第4話 婚約者の変化
夏至祭の一週間前。
当初の予定では、とっくに王都からアルヴァンス殿が到着しているはずだったのに、予定の日になっても王都からの馬車は着かなかった。
なのに、父マユロウ伯は「まあ、そのうち姿を見せるだろう」と呑気なものだ。腹が立ったがその時は引き下がった。
でも、三日が過ぎてもまだ到着しない。
もう父には相談せず、私は次期当主の権限で迎えを出すことにした。
さらに二日が過ぎ、イライラと気を揉んでいたら早馬がようやく知らせを届けてくれた。
「アルヴァンス殿は無事でしたか?」
手紙を読んでいると、ハミルドが声をかけてきた。
私は顔をあげ、ふうと息を吐いた。
「途中で体調を崩していたらしい。昨日、迎えと合流したということだから、明日か明後日にはこちらにたどり着くだろう」
「そうですか」
ハミルドはそう言って、ふと言葉を切った。
椅子に深く背を預けている私の前に立ち、じっと私を見つめた。
「どうかしたのか?」
「やっと落ち着いたね。気付いている? あなたはずっとイライラしていたよ」
「……そうかもしれない。アルヴァンス殿は我らと違って繊細な人だ。盗賊に襲われたらひとたまりもないから無事でよかった」
「なぜアルヴァンス殿が遅れたか、お分かりですか?」
「体調不良だろう? あの人は旅慣れしているが、武人ほど強くもないことを忘れていた。マユロウでも気をつけて差し上げねばならないな」
「それはあるでしょう。でも……あの人の気が進まないことだってあると思いますよ」
それを聞いた瞬間、私の心臓は大きく脈打った。
そのままどくどくと早く打つ。
こんなに動揺するなんて、情けない。私はアルヴァンス殿はマユロウに来ることをいつも楽しみにしていると無条件に思い込んでいたようだ。
動揺を隠すために、私は笑おうとした。
「……あの人はここではとても寛いでいるし、いつも楽しそうだぞ?」
「あなたがいますからね。でも、あなたはもうすぐ僕と結婚する。今まで通りの遠慮のない関係を変えるべきだと思うかもしれません」
「そんなに気を使われると、寂しくなるな」
私はいつも通りに笑い飛ばそうとした。
でも、なぜか笑顔が作れない。
そんな私をハミルドはしばらく見つめ、そっと目を伏せた。
「ごめん。嫌なことを言ってしまった。アルヴァンス殿は、カジュライアの言う通りマユロウの地が大好きですから、今まで以上に入り浸る可能性の方が高い気もします」
「……うん、そちらの方が気が楽だな」
今度は笑顔が作れた。
ハミルドも優しく笑い、私の手を取ると指先にそっと口付けた。
アルファンド殿が乗った馬車が到着したのは、夏至祭りの前日だった。
急いで迎えに出ると、アルファンド殿は確かに顔色が悪かった。
でもその夜の宴ではいつも通りの酒豪ぶりを発揮して、婚約を発表したばかりのカラファンドに笑顔で祝福の言葉をかけていた。
いつも通りのアルファンド殿で、私はほっとした。
カラファンドとメネリアの関係も良好なようだ。
今はまだ十七歳のカラファンドは年齢相応の幼さが見えるが、あと数年もすれば逞しくていい男になるはずだ。元々メネリアに敬意を示していたし、年齢のわりに礼儀正しいところもある。
メネリアも、昔から二歳下のカラファンドのことは可愛がっていた。
きっといい夫婦になるだろう。
すべてがうまくいっていると安心していた私は、ハミルドの様子がおかしいことに気がついた。
私と話している時は、今まで通りのハミルドだ。私の愚痴を静かに聞いてくれて、穏やかな笑顔を見せてくれる。
でも、夏至祭が終わったころからだろうか。ハミルドが一人で庭でぼんやりしているのをよく見かけるようになった。
どこかを見ながら、切なげな表情をしているのも見たことがある。
落ち着いた性格の彼には珍しく、苛立ちとも焦燥とも取れる表情で壁に手を叩きつけたりしている姿も見てしまった。
私は、一般の令嬢たちのようなたおやかな女ではない。
しかし男でもないから、男性の気持ちはよくわからない。特に若い男性の気持ちというものは、政治とは無縁で計り知れないものだ。男心は全く理解できないとよくこぼしていたのは、母上だっただろうか。
わからないことは、詳しい人に聞くのがいい。
幸いなことに、今は人の心の機微に詳しい人が館にいる。
さっそく捕まえて、助言を求めることにした。もちろん、酒宴になってすぐの、酒で理性や言動がおかしくなる前に。
しかし、普段通りを装うために酒杯を持っていたのが悪かったのか、アルヴァンス殿は上機嫌で葡萄酒を満たした酒杯を掲げた。
「今日もお美しいライラ・マユロウに乾杯!」
「乾杯! ……いや、そうではないんです。だから、まだ飲まないで!」
急いでアルヴァンス殿の手を押さえると、赤髪の美青年はゆっくりと瞬きをした。
王都から来て二週間。まだあまり日焼けをしていない顔は白く美しい。テーブルを見回しても、今日はまだほとんど酒を飲んでいないように見えた。何とか間に合ったとほっとしながら、アルヴァンス殿の隣の椅子に座った。
「……その、少し伺いたいことがあります」
「おや、ラウラ・マユロウ。改まってどうしましたか? マユロウ伯の新しい想い人というお二人の件なら、残念ながら私はよく知りませんからね」
「えっ、二人? 父上に、さらにそういう人がいたのですかっ?」
予想外の言葉に、私は思わず身を乗り出した。
父はもういい年だ。なのに、今も恋多き男として女性たちに甘い笑顔を向けている。女性たちも父に口説かれると悪い気にはならないようで、正式に迎えている側室は何人もいる。
それが、さらにまた増えるかもしれないと思うと冷や汗が出てしまう。
もっと詳しく聞こうとして、今夜の目的を思い出して振り切るように首を振った。
「父のことは、それはそれで気になりますが、今は別件です。……その、ハミルドのことなんですが。少しおかしいと思いませんか?」
躊躇いながら問いかけると、アルヴァンス殿は一瞬困ったような顔をした。
しかしすぐにそれを消し、葡萄酒を満たした銀杯をおどけたように掲げた。アルヴァンス殿は都の貴族らしい容姿と身のこなしをしているのに、こういうところはどちらかといえば父マユロウ伯に似ている。
「おかしくはありませんね。この宴の間にいる人間の中で、ハミルド君が一番落ち着いていると思いますよ」
「今の話をしていません。ハミルドは……最近、私の知らない顔をしている」
私が真面目な顔でそう言うと、アルヴァンス殿はしばらく私を見つめた後に目を伏せた。笑みを消してため息をつくと、手に持っていた銀杯をテーブルに置いた。
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