の誰かに恋をしているとわかっても、大切な「弟」であることには変わりない。
その「弟」が恋をして、近いうちに私と結婚しなければならない現実に苦しんでいる。
私たちの婚約はただの政略の延長で、神によって示しされた運命ではない。人間が成した約定ならば、覆すのは難しくとも不可能ではないはずだ。
私は拙速を尊ぶ。それにマユロウの血が濃いから、複雑な心情の駆け引きは苦手だった。ならば、やるべきことは一つだけだろう。
私は立ち上がった。その動きに何人かの武人が反応した。その変化で気付いたのか、ハミルドも振り返った。目が合うとハミルドはいつものように笑ったけれど、私は無言で彼のところへと行き、手首を掴むとそのまま引っ張るように宴の間を後にした。
いきなり手を掴まれたのに、ハミルドは特に抵抗しなかった。
何も言わない私にわずかに眉を顰めただけで、従順に私の後を歩く。それをいいことに、私はハミルドの手を引いたまま自室へと戻った。
部屋に控えていたメイドたちは驚いた顔をしたが、何も言わずに水を用意してくれた。私かハミルドが飲み過ぎたと思ったのだろう。
でも、実際はほとんど飲んでいない。頭もはっきりしている。
私は人払いをして、ゆっくりと深呼吸をした。改めて向き直ると、ハミルドは心配そうな顔をしていた。
「カジュライア、あなたが宴を途中で退席するなんて珍しい。何かありましたか? もしかしてご気分でも悪くなりましたか?」
「ハミルドに話がある」
私が短く言うと、心配そうだったハミルドは表情を改めた。
たぶん政治的な話だと思ったのだろう。姿勢を正して私を静かに見ている。私も真っ直ぐにハミルドを見つめ、ゆっくりと言葉を続けた。
「お前は、恋をしているのか?」
そう聞いてしまったのは、うまいやり方ではなかったかもしれない。
マユロウらしいやり方ではあるが、こういう繊細で微妙な問題に触れる時の言い方ではない。アルヴァンス殿のような謀の上手い都の貴族なら、もう少し洗練された話術の末に触れていただろう。
でも、悪い手ではなかったようだ。
あまりに愚直すぎる質問だったから、逆にハミルドは表情を完全には隠せなかった。それに彼も直前まで酒を飲んでいた。すでに酔いが現れていたのかもしれない。
私は真っ直ぐにハミルドの目を覗き込んだ。
「ハミルド。勘違いしないでくれ。私はお前を咎めるつもりはない。お前の恋を叶えてやりたいんだ。恋をしているのだろう? お前の想い人は誰なんだ?」
ハミルドは答えなかった。でも私は顔をそらすことを許さなかった。両手で顔を挟み、どんな表情も見逃さないように見つめていた。
ほとんど高さの変わらない彼の目は、逃げるように伏せてしまった。失敗したかと慌てたが、ハミルドはすぐに顔を上げて私と目を合わせてくれた。
どんな時でも私を憩わせてくれる青い目は、いつも通りに優しく穏やかたった。
「あなたが誰に何を聞いたのか、だいたい予想はできます。……アルヴァンス殿ですね?」
「ハミルド。私は……!」
「カジュライア。僕はあなたのことを誰よりも大切に思っていますよ。今までも、これからも、それだけは絶対に変わりません。あなたは誰よりも優先すべき人だ」
ハミルドは微笑みながら、はっきりとそう言った。
頬に当てていた私の手を優しく握り、それなりに武器を握っているせいであまり美しくない私の指に口付けをした。
「僕は、あなたを愛しています」
ハミルドはそう言って微笑んだ。
でも私は一瞬の表情を見逃さなかった。私を見る前、端整な顔に一瞬だけ浮かんで消えたのは苦悩と諦念だった。
ハミルドは嘘つきだ。
あの顔は、私が初めて見る「男」の顔だった。
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