第20話 名前を呼ばない理由
「それ、今使っちゃうね」
「い、いいけど。ジュースはどうするの?」
「あぁ、あれ嘘だから大丈夫」
姫路さんは平然と言った。
「え?」
2人でジュースを買いに行くのは嘘?
じゃあ莉沙が嘘をついていたってことになる。つまり最初からジュースなんて買いに行く予定はなかったってことか。
なんでそんな嘘を?
「ジュース買いに行くっていうのは口実で本当は2人で話したかっただけ」
「なるほど……。でも他の人は嘘って知らないんじゃないの?」
莉沙と姫路さんは隣同士だったから会話はいくらでもできたかも知れないけど、他の人は違う。
みんなが嘘だって知らないならジュースを買いに行かないのもなんか悪い気がする。
「…………………………まぁそれは莉沙がなんとかするでしょ!」
「あんまり期待できないけど……」
姫路さんも答えるまでだいぶ時間あったし絶対俺と同じ気持ちだろう。
かといって今から戻ってジュース買ってみんなのところに行けば花火は始まってしまうし、もう諦めよう。
「それでなにをすればいいの?」
わざわざ2人きりでなんて言うんだから予想ができない。
そんなに大事なことなのだろうか。
「んーとね……」
姫路さんは自分からこの状況を作り出したのになぜか言いづらそうにしている。
「あ、とりあえずあそこ座ろっか」
姫路さんが指を指したところはただの石でできた地面。けれど、言われた通りそこまで行くと下は海が広がっている。
俺たちは足をぶらんと海に向かって出して座った。
「それで結局なにをしたらいいの?」
「うん、今言うからちょっと待って」
また少し深呼吸をして間を作る。
そんなに緊張することなのか?
俺は何も言わずに姫路さんの言葉を待つ。
数十秒の間があったあと、こちらの目をしっかりと見つめてくる。
その視線から決して軽い話ではないと本能で理解するような感覚に陥った。
「雛那ちゃんって誰なのかな?」
「え?」
何を言ってるんだろうか、と思った。
だって目の前にいる人が姫奈という名前なんだから。
「あ、私のことじゃないよ? 響也たちの中学校の頃の同級生……かな?」
「な、なんで……」
俺は目を見開いた。
少し自信がなさそうなのは確信を持てていないからだろう。
でも、間違いなく姫路さんは雛那のことを聞いてきている。
確かに前に司に殴られた場面なんかをみられたらなんとなくわかるかもしれないけど、それを聞いてくる理由はなんだ?
わざわざ勝利の特権を使ってまで。
「最初に知ったのは勉強会の時だよ。響也と話したいな〜って思って休憩の時について行ったら先に莉沙と話してたから私も混ざりたいなって思ってた時に『ひな』って聞こえてきたから入りづらくなっちゃって」
そうだ、あの時確かに人影が俺には見えた。
あれが姫路さんだったんだ。
だから知っていたのか。でも、それだけでなぜ聴きたくなるのか。
「なんで気になるの?」
「前、響也が変な男に殴られたでしょ? あの時もあいつがひなって言ってて、絶対私のことじゃないから誰なのかなって。だって響也が殴られた理由がその子にあるんでしょ?」
確かにあの会話を聞けばそう解釈するだろう。
実際間違っていない。雛那は間違いなく関係していて悪いのは全部俺だ。
「そうだけど……」
明らかにテンションが下がったであろう俺をみて姫路さんは慌ててしまった。
「あぁ、別に響也に辛いこと思い出させる罰ゲームとかのつもりじゃないからね? ただ、理由によってはあいつにやり返さないと……」
自分の体の前で握り拳を作る。
声色にも殺意が入っているような……?
たまに姫路さんは怖いときがあるからちょっとビビってしまった。
「いや、やり返さないでね? 俺が悪いんだから」
「だからそれを判断したいんだよ」
俺が悪いと思っていても姫路さんは違うかもしれないってことか?
いや、それはない。あれは誰が聞いても俺が悪くなる。
「っていうのは建前。もちろん嘘ではないけど本当の理由は別にあるよ」
いや、ぜひ嘘であって欲しかったものだけど……。
でも、本当の理由は別にあるならいいか。
だったらなんでここまで焦らすのだろうか。早く言ってくれてもいいのに。
「本当の理由は?」
俺はシンプルに聞いた。
焦らされるのも嫌だったし、なにより花火が始まってしまう。
理由によって話す内容も変わってくる。そもそも、雛那の何を言えばいいのかわからないからな。
「本当はさ、理由は2つあって1つ目は最初にお祭り嫌がってた理由がその子が関係してるんじゃないかなって思って」
「え……わかったの?」
俺はさすがに驚いた。
祭りを渋っていたのは勉強会より前なのにそこと繋がるなんてびっくりした。
「いや、女の勘だよ?」
「こわ……」
本当に女の勘ってあるんだな。
いつも莉沙と一緒にいる時はそんなの聞いたこと一度もないけど。
「でも、関係してるんだね。それでもう一つはね――」
少し間があく。
波の音が数秒流れたあと、姫路さんは俺の手に触れた。
重ねるように、少しだけ。
「――私の名前を一度も呼んでくれない理由が知りたいから」
「…………」
姫路さんの声音は寂しいなのか怒っているのか他の何かなのか、俺にはわからなかった。
やっぱり気にしてたのか。
そう、俺は今まで一度も姫路さんの前で姫路さんの名前を読んだことがない。
苗字も名前も一度もない。
最初は呼ぼうと思ってたんだけど昔の記憶が脳裏をよぎって次会ったら呼ぼうって決めてもその次でまた同じことを繰り返していつのまにかこんな関係になった。
「私たちもう、知り合ってから1年以上経つよね。それなのに私は名前を呼ばれたことがない。本当は結構悲しかったんだよ……?」
姫路さんの目を見たらうっすらと潤んでいるように見えた。
声も少し震えている。
「でも、知り合ってからこれだけ時間経って今更名前呼んでよ! なんて言いづらかった。でも、最近たまに『ひな』っていう名前が聞こえてくることが多くて何かあるのかなって思ったの」
しばらく海を見つめながら話していた姫路さんが再びこちらを向く。
「だからその理由を教えてくれないかな」
その潤んでいる目を見て断ることはできない。
それにすごく申し訳ないと思っているし、そもそもテストで負けているからな。
「えっと……」
結局、話そうと思っても心の中の俺がなかなか口を開かない。
どうしようと固まっているとまた姫路さんが語り始めた。
「あの子可愛いよね。
「なんで……?」
なんで姫路さんが雛那の写真を見ているんだ?
「前、響也の家で卒アル見たでしょ? あの時本当は響也じゃなくてその雛那ちゃんを探してたんだよね。どんな子か気になったから」
ギリギリ見られないように隠せたと思っていたけど既に手遅れだったということか。
最初から目的が俺じゃないなら見つけるのは簡単だったかもしれない。
「髪がショートで明るかった。まさにそんな感じの人に見えたよ。私には」
なんのことか一瞬わからなかったけどすぐに思いついた。
いつかの初めて2人で下校した日。俺が好きだった人の特徴を言った時の言葉だ。
まだ覚えてたのか……。
「だから、響也とどういう関係でどんな人でそれが私の名前を呼ばない理由と関係があるのか知りたいな」
触れていた手で俺の手をキュッと掴まれた。
目には真剣さが宿っている。
ちゃんと、言わないと。
「わかった、話すよ。中学の頃の話を」
そうして俺は今まで心の中にしまっていた記憶を思い出して姫路さんに話し始めた。
どこにでもあるような、誰にでも経験したことのあるようなありふれた思い出と、俺の初恋の話を。
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