ものぐさジャック

増田朋美

ものぐさジャック

寒くて、風が吹いている日であった。流石にこんな寒い日は、なかなか外へ出るのもままならないのであるが、そんな寒い中外へ出て、製鉄所にやってきた人物がいた。ピープーと、風邪が吹いて、外の松の木がゆらゆらと揺れている間、ジャックさんとジョチさんが、応接室でなにか話していた。

「はあ、また学校で呼び出されたんですか?」

ジョチさんがまた聞くと、

「はい、何でも、副校長先生にやじを飛ばしたということで、呼び出されました。副校長先生が、授業をしたときに、武史がやじを飛ばしたそうです。」

ジャックさんは困った顔をしていった。

「いつもは、担任教師の先生にやじを飛ばして、呼び出されることはよく合ったんですが、今回は、学校でもお偉い副校長先生に、やじを飛ばしたということで、たいへん叱られてしまいました。もう少し、しつけていただかないと困りますと言われてしまいました。」

「そうですか。そもそも、僕からしてみたら、その程度のことで、いちいち学校から呼び出されるのが謎なんですけどね。」

ジョチさんが急いでそう言うと、

「はい。それは僕もそう思います。それに、イギリスでは、先生に対して質問することは、まず問題になりません。それに、なんで、先生に何か言ったからと言って、学校から呼び出されるんですかね。むしろ、積極的に発言するような生徒は、褒めてもらえると思うんですが、日本では違うのかな?」

ジャックさんは、外国人であれば、一度は感じる疑問をジョチさんに話した。

「はい。日本では、静かに授業を聞いていて、それでなおかつ試験でいい点を取る生徒が、良い生徒なんです。」

「はあそうですか。でも、点数を取るために授業に出なければならないのなら、わからないところは、ちゃんと先生に聞かなければ、教えてもらえないと思うんですが?」

ジャックさんは、ジョチさんの出した答えにすぐ言った。

「はい、海外の方は皆そういいますが、日本では、それは行けないことになっております。それでも、高得点を取らなければ行けないわけですから、日本の学生は、欧米の学生に比べると、苦労が多いことは確かだと思います。」

「そうですか、僕はそんな事は知りませんでしたが、なんだか武史が楽しそうに学校に行っているのを、本当に楽しいのか疑い深くなるときあります。それを、どうしたらいいのか、よくわからないんですよ。」

ジャックさんは、大きなため息を付いた。

「はい、でも、日本の学校は確かに辛いものでもありますが、決して悪いことばかりではないということも知っておいてください。例えば、保護者が、必要以上に結託している国家は、珍しいのではないでしょうか?」

ジョチさんにそう言われて、ジャックさんは、そうですね、といった。

「おじさん、次は何を弾いてくれるの?」

武史くんは、水穂さんにそう言っている。

「はいはい、次は、モーツァルトのピアノ・ソナタの10番ですよ。」

水穂さんはピアノの上に置いてあった、楽譜を取って、ピアノを弾き始めた。とても明るいハ長調のソナタ。水穂さんにとっては、大した演奏技術もいらない曲であるが、それでもどこか魅力のある、面白い曲でもある。

「おじさんの演奏素敵だね。おじさんは何でも弾けていいなあ。僕も、おじさんみたいに、なにか人に癒やしてあげられるような、そういうことが、できたらいいなあ。」

武史くんはにこやかに言った。

「そうだねえ。武史くんが喜んでくれたら、おじさんも嬉しいなあ。」

水穂さんは、第1楽章を弾き終えてそういった。

「武史、そろそろ帰るよ。急いで帰る支度して。」

ジャックさんが、四畳半にやってきた。

「ええ?僕、第3楽章までちゃんと聞く。」

武史くんが言うと、

「でも、今日は帰らないと。おじさんに迷惑がかかってしまうよ。」

ジャックさんはそういった。

「でも僕、おじさんと一緒に居たいのにな。」

武史くんは、またそういうのであるが、水穂さんとジャックさんは、顔を見合わせて、

「本当に自己主張の強い方ですね。自己主張ができるということは、とても素敵なことです。武史くんは、とても恵まれていらっしゃいますね。」

「すみません、お体が悪いのに、毎回毎回こうして相手をしてくれるなんて、申し訳ありません。」

と言い合った。

「申し訳ありません。今日はこれで帰ります。」

ジャックさんは、申し訳無さそうに言って、武史くんにもう帰ろうと促した。武史くんはハイと言って、

「おじさんまたピアノ聞かせてね。」

と、水穂さんに言って、自宅へ帰っていった。

それから、また数日後。ジャックさんはまた学校から呼び出された。

「ちょっと来てください。」

と、副校長先生に言われて、ジャックさんは、第一面談室と書かれている部屋に入った。

「一体何でしょうか?」

ジャックさんはそう聞くと、

「こちらが被害者の南聡子さんのお母様です。」

と、副校長先生は言った。

「被害者?」

ジャックさんがそう言うと、

「はい。武史くんが、南聡子さんの発言に、やじを飛ばしました。それで、今日はお母さんにも来ていただきました。」

と、副校長先生は言った。

「ちょっとまってください。一体何があって、そんなことが。」

ジャックさんがそう言うと、

「聞いてないんですか?」

と、南聡子さんのお母さんは言った。

「何も知りませんよ。」

ジャックさんが言うと、

「本当に、あなたのお子さんは、何も言わないんですね。なにかご病気なのではありませんか?何も言わないなんて、虫が良すぎます。あれだけ授業妨害して、他の子の学力の事は、一切考えないなんて。学校へ行くということは、一人の人間だけが主役というわけでは無いんですよ!」

南聡子さんのお母さんは、ヒステリックに言った。

「でも学校は、教え合う場所ですよね。それは主役も、脇役も無いと思うんですが。黙って授業を受けて、良い点数を取って、かつ他の子には危害を加えない人間なんて、どこにいるんですかね。どこの国家にも、そういう人間はいないと思いますよ!」

ジャックさんは、思い切ってそう言ってしまった。

「イギリスの人というのはそんなに主張するんですか。そんなに特権意識が強いんですね。さすが、ヨーロッパで第一位の国家の方といえますわ。どうしてそういうふうに、何でもかんでも被害者のような顔をするのかしらね。本当、あたしたちはそういう人に従わなければ行けないなんて、どうしてそうなってしまうんでしょ。とにかくですね、家の聡子にやじを飛ばしたことは、謝ってもらわないと。」

南聡子さんのお母さんがそう言うと、

「なんだか国家戦争を仕掛けているみたいですね。一体武史が、聡子さんに何を言ったのか。それを教えてもらえませんか?」

ジャックさんがそう言うと、

「はい。実はこういうことなんです。聡子さんと武史くんは、俳句を作ろうというテーマで授業を受けて降りました。その中で一人ひとり、俳句を作ると言うことをやっていたのですが、聡子さんは俳句を発表したときに、武史くんが、それは本に書いてあった俳句だと発言したそうです。聡子さんは、どうしても俳句が思いつかなくて、本の中から引用していた事を、武史くんは見てしまったようです。」

副校長先生が、事件の概要を言った。

「でもそれは、彼女が不正行為をした事を、指摘したわけですから、何も問題行動では無いと思うのですが?それでしたら、聡子さんのほうが、問題になるのではないでしょうか?」

ジャックさんは、自分の感じたとおりの事を言った。

「ですが、日本では、人に批判をしたときは、謝ってもらわないといけないことになっております!」

聡子さんのお母さんはそういうのであった。

「でも、彼女の不正行為は何も問題にならないで。武史が、彼女に発言したことが問題になるのであればそれもおかしいのではありませんか!」

ジャックさんは、聡子さんのお母さんに言った。

「でもといいますけどね、それは、聡子さんはそうしたつもりではなく、武史くんが、本を引用したと、勘違いしたのではありませんか?」

副校長先生がそう言うと、

「本当は、武史をこの学校から排除したくて、それで悪人扱いしたいのではないですか?」

ジャックさんは思わずそういう事を言った。日本人というのはどうしてこう、少数派を消そうとしてしまうのかなと、大きなため息を付いた。でも学校を辞めるわけには行かなかった。日本は、学校へ行かなくても、アビトゥーアとか、バカロレアのような、試験を受ければ大丈夫という国家では無いことは、ジャックさんも知っていた。だからどうしても学校に行かなければならないのだ。ほんとに悔しいけれど、日本はそうなっている。

「この学校が私立小学校であることを、もう少し認識していただきたいものですな。これ以上、トラブルを起こしてしまいますと、学校の評判にも関わります。武史くんにも、それをわかってもらわないと。これ以上迷惑行為をされると、家の学校はそんな生徒がいるのかと思われてしまいます。」

結局それか。ジャックさんは、副校長先生の言うことを聞いて、そう思ってしまった。生徒個人がどうのよりも、学校の評価といった。全体の評価ばかりを日本人は気にしてしまうものらしい。どうしてこうなるのかわからないけれど、日本人は、人からよく見られていることを、良い人だとか偉い人だとか言うようなのだ。人間的に偉いとか、感性が良いとか、そういう事は問題にならないようである。

「すみません。」

ジャックさんは、頭を下げた。

「武史にはよく言い聞かせておきますので。」

聡子さんのお母さんは、それで当然という顔をした。

「ええもちろんです。うちの聡子に限って、そのような不正をすることはありません。」

それはある意味、日本人がヨーロッパ人に持っている劣等感とか、そういうものかもしれなかった。なんとしてでも、聡子さんのお母さんは、聡子さんが悪いと言ってしまったら、外国人に負けてしまうという気持ちを持っているのだろう。なんとか武史くんに負けてしまいたくないという気持ちを、お母さんは意識していなくても感じているのに違いなかった。

「じゃあわかりました。武史くんに聡子さんへ謝罪をしてもらいますから、田沼さんもそのつもりでいてください。」

副校長先生は、やっと解決したという顔をした。

「はいわかりました。」

ジャックさんは、きっぱりと言った。

「くれぐれも、武史くんにはよく言い聞かせてくださいよ。」

副校長先生は、一番疲れた顔をしていた。でも、それは、本当の疲れというより、学校のメンツを保つための、疲れだと思った。

とりあえず、その日は、武史くんが南聡子さんに謝罪をする様にということで決着が付いた。南聡子さんのお母さんは、たいへん自信がありそうな顔をして、帰っていった。ジャックさんは、もう真っ暗になってしまった道をあるきながら、ああどういうふうに説明をしたらいいのか、と思った。読んで字のごとく、郷に入っては郷に従えという言葉があるが、そのとおりにすぐ動けるほど、人間は単純な動物ではない。添れに素直に従うためには、いろんなテクニックが必要であることをジャックさんは、知っていた。

素直に、家に帰る気にはなれなかった。とりあえず、道路をトボトボ歩いていると、

「よう!ジャックさん!」

といきなり声をかけられて、ジャックさんはびっくりする。振り向くと、杉ちゃんだった。

「こんな寒いときに何をしているんだ。」

そう言われてジャックさんは、答えに困ってしまった。

「ははあ、また学校から呼び出されたの?」

杉ちゃんに言われて、ジャックさんははいと答えた。

「まあ、よく呼び出されるな。それだけ問題児だということかな。」

「問題児ですか。」

ジャックさんは、大きなため息をつく。

「日本では、不正を指摘するだけでも、学校へ呼び出されて問題児と呼ばれなければならないんですね。」

「そうかも知れないねえ。でも、日本人でもそういう事されて、心に傷を負ったやつもいるけどね。」

杉ちゃんは、ジャックさんと移動しながら言った。

「そうなんですか。そういう人、果たしてどこにいるんですかね。」

ジャックさんがそう言うと、

「いやあ、製鉄所の利用者さんとか、他にもいるんじゃないか。具体的に誰々とは言えないけれどさ。そういう、傷ついたことって、いつまで立っても忘れられないことでもあるから。」

と、杉ちゃんは答える。

「そうなんだねえ。杉ちゃん。日本人は、そうやって具体的な名前とか、そういう事を言わないで、ただやられた人がいるとか、そういうふうに言うから、こっちも納得できないよ。」

と、ジャックさんは思わず言った。

「まあ、そうかも知れないけど。でも、それは、しょうがないことだからさ。それは、もう仕方ないんじゃないかな。日本人って、弱みを見せたらおしまいだと考える事が多いから、なかなか、声に出して、弱いところを表現するやつはいないから。見つけにくいけど、仲間はいると思って、生きていくしか無いよ。」

杉ちゃんは、奇妙な励ましを送った。ジャックさんは、そうだねえと、杉ちゃんに言った。

「それでは、武史には、どう説明したらいいのかな。武史はきっと、南聡子さんが不正をしたのは、南さんが悪いと主張するだろうし。それを、日本では謝らなければ行けないなんて、どう伝えたらいいだろう?」

ジャックさんは、事件の概要を、杉ちゃんに話した。

「はあなるほどね。つまり、武史くんが、南聡子という女子生徒の不正を指摘したというわけね。武史くんは、たしかに悪いことはしていないが、まあ、ちょっと複雑な事情があって、武史くんが南さんに謝罪をしなければならなくなったわけね。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「そうかも知れませんが、武史にどう謝れと言ったらいいですか。絶対彼女が悪いと主張するはずですよ。」

「まあ、ねえ。それも、そうだと思うよ。でも、それは、武史くんの問題で、お前さんのことではないな。とりあえずさ、お前さんにできることは、必要な事を武史くんに伝えてさ、後は武史くんが考えるのに任せておけば、それでいいんじゃないの?倫理とか、根拠とか、そういう事は、あんまり役に立たないよね。」

杉ちゃんは、杉ちゃんらしい答えを言った。ジャックさんは、そんな無責任な答えと、思わずいいそうになってしまったが、それしか無いんだなと、考え直した。

「いっそのこと、時の流れに身を任せ、ってこともあり得るよね。」

「そうでしょうか。」

ジャックさんはそうきくと、

「そうだよ!」

杉ちゃんは、明るく言った。ジャックさんも、そうするしか無いと思った。そうするしか、方法は無いし、自分にできることもない。それは、もう頑張ってというより、見守るしか無い。

「ありがとうね、杉ちゃん。」

ジャックさんは、申し訳無さそうな顔をして、杉ちゃんとは別の道を取った。昔、英語の本で、ものぐさジャックというお話を読んだことがある。主人公と同じ名前であることに恥ずかしいと思うくらい、あのお話の主人公は、本当に馬鹿だなあと自分で思っていたのだが、今となっては、あの本の主人公みたいに、言葉をそのままそのとおりに、受け止めて動いてくれれば、それでいいなと思うのであった。

その翌日は学校はお休みで、武史くんも自宅にいたから、ジャックさんは、武史くんに話すのにちょうどいいと思った。

「武史。」

絵を描いている武史くんにジャックさんは、そう話しかけた。

「武史、昨日、学校から呼び出しがあった。なぜ、彼女の、いや、南聡子さんが、本から俳句を引用した事を指摘したの?」

武史くんは、ちょっと縮こまった。

「だって、本から、俳句をノートに書いていたのを見たんだよ。聡子さんが、図書室の本からこっそり俳句をメモしていたのを、僕は見たんだ。」

武史くんは、そう小さい声で言った。

「でも、南さんは、僕が、それを見たのを見てたんだ。」

「それ、本当?」

とジャックさんは、念を押す様に言った。武史くんは、うんと頷いた。

「それで、南さんは、なにか言ったの?」

ジャックさんがもう一度聞くと、

「ウン。だって、どうしても俳句が浮かばないって言うから、僕は、先生に聞いたらいいよって答えた。」

と、武史くんは言った。その言葉に嘘はなさそうだった。とても誰かを騙しているとか、そういう意思があるようには見えない。

「それで終わったよ。」

武史くんは、にこやかに笑った。ジャックさんが、南聡子さんのそのときの反応はどうだったのか聞くと、わかったよ、ありがとうと言ったと武史くんは答えた。

「そうなんだ。じゃあ、それを、南聡子さんのママに言ってもいいかな?」

ジャックさんがそう言うと、

「いいよ。だって、それしか、してないもん。」

武史くんは、そう言ってまた絵をかく作業に戻ってしまった。ということは、杉ちゃんの言う通り、あとは、自分にできることはもう無いのかなとジャックさんは思った。もし、武史くんの言うことが事実であるとしたら、もう子供同士では、解決している話なのだ。それを大人が、ほじくり返すような真似をしてはいけないと思う。

ジャックさんは、明日、学校の先生になんて言おうか迷いながら、とりあえず武史くんのそばを離れた。いずれにしても、今回の事件で、色々言われてしまったけど、最終的には、自分が事実に対して、何も分別しないでそのとおりに動くしかないと言う事しかできないのだ。

やれやれ、ものぐさジャックになりたいな。

あの本に描いてあった様に、何でも言葉通りに動ける、単純な人間だったらいいと思う。パンを貰っても犬をもらっても、同じ様に持って帰っていった馬鹿な男のように。

昔話というのは、時々、重大な教訓を教えてくれることもある。もちろん嫌だった面を伝える側面もあるけれど、こういう役に立つ昔話もたまにはあるのだ。





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ものぐさジャック 増田朋美 @masubuchi4996

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