第3話 憩いの時
時が流れ、ハミルドは私の身長に追いついた。少し遅れてカラファンドも追いついて、この異母弟にはあっという間に抜き去られてしまった。
馬に乗れるようになると、私たちの行動範囲がさらに広がって、使用人たちを困らせるようになった。
その頃にはハミルドもカラファンドと同じくらいに活発な少年になっていた。体もとても丈夫になって、でも相変わらず私に従順だった。
私はハミルドをもう一人の弟のように可愛がったし、ハミルドも将来の妻ではなく頼りがいのある姉か兄の様に感じていたと思う。そのくらいの信頼関係はあった。
私たちは喧嘩も数え切れないほどした。でも三人だったからか、必ずもう一人が止めて、険悪になることはなかった。
総じて私たちの間には笑いが絶えず、穏やかで確かな絆が育っていた。
ハミルドが十八歳になった年。
婚礼はその年の秋と決まり、ハミルドは完全にマユロウ伯の館に住むようになっていた。
一方、二十一歳という次期領主として不足のない年齢になっている私は、次期マユロウ伯として執務を手伝いつつ、婚礼の準備も進めるという忙しい毎日を過ごしていた。
次期領主の仕事と言っても、具体的に言えば、父が放置する仕事すべてが私の仕事だ。
細かな数値の並ぶ租税関係の書類は、いつも整理されないまま山積みにされている。
中央政府への報告書は、正式書類は古典語を使わなければならない。
私たちの婚礼の前には夏至祭という大きな祭りが立ちはだかっていて、領民に振る舞う酒は公平でなければならず、手配は早めにしておかなければ間に合わない。
祭りの進行や警備は、いつもぎりぎりまで変更がある。
こういう行事の予定表や報告書は、地方領主として事前に中央政府に提出しておく必要はある。事前の申請をしておかないと、実際には全く異心がないのに謀反の疑いを勝手にかけられたりする。どんな些細なことでも口実に使われかねない。
皇帝陛下はともかく、中央の貴族と政府は、目障りな辺境地方領主を潰す口実が欲しくてたまらないのだ。
こういう時、マユロウの猛々しい血は実に役に立たない。
マユロウ伯である父は、始めから家宰にすべてを投げている。
だが家宰も生身の人間だ。いくら書記官がいても、細かい判断を必要とするマユロウ家の仕事は、誰かと分担しなければ終わらない。一人でこなせないことはないが、無理をすれば倒れてしまう。
彼が倒れては大変だ。マユロウが立ち行かなくなる。だから、細かい数字を苦手としている私が向き合わねばならなくなっていた。
疲れないはずがない。
そんな中、毎日一回は必ずハミルドと顔を合わせるようにしていた。それがとても良い息抜きになっている。
何をするでもない。
ただハミルドがいる場所に行き、話をする。
部屋のこともあるし、図書室の時もある。中庭の草の上に座ることもあるし、一緒に馬で散歩に出ることもある。
すでに準備が始まった婚礼衣装の仮縫いがいかに窮屈だったかを語る。
この忙しい時期に、父マユロウ伯がまた新しい側室を迎えそうな気配があって、正妻である私の母はもちろん、すでにいるご側室方がぴりぴりしていることをため息交じりにつぶやく。
夏至祭と比べても、婚礼の宴用に準備される酒の量が尋常でない気がすると愚痴をいう。
その度に、ハミルドは優しい顔に微笑みを浮かべ、あるいは眉を潜めて頷きながら聞いてくれた。
父に押し付けられた執務に疲れて椅子にもたれかかっていると、何も言わずに背後にまわって肩を解してくれた。
「カジュライア。顔色が少し悪いですよ。大丈夫ですか?」
「少し疲れているだけだ」
「無理はしないでください。……と言いたいところだけど、マユロウ伯はあのような方だ。せめて、休憩はしっかりとってください」
父マユロウ伯をよく知っているから、ハミルドは笑いを含みながらそんなことを言う。こういう時は、私もつられて笑顔になってしまう。
ハミルドの笑顔は、人をくつろがせる不思議な力があるようだ。
「それにしても、昨日から根を詰めすぎていませんか? 夏至祭までまだ少し時間があるなのに」
「うん、時間はあるんだが、アルヴァンス殿がマユロウ領に来ると知らせが来たんだ。あの人が到着する前に、片付けるべきことは片付けておきたい。どうせ父上は空気を読まないから、毎晩のように宴が催されることになるだろう?」
宴は楽しい。正直に言って私も好きだ。
でも、マユロウ家の宴というものは酒を浴びるほど飲む場だ。
どれだけ仕事が立て込んでいても、父マユロウ伯は数字に関する仕事をしないし、私も宴の場に縛り付けられる。
そして、父はもちろん、アルヴァンス殿は美しい容姿に合わず酒豪だ。二人が同席するとなると、軽く飲んでお開きになるような優雅な宴にはならない。夜が更けるまで席を立つことは許されないだろう。
楽しい時間ではあるが、仕事が滞るのは避けられない。宴を断ることができれば、こんなに前倒ししなくてもすむのに。
私がため息を吐くと、ハミルドは首を傾げたようだった。
「アルヴァンス殿は先月に王都に来たばかりなのに、また来るなんて珍しいね」
「うん、確かに珍しい。でも私の婚礼が近くなってきたから、母上やご側室方に呼びつけられているのだろう。特に母上は、あの人の審美眼を頼りにしているようだから」
「それもあるでしょうが、あの人はたぶん……」
ハミルドは肩を揉む手を止めて、何か考えている。私が振り返ると、いつもの穏やかな笑みを浮かべて手を動かし始めた。
「それより、カジュライア。カラファンドが婚約するというのは本当ですか?」
「もう聞いたのか?」
私は正妻の子だ。カラファンドは唯一の兄弟ではあるが、彼とは母親が違う。側室の子であるカラファンドは、そのままでは立場が弱い。
「カラファンドには、私の補佐をしてもらいたいんだ。だから従妹のメネリアとの婚約してもらう。正式な発表は、アルヴァンス殿を歓迎する宴になるはずだ」
「なるほど。あなたは弟思いの人だ。補佐が欲しいと言いつつ、カラファンドに後ろ盾を与えたいんだね」
「そう見えるのか?」
「実際にそうなのでしょう?」
優しい声を背後に聞きつつ、私は目を閉じた。
ハミルドの言葉は正しい。
同じ血を受けているのに、庶子は立場が弱い。子が少ないマユロウ家では今のところ大切にされているが、基本的に手駒扱いされる。だから、確たる地位を与えておきたいのだ。
そのために、父の同腹の妹を母にもつメネリアと婚約してもらう。二人は姉弟のような関係ではあるが、夫婦としても何とかやっていってくれるだろう。
そして、私を支えてもらうのだ。
……生臭い話だ。
色恋とは無縁の政治的な話でしかない。でもそんな話をしている時でも、ハミルドと一緒なら、気持ちは穏やかなままでいることができる。
ハミルドの穏やかな微笑みを見ると、私は心からほっとする。思慮深い話し方は、尖りそうになる私を優しくなだめてくれる。
彼との結婚生活は、こんな穏やかなものになるだろうか。
そう考えると、つまらない領地紛争を起こした父たちの愚行も許せそうな気がした。
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