第17話 獲物は闇に飲み込まれる

 俺の鼻を喜ばせる花で覆い尽くされた花畑の上で横になっているような感覚。俺の全身は柔らかさに包まれ、安らぎを感じている。そして見えてくるのは、お母さんとお父さん。天国で幸せに暮らしているのだろうか。


 ふとそんなことを考えていると、目が覚めた。


「ん……」

「はら……晴翔様、目が覚めましたか?」

「ここは?」

「私の部屋です」


 俺の脳を舐め回すような声が耳の中に遠慮なく入った。なので、目を擦ってみる。 


 すると、


 目の前には巨大な二つの塊があった。それと同時に俺の頭と首の後ろから伝わる極上の心地よさ。


 窓から差し込んでくる陽を頼りに目を動かしてみる。すると、ベージュ色の柔らかい生地に身を包んだアニエスさんに俺が膝枕されていることに気がついた。そしてここは俺が以前3人を助けた部屋で、今俺はベッドで横になっている。


「す、すみません。すぐ起き……」

「晴翔様、

「っ!」

「私は晴翔様が心から安らぎとを味わうことを願っていますから」

 

 またアニエスさんの生々しい声が俺を刺激する。


「俺、ずっと寝ていたんですか?」

「はい。晴翔様は、でずっと眠っておりましたわよ」

「せっかくのパーティーが……」

「気にしなくてもいいんですよ。それより晴翔様」

「?」

「食事の際、私が話したこと、覚えておりますか?」

「権利……」

「はい。権利の話をしました。そして恩返しの件も……」

「そ、そうでしたね」


 恩返し。この3人に悪意はない。ただ単に純粋な意味を孕んでいる言葉だ。なのに、俺は……


 頭を悩ませていると、アニエスさんが座ったまま腰をかがめて顔を見せた。エメラルド色の瞳は優しく俺を捉えており、切ない表情。そして糸を引いている唇。


 まるで宙に浮いているような心地よさを感じている俺にアニエスさんは話し始める。


「私の夫はとても優しくて、私とアリスとカロルのために尽くしてくれました。仕事にも熱心でしたが、私たちに何かあればすぐに駆けつけてくれて……」


 夫の話か。確かにアニエスさんの夫は屋敷に侵入してきた謎の集団からこの美人母娘を守るために尊い命を……


「息子を産まない私を責めることもなく、ありのままの私を受け入れてくれました……」

「とてもいい旦那さんですね」

「はい……でも……私の愛する彼は……私たちを守るために……私たちを……守る……っ」

「……カロルから聞いております。あの話を聞いた時は、俺の胸も痛くなりました……」

 

 アニエスさんは辛い過去のことを思い出したらしく、唇を噛み締めて、体をブルブルと振るわせる。


「とても悲しかったです。心の穴がぽっかり空いたような……けれど、夫の血をついでいる目に入れても痛くない私の娘たちは、私にとって希望でした。だから私は、女としての喜びを忘れ、娘たちだけを見て歩んできました。いつか、幸せな日がやってくると信じて……夫を失った悲しみに耐えながら……」


 おそらく俺のお母さんも似たようなことを思ったのではないだろうか。


「アニエスさんは、とても辛い人生を送りましたね……」

「はい……でも、それはおそらく、晴翔様も一緒ですよね」

「っ!!!!」


 体が跳ね上がった。だけど、全ての衝撃をアニエスさんの太ももが吸収してくれる。


「あなたの素顔を初めて見た瞬間から薄々気づいていました。私と同じく、心の闇を抱えている人だと……そしてあなたを抱きしめたとき確信しました。この人は、私と……と同じ悲しみを抱えている人だと」

「……」

「だから、言ってほしいです。晴翔様の心の闇を……あなたの、歴史を」


 そう言ってアニエスさんは俺の頭を優しくなでなでした。細い指からは気持ちを和らげる香りが漂っている気がする。


 そして、俺の心の中にあるドス黒い何かがうごめいた。


 だが、アニエスさんは女神のような慈愛深い表情で俺に微笑みをかける。不思議だ。どうして心がこんなにも落ち着くんだろう……この人の持つ全てが俺を癒そうとしているみたいた。

 

 だとしたら、俺は……


「俺の父も軍人でした。とても優秀な人で、部下の方々はみんな父を尊敬して、上官の方々は勇気ある父の姿を褒め称えました」

「晴翔様を見ていると、なんだかその光景が目に浮かびますわね……」

「だけど、父は訓練中に、死んだ……」

「……」

「父の死をとても悲しむ母を守るために俺も軍人になりました。母に寂しい思いをさせたくなかったから……母を守りたかったから……だけど、結局、母もあの世に……」

「そんな……」

「それから色々あって、この国にやってきたわけです」


 と言って俺は目を逸らした。


 こんなこと、友達にも、親戚の人たちにも言ったことないのに、どうして……アニエスさんは異世界の人なのに……


 唇を噛み締めて悔しがる俺。


 だが、俺を見たアニエスさんは……



「今は、晴翔様を抱きしめてあげたい……私の温もりを分けてあげたい」


 そう言って、俺の上半身を少し起こして、その巨大なマシュマロで俺を優しく包み込んでくれた。


 ただでさえ宙に浮いているような気持ちよさを感じているのに、そこへ極上のマシュマロまで加わる……


 こんな贅沢……俺に許されていいのだろうか。


「いいですよ。晴翔様はを享受する権利がありますから」

「っ!」


 俺の心、見透かされている?


「晴翔様」

「はい……」

「体、気持ちいいですよね?」

「そ、そうですね……さっきからずっと宙に浮いているような……」

「私は治癒魔法を使えるクラス5の魔法使いです。眠っているあなたをこの部屋に連れてきて、心を落ち着かせる治癒魔法をかけ続けましたわ」

「なるほど……どうりで……」

「晴翔様、喜びは分かち合うことによって倍になって、悲しみは分かち合うことによって半分になりますよ。だから……」

「……」






「これからずっとと共に歩みませんか?」

「俺は……」

「もっと晴翔様のことが知りたいです……」

「俺のこと……」

「あなたはこの国で何がしたいですか?」

「……モンスターを狩ってこの国を守りたいです……」

「素敵……アリスもカロルもきっと喜んで晴翔様についていきますわよ……あとは?」

「あとは……俺の国の料理をここラオデキヤ王国の人たちに食べてもらいたい」

「カロルとリンゼとエリゼから聞きました。タコあきというものがとても美味しいって」

「タコ焼きですけど」

「あら、そうかしら」

「はい。あと、タコ焼き以外にもいっぱいあります。焼きそばとか、お好み焼きとか……店を構えて売ればもっと多くの人たちの食べてもらえます」

「ふふ」


 アニエスさんは色っぽく笑ってから、俺を自分の爆のつく胸から優しく離して再び太ももに戻す。


 そして、また、あの吸い込むような視線を送って、







「私も、……とおおおおおっても食べてみたいわ」

「っ!」


 俺は条件反射的にアニエスさんから離れた。理由は……言わなくてもわかるだろう。


「あら、なんで逃げるのかしら?逃げる理由は

「それは、そうですが……」


 だが、アニエスさんは後ずさる俺の状況を的確に把握しているらしく、ベッドから降り、俺に憐れみの視線を送る。だが、エメラルド色の瞳で俺をちゃんと捕縛していた


「きっと晴翔様のお父様とお母様は満足されていると思います。天国で自分の息子を誇りに思っているはずです。もちろん、私は晴翔様のご両親ではありませんから、論理的な根拠があるわけではありません」

「……」


 お、お母さんとお父さんが俺を……俺を……


「だけど、大事な人を亡くした私たちからしてみれば、晴翔様は私たちを救って下さった立派な男です。この心に嘘や偽りなどありません」

「……」

 

 アニエスさんはそう言って、俺の目を捉えたまま俺に近づいてきた。別に魔法にかかったわけではないが、俺は身動きが取れない。やがて、至近距離にまでやってきたアニエスさんは、俺の手を取り、自分の爆のつく胸に持っていった。


 すると、俺の手が極上の心地よさと共に飲み込まれる。微かに震える俺の手の振動を残すことなく吸収してくれるこの柔肉とアニエスさんの香水の香りと謎の甘酸っぱい匂い。


 そして


「これが私の気持ちです。どうですか?」


 脳みそが溶けてしまうほどの艶やかな声音。


「ど、どうって言われましても、俺は……」


 俺が言葉をはぐらかそうとしていても、この人は全部知り尽くしている。


 完全に


 囚われた。





「晴翔様は晴翔様です。私に……私たちにをしても晴翔様という存在が変わることはありませんわ。悲しい過去を持っていて、私たちを守ってくれた晴翔様は晴翔様です」




「ああ……」




 あ……



 あああ……


 落ちていく。


 ドス黒い何かが根ごと抜き取られる……


 全身をしゃぶりつくされるような言葉に、俺が今まで守ってきた何かが崩壊するような気がした。


 それが一体なんなのか、必死に頭を振り絞って答えを探そうとしたのだが、結局失敗した。


 なぜなら、


 

 闇に飲み込まれたから。






追記


 安心してください。次回にちゃんと姉妹も登場しますので……


 

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