第2話 父の再従弟
「ライラ・マユロウ。いつまで木の上にいるつもりですか?」
木の上で考え込んでいた私は、名前を呼ばれて下を見た。
きれいな赤い髪が見える。アルヴァンス殿だ。
長い髪を右肩の前で緩く一つに束ねた優美で細身の人だ。それなのに、荒々しいマユロウの馬に乗っている。王都の貴族のくせに、この美しい人は不思議なほどマユロウ領に馴染んでいた。
今日は館を抜け出した私を探しにきてくれたようで、目が合うとどこかほっとしたように微笑んだ。
「降りてきませんか。厨房の横を通ったら、とても良い匂いがしていましたよ」
「あ、うん。ちょっと待ってて」
そう言ってから、私は急いで木を降り始めた。
もし、迎えにきたのが他の人なら無視していたかもしれない。でも私はアルヴァンス殿の穏やかな笑顔と声が気に入っている。
それに彼が迎えにきたと言うことは、料理長が作ってくれる菓子が焼き上がったということだ。
ポンと地面に降り立つと、アルヴァンス殿は馬上から手を伸ばしてくれた。その手に捕まって鞍の前によじ登ると、私の髪を軽く撫でつけてくれてから、アルヴァンス殿は馬を歩かせ始めた。
気性が荒く、乗り手を選ぶ難しい馬が、とても従順に歩いている。
それが見ても珍しくて、私は思わずアルヴァンス殿の手綱捌きをじっと見てしまう。男の人と思えないほどきれいな手は、ごくわずかに動くだけで馬に指示を伝えていた。
「すごいね。気が荒い馬なのに今日はとても大人しい」
「最近、よく乗っていますからね。マユロウの馬は皆いい馬ですが、この子は私と相性がいいようです」
アルヴァンス殿はそう言って笑った。
この美しい人が初めてマユロウ領に来たのは、二ヶ月前。それからずっと滞在している。最近は毎日のように馬に乗っているせいか、初めて会った時より少し日焼けをしていた。
でも、今でも私よりずっと色が白い。それに、いつ見てもきれいに整った姿をしている。私より八歳か九歳年上でまだ「少年」の年齢だと聞いているけど、こんなにきれいな男の人は初めて見た。
私を支えるように体の横を通っている腕は、マユロウ伯爵である父と比べると細い。女のようだと笑う人もいるけれど、何を聞いても答えてくれるのだからきっとマユロウの男たちの何倍も賢い人なのだろう。
そんなことを考えていた私は、ふと振り返ってアルヴァンス殿を見上げた。
「ねえ、アルヴァンス殿。私は伯爵になるんだよね?」
「もちろんですよ。あなたはマユロウ伯の唯一の嫡出の子ですからね」
馬を歩かせながら、アルヴァンス殿は私を見下ろした。
銀を青く染めたような目は、とても穏やかだ。
ここに来たばかりの頃、アルヴァンス殿の表情はとても乏しかった。きれいな顔立ちのせいもあって、まるで血の通わない彫像のように見えていた。
でも今は普通に笑ってくれる。私の頭を撫でてくれる。それが嬉しくて、私はつい何でも相談してしまうのだ。
「私、ずっと考えているんだ。私と結婚するハミルドは、きっと幸せになれないと思う」
「……幸せかどうかは、本人次第だと思いますよ」
一瞬の間の後に、アルヴァンスは答える。
私は首を傾げた。
「アルヴァンス殿だったら、どうなの?」
「私ですか? ……そうだな、もし私は婿入りする立場で、相手がライラ・マユロウだったら、きっと幸せになれると思いますよ。私にとって、マユロウは王都より居心地がいいですから」
「ふーん、アルヴァンス殿は変わっているね。でも、ハミルドはたぶん幸せになれないよ」
「なぜそう思うのですか?」
「私はマユロウで、彼がエトミウだから。女領主の夫なんて、何も力がないでしょう?」
私がそう言い切ると、アルヴァンス殿は驚いたようにわずかに眉を動かした。
何か言おうとしたようだったが、ちょうど館に着いてしまったので話はそこで終わってしまった。
でも、ハミルドと私の結婚については、ずっと考えてきた。
赤子だったハミルドを初めて見た時の記憶は、ずっと残っている。
ハミルドは私に懐いてくれたし、マユロウにも馴染んできていると思う。でも女当主の夫という地位は、成長した後のハミルドにとって好ましいものではないだろう。
この辺りの領主の風習では、当主は絶大な力を握る。そしてその同母兄弟も、補佐として力を握る。
これは絶対的なもので、異母兄弟が何人いようと問題にはならない。
当然、血統の異なる女領主の夫に実権はない。配偶者という地位は格が下がり、実力がなければただの飾りとして領主の隣に座るしかない。
アルヴァンスは都の貴族だから、実権がなくても安定した生活を心地よく思うのかもしれない。
でも、私がそんな地位に押し込められて、残りの人生を無為に過ごすことになったら。……そう考えると正直ぞっとする。
私はそういう性格で、マユロウ家はそういう家風。エトミウ家も似たようなものだと思う。
考えても考えても、ハミルドは充実した人生にはなりそうもない
でも、私とハミルドの結婚は決まっている。ならば、せめてハミルドを幸せにしなければならない。いや、必ず幸せにする。
次期領主として力をつけて、ハミルドが居心地の良いような環境を整えてあげたい。
でも何をすればいいのだろう。
考えても分からないから、アルヴァンス殿に尋ねてみると、少し驚いた顔をした後で大きく笑われてしまった。
「どうして笑うの?」
「いや、失礼。でも……そこまで真剣に考えているのなら、ライラ・マユロウはまず勉強の時間に抜け出すのを控えることから始めるべきか、と思ったので」
確かにそうかもしれない。でも勉強は苦行だ。
全てはハミルドの幸せのためだから、今後はできるだけ我慢することにしよう、と弱々しく決意した。
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