羽衣は夢を見る

かみつき

羽衣は夢を見る

 私のご主人は嫌われております。嫌われて当然のことばかりしてきたのです。天人の中でも一、二を争うずる賢さで、あまたの人々を騙してきました。彼女のことを恨んでいる被害者は大勢います。かく言う私もその一人です、もとは従順な奉公人でしたのに、意味の分からぬ因縁をつけられ、勝手にご主人が腹を立てて、魔法で私の姿を変えて羽衣にしてしまったのです。ご主人にひどい目にあわされて復讐の機会を虎視眈々と狙っている者もおります。私もできるものなら復讐したい。しかし私は動かぬ羽衣になってしまったのですから、復讐などできる訳もなく、ただ他の誰かが代わりに復讐してくれないかと、漠然と望んでいるだけなのです。

 しかしとうとうその日、微かな復讐の火種が植え付けらました。その日はなかなか忙しゅうございました。皆あくせくと働いて、私のことなど二の次に考えておりました。それに紛れて一人の若者が私のいる場所へ忍び込み、

「この羽衣は確か、あの女の愛用」

 と、私に魔法をかけました。その魔法により、私の体からは常に、地の人間を惹きつける香りが放たれるようになりました。微力な魔法です。あまり優秀ではない若者でしたから、それくらいの魔法しかできなかったのでしょう。

「奴はよく地に降り立って水浴びをする。地で水浴びをしている間、衣は水のほとりの木の枝に掛けられることが多い。その間に地の人がこの衣に惹かれて奪ってくれたら、奴は二度と天に戻れまい」

 若者がそう言って去ったあと、ご主人はいつも通り私を身に着けました。香りには気づきませんでした。当然です、天人には嗅ぎ分けられぬ香りですから。羽衣を身に着けたご主人は、いつも通り地へ降り立ちました。そうして私を近くの松に掛け、水浴びを始めました。私は、地の人を魅了する香りを放ちながら、のんびり松の枝に揺られていました。すると幸運なことに、ある男が私の香りに誘われて、松の下へとやって来たのです。彼は白龍という名の漁師です。何故名を知っているのかと聞かれるかもしれませんが、一目見ただけで相手の情報を知れるのは、私が羽衣にされてから得た不思議な力なのです。白龍は私を見て

「なんと美しい……。持ち帰って家宝にしよう」

 と言い、私を持っていこうとしました。

 やっと、やっとあの性悪なご主人への復讐が叶うのです。羽衣が無くなったと知ったら、彼女はどんな顔をするのでしょう。悲しむでしょうか、嘆くでしょうか、気味が良い。ざまあ、と心の中で嘲笑してやりましょう。やっとご主人が、今までの報いを受けるのです、天罰です。今まで私にどれだけのことをしてきたか、ご主人は覚えておいでですか。何もしていない私が盗みを働いたと勝手に言い、罰を与えるといって私を羽衣にしてしまった。私が今までどれだけ恨んできたことか。私が羽衣になってからも、あの非情なご主人は、機嫌の悪いときは私を床に叩きつけました、そうでなくても、毎日私を雑に脱ぎ捨てました。あんまりではありませんか。今ここで、やっと復讐が叶うのです。

 白龍の手の中で、私はそう考えました。私がいなくなれば、ご主人は天に帰れず嘆く。そして私は……。そうだ、私も汚らわしい地に留まることになるのだ。この男の家で、家宝にでもされるのであろうか。さすれば暗い蔵の箱の中にでも閉じ込められるのだろう。汚い地の、汚い蔵で、何の楽しみもなく過ごすのであろうか。つまらない。矢張り私の本音を言えば、天へと帰りたい。しかしそれも復讐のためと思って我慢するべきだろうか。でも、仮に復讐が成功したとて、ご主人が悲しむ顔を見ることはできない。悲しむ顔も、嘆く顔も、怒った顔も。そして、他人を騙して嬉しそうに笑う顔も……。私を雑に扱うこともなくなる。放り投げられることもなくなる。それは嬉しいことのはずなのに、何故だろう。切ない。天に帰れないと嘆くご主人を天から眺め嘲笑するのは、私ではないのです。私に魔法をかけた、あの未熟な若者です。それはどうしようもなく悔しい。彼女に復讐を遂げて高笑いするのは、私であるべきなのです。何故私はあんな若者などに復讐も嘲笑も託したのでしょう。

 こんなにたらたらと考えて、私はどうしたいのでしょう。とにかく、このまま汚らしい地の人間に連れていかれるのが嫌なのです、それだけははっきりしてきました。

 ご主人に会いたい、そう思いました。そうだ、私はご主人に会いたいのだ。ご主人にいつも通り天へ連れていかれ、いつも通り雑に脱ぎ捨てられたいのだ。ご主人、ご主人、私は連れていかれてしまいます。羽衣が奪われてしまいます。ご主人が天へと帰れなくなります。私はご主人が悲しむ姿など見たくないのです。人を虐げ嬉しそうに笑うご主人を見ていたいのです。ご主人が私を身に着けたときの感覚を、投げ捨てたときの感覚を、再び味わいたいのです。ご主人、松の枝をご覧ください、どうか気づいてください。

 私の祈りが通じたのでしょうか、ご主人が松の木の陰へ現れました。気づいてくださったのです。私は嬉しさでどうにかなりそうでした。

「もし」

 ご主人は木の陰から男に話しかけました。男は振り返って、ご主人に見惚れました。そうです、私のご主人は美しいのです。こんな男が見惚れないはずがないのです。ご主人は恥ずかしそうな顔で

「それは私の着物です」

と言いました。

「その羽衣は地の人にとって何の役にも立たないのです」

 嘘です。羽衣は地の人にも幸運をもたらします。しかしご主人は上手く嘘をつきました。

「どうかお返しください。それがなければ私は天へ帰れません」

 ご主人は悲嘆にくれた表情をして見せ、涙をこぼしました。この辛そうな表情は、ご主人が人を騙すときによく使う手段です。

男はこれが天の羽衣なのかと驚いていましたが、悲しそうなご主人を見て表情も暗くなりました。ご主人の演技に引っかかったのです。

「返す代わりに舞を踊ってください」

 と男は言いました。ずうずうしいことです。地の人間のくせに天人の舞が見たいなど。

「羽衣がないと舞えないのです。どうか、まずは羽衣をお返しください」

 ご主人はそう言いました。男は、

「返したら舞を舞わずに天に帰ってしまうつもりではないだろうな」

 と怪しみました。しかしご主人は

「疑いや偽りなどは地の人間のものです。私の住む天上には存在しないものでございます」

 と言いました。男は赤面しました。

「それもそうだ、恥ずかしいことをした」

 男はそう言って、私をご主人の手に渡しました。ご主人は優雅に、私を身に着けました。

 ああ、ご主人、お気づきですか。いえ、きっとお気づきではないのでしょうが、私は今、有頂天外の気分なのです。ご主人の手に帰れたことが、何よりも幸せなのです。今日も私を乱雑に脱ぎ、床に放り投げるのでしょう。是非そうしてください。さあ、天へと帰りましょう。こんな男に舞など見せる必要はありません。いつものように騙された者へと高笑いを浴びせてください。

 しかしご主人は、舞い始めました。袂を翻し、ふわりと体を動かして、舞を始めたのです。どういうことなのでしょう。いつものご主人なら、舞などせずに天へ上ってゆくはずです。それが、今日はどうして……。男が言葉もなくただ見惚れております。そうです、確かに舞は麗しいのです。しかしそんな美しいものを地の人間なんぞに見せるなんて、あまりにも贅沢です。見るな、汚い地の人間などが見ていい舞ではないのだ。

 すると、ご主人の体がふわりと宙に浮きました。そして体は、高く高く、愛鷹山から富士の高嶺へ、富士の高嶺から空の霞へと舞って上ってゆきます。

 天に着いて、ご主人は舞をやめました。どうしたことでしょう、羽衣を返されたからには舞など見せずに去ってしまえば良いのに。ご主人はいつになく静かな様子で、顔を下へ向けました。恥ずかしそうなご様子でした。見ると、頬が赤くなっているようでした。

 訳が分かりません。あの男が赤面する理由はあっても、あなたが赤面する理由はないはずです。舞を見せる理由だってなかったはずです。まさか、あの男に気があるとか……いえ、そんなことはあり得ません。地の醜い人間です、少し会話をしただけの者です。仮にそうだとしても、二度とあの男に会うことはないでしょうから、何も案じることはありません。地へ水浴びに行くときは、同じ水辺には一度しか行かないのが常ですから。次は別の何処かへゆくのです、だから白龍には二度と会いません。しかし、その別の何処かでも、私は地の人を魅了する香りを放ち続けます。また誰かに見つかり、連れ去られそうになったら……、そう思うと、恐ろしゅうございます。気が気でないのです。二度と地の人間になど関わりたくありません。もしご主人が地の人間に惚れやすい方であったなら……、いえ、そんな不釣り合いなことあるはずもありませんが、もしそうだったなら、ご主人が地の人間を本気で愛してしまう日が来てしまうのでしょうか。嫌です。誰が何といおうと、それは嫌です。しかしご主人は、そんな方ではないはずです、そのはずです。今日も私を粗雑に扱い、他人を陥れ、全ての者の頂点で嘲笑するのです。ほら、家に着きました。ご主人は私を乱雑に脱いで投げ、着替えました。そうです、これがご主人なのです。この日常の喜びをなくす訳にはいきません。

 その夜、私は夢を見ました。私ももとは人でしたから、夢くらい見ます。夢の中で、ご主人は結婚式を挙げていらっしゃいました。ご主人の花嫁姿の、比類ない美しさ。私は見惚れておりました。しかし、何故か結婚のお相手が霞んでよく見えないのです。相手がどんな人なのか、私には分かりませんでした。これが予知夢であったとしたら、ご主人がご結婚なさるということは、めでたいことです。しかし、何故でしょう、私は夢の中で、素直に喜ぶことができませんでした。きっと、相手が地の汚らわしい人間かもしれないと不安からでしょう、そうに違いありません。ほかに何か理由があるものですか。私は望みます、相手が決して地の汚らわしい人間などではないことを。

 私の夢は、ご主人の結婚相手が地の人間ではないことです。由緒正しい天人であることです。きっと、そうです。

 それから数日して、ご主人はまた地へと降り立ちました。近くの木の枝に私を掛け、私はまた、地の人間を魅了する香りを漂わせながら、怯えて風に揺られております。ご主人の美しいお姿を独り占めしながら、揺られております。

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