第30話 獲物は狩人の毒牙にかかり、死んでゆく

数ヶ月後


メディチ家の邸宅


「ん……」


 一人の男と二人の女がすやすやと寝息を立てて寝ている。雀の囀りと真っ白な朝日は3人の耳と肌を優しくなぞり、朝の訪れを密かに告げ知らせていた。そよ風はカーテンをかすかに揺らし、晴翔の部屋に新たな空気を運んでくる。


 天蓋付きのベッドの隣にはサイドテーブルが一つ。その上には綺麗なガラス瓶が置かれており、赤色と青色のバラがその美しい姿を出し惜しみせず見せている。そして、その隣には婚約指輪が二つ。


 おそらくこのままだと、二つのバラは萎れていくのだろう。けれど、ベッドで寝ている二人の女は長い歳月を経ても色褪せない美しさを保つように思えてやまない。


 アリスとカロルの発する実に甘美なる香りとフェロモンが寝ている晴翔の鼻を刺激し、彼の目を覚ました。

 

 目の前にはラオデキヤ王国における絶世の美人が二人も胸がはだけた寝巻き姿ですやすやと寝ている。凶暴な二つのマシュマロを除けば、子猫のようにかわいい。


 まだ婚約だから二人と関係を持ったりはしてないが、このままだと俺の理性が崩壊するのも時間の問題だ。


 晴翔はアリスとカロルの頬を撫でてからこの前の出来事を思い返して見る。


 戦艦大和から放たれた九発の弾は見事アランに命中し、彼は跡形もなく消えた。


 ラオデキヤ側の死亡者は一人も出なかった。負傷者は結構いたが、アニエスさんの治癒の魔法のおかげで事なきを得た。建物はだいぶ壊れたが、ベルン王の行政能力と民たちや貴族たちの協力が相まってラオデキヤ王国は再び平和を取り戻すことができた。


 あの場にいたものたちは晴翔に「神の船の使い手」という称号を授けてくれた。そして、砲撃のあった場所には、でかいクレーターができており、王室側はその場所を「聖戦の爪痕」と名づけ、そこの土地を全て買い取った。


 アラン一族は全員逮捕され、爵位を剥奪。


 今までやってきた不正が明るみに出る格好となった。


 メディチ家の邸宅を襲った謎の集団による二つの事件の黒幕は、3美女の体を狙う彼の一族だということも明らかになり、全員極刑。




 そして晴翔は、国中の有力者や平民たちに祝われながらアリスと婚約して今に至る。


 晴翔はもう冒険者ではない。

 

 もうじきにリンスター公爵を名乗れる立派な貴族になる男だ。


 ラオデキヤ王国の法律では、爵位を名乗れる者は二人となっている。アリスは晴翔にリンスター公爵と名乗れる権利を譲ることをとても強く望んでいる。

 

 だけど、メディチ家と関わるビジネスや税務、法務といった難しい実務関係はアニエスとシエスタとアリスがやってくれている。

 

 彼には学ばないといけないことが山ほどある。


 そんなことを考える晴翔は苦笑いを浮かべて部屋を出た。 




晴翔side


 

「「おはようございます、ご主人様」」


 大人しいリンゼさんと子供っぽいエリゼさんが朝の挨拶をする。


「おはよう」


 するとエリゼさんが妖艶な表情で


「昨日はですか?ひひひ」

「っ!まだ俺たちは結婚してませんから……」

「エリゼ、ご主人様を困らせちゃだめ。私たちはご主人様をしないといけない立場だから」


 俺は二人から逃れるようにして、脱衣所近くにある洗面台に向かう。


「あら、晴翔くん」

「アニエス様、帰っていたのですね」

「うん。昨日、事業の件で結構忙しかったからね……あと、さんでいいのに」

「それは……」

「ふふ、それはそうとして、昨日、ベルン国王陛下との謁見、結局どうなったの?」

「総司令官の件ですね」

「ええ」


 俺は、悪魔と化したアランと戦う際、ベルン国王陛下からの提案で軍のトップに君臨する総司令官になった。


 だが、俺はこの国の地理や行政といった仕組みを詳しく知らない。あの時はアランを倒してメディチ家とラオデキヤ王国の人々を助けるために仕方なく引き受けたが、考えてみれば若い俺には荷が重すぎる案件である。


 それに、俺が総司令官としてラオデキヤ軍を取り仕切るとなると、アニエスさんとアリスとカロルを守る時間が減ってしまう。


 だけど、アニエスさんは、俺が総司令官であり続けることを望んでいた。恐らく、亡くなった旦那さんも同じく総司令官をやっていたからだろう。

 

 だから昨夜は修復作業が行われている王宮に赴いて打診したわけである。


 俺はいいニュースを伝えるために口を開いた。


「国王陛下は、俺がずっと総司令官であり続けることを希望されています。なので、今まで通り、実務は千人隊長のロラン卿に任せることにして、有事の際だけ、俺が指揮権を授かってラオデキヤ王国を守ることで手を打ちました」

「あら!つまり、晴翔はずっと総司令官なの?」

「そうですね。名ばかりの名誉職なんですが……」


 俺が後ろ髪を引っ掻いて返事すると、薄着姿のアニエスさんが糸を引いている唇に舌を蛇のように這わせてから言う。


「晴翔……」

「っ!は、はい」

「い、いや俺は……」




X X X

 

 ノースミンスター寺院


 朝ごはんを食べ終わった俺たちが馬車に乗って向かったのは、アニエスさんの夫でありアリスとカロルの父にあたるケルツさんが埋葬されているノースミンスター寺院。ちなみにシエスタさんが馬車を運転した。


「……お父様」

「パパ……」


 ケルツさんのものと思しき墓に花を手向けるアリスとカロル。二人の表情を見ると、ケルツさんが自分の娘たちをどれほど愛していたのかがよくわかる。涙こそ流してないが、在りし日に思いを馳せているアリスとカロルからは俺が踏み込めないオーラが漂っているように見える。


「きっと、夫が生きていたら、晴翔くんと仲良くなれたと思うわ……」


 アニエスさんが色っぽい声で俺の耳に囁く。


「きっとそうですわ。晴翔お兄様と一緒にいたら、私たちを愛してくれたパパと同じ匂いを感じますの」

「そうね。だから私たちが晴翔をもっと好きになったと思うわ。血が繋がってない異性をこんなに好きになったことは初めてだから……」

「みんな……」


 三人の美人母娘は俺が感じている壁を簡単に壊して手を差し伸べてくれる。


 生まれ育った環境も違って価値観も違う俺たち。だけど、俺の心は満たされている。だから、


 俺の気持ちをちゃんと三人に伝えよう。


「俺は両親を亡くしていら、ずっとドス黒い気持ちを抱えて生きていました」


 俺が話し始めると、3美女は俺に向き直って耳をそばだてる。


「この気持ちが一体なんなのか、俺は頭を必死に振り絞って探していました。けど、探せば探すほど俺の心が締め付けられるように苦しくなって」

「「……」」

「だけど、アニエス様とアリスとカロルに出会ってからは、全てが変わりました。俺を優しく包み込んでくれたアニエス様と妹みたいに甘える可愛いカロル、そして俺をいつも助けてくれるアリスまで……もうこのドス黒い感情を感じることはありません。今は全てが抉り取られたように心が空っぽで……だから俺は感謝の気持ちを伝えたいです。アニエス様に、アリスに、カロルに……そして三人に愛を注いでくれたケルツさんにも!」


 潤んだ目を誤魔化すように俺は笑顔を作る。


 すると、


「晴翔くんが抱えてきたドス黒い感情はおそらく『寂しさ』だと思うわ」

「寂しさ……」

「そうですわ!お兄様は私たちと同じく悲しい過去を背負っていますから、私、わかる気がしますの!」

「ええ、それはきっと寂しさよ」

「そうか……」


 俺は、日本にいる間、ずっと寂しさを感じていたというのか。それが寂しさとわからずに黙々と生きていたというのか。


 長年、俺を悩ませた謎の答えを教えてくれたアニエスさんたち。もう俺たちの間に壁など存在しない。


 そう安堵のため息をついて、俺とアニエスさんは花を手向けた。


 ケルツさん


 俺、この三人を守り抜いて見せます。


 そう心の中で誓うと、


 三人はまた俺にねちこい視線を送ってくる。


 アニエスさんが話し始めた。

 

「晴翔くん」

「は、はい」

「実は私たちもずっとドス黒い感情を抱えていたわ」

「そ、そうですか?」

「そう。でも、晴翔くんとは違って、だんだん大きくなっていくのよね」

「それは大変だ……」

「ううん。大変じゃないわ。だって、このドス黒い感情を、空っぽになった晴翔くんの心に注ぎこむから」

「っ!」


 色っぽく粘っこい声音でアニエスさんが言うと、カロルがバトンを継ぐ。


「晴翔お兄様は……私、もっと甘えたいんですの…………」

「か、カロル!?」


 ルビーのような瞳で俺を捉えるカロルは、目が死んでいる。


「晴翔……私たちはまだ婚約したばかりよ。だから、溺れるほどのを晴翔に向けるから……」

「アリスまで……」


 生気のないRGBの光は鎖につながった俺の心を徐々に手繰り寄せる気がする。

 

 おい……ここは墓地だぞ。


 微かに残る俺の理性は、ここから早く抜け出すようにと必死に訴えかけるが、





『晴翔くん、頑張れ!俺の妻と娘たちの愛はとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっても重いよ〜』






 と、誰かが俺に囁きかける気がした頃には、







 俺の目も死んでいた。


 




 まるで、狩人の毒牙にかかった獲物のように。







 

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