第5話 ヒーロー

時刻午後7時。いざ一人で真っ暗な廊下を散策するのは勇気がいる。

「しくじんなよ、俺」

脚が震えて動けなかったら一貫の終わりだ。

軽く脚を伸ばしておく。

なぜまひなと別れてたった一人でほっつき歩いてるか。

それはグゼンを誘き寄せるためだ。

まひなに後から補足説明を受けたが、どうやら怪域には一人の時にしか入り込めないらしい。

なので、俺たちは別々に怪域に踏み入って、別行動というわけだ。

まひなはおそらくグゼンは執着ゆえ、こちらに現れると言った。

周囲を警戒しながら歩く。

あの時は一瞬視界が真っ暗になった。おそらくあれが怪域に入った合図だ。

怪域に入った途端、グゼンに出くわすかもしれない。

不意打ちを避けるため、出来るだけ警戒心を高めておく。

「………」

一人になると、自然と頭がスッキリする。

それに、9月になったせいか、夜の風が少し冷たく心地よい。

情報過多で熱された頭を冷やすには、もってこいの冷え具合だ。

「結果論頼みを断るより、こうして囮役をやった方が結果的に安全なのかもしれないな」

あの化け物に狙われているなら、目先のことを考えて逃げるより、強い人に従った方がまだ生存率が高いかもしれない。

「もしかして、あいつが俺に手伝えって言ったのってもしかして──────」

俺の身を案じてくれたから、と言おうとした瞬間、視界が暗転する。

「!!」

開けてきた視界全体に注意を向ける。

どこだ?どこにいやがる?

しかし、周りを見回してもグゼンはどこにもいなかった。

「いない」

五感を研ぎ澄ます。

いや、違う。

───ふと、音が聞こえた気がした。

金属を引き摺るような重たい音。

発生源を探す。

発生源は─────真上だ。

嫌な予感を感じてその場から走り離れる。

と、同時にさっきまでいた場所に、異形が落ちてきた。上の階の床を突き破って落ちてきたのか。

昨日不遇にも遭遇したトラウマ。ソイツは昨日と何一つ変わらない。

ただ、手に握られているおぞましい一点を除いて。

「は、今回は本気ってわけか」

無意識に爪が手に食い込むほど握り締める。

聳え立つ恐怖の化身が手に持つは黒い金棒。

いや、この際柱を持ってると言い換えても可笑しくないかもしれない。

「動け、この!」

今だに震える脚を、力を込めて思いっきり──勿論動きに支障が出ない程度だが──殴る。

痛みを感じて現実に引き戻された脚を使い、相棒のいる教室を目指した。

不幸中の幸い金棒を持っているためか、昨日ほどのスピードは出ないようだ。

俺は必死に目的地まで走った。



追いかけっこは俺が逃げ勝った。

教室のドアの前で不安気にキョロキョロと辺りを見まわす少女、まひなと目があった。

「やりきったぞ!バトンパスだ!」

達成感のあまり、大声を上げる。

それと同時に、まひなは顔を明るくて、

「無事だったのね!後は任せて!」

心強い言葉を放ってくれた。

「ああ。でも注意してくれ。ヤツは昨日と違って金棒を持ってたぞ。あんなの喰らったらひとたまりもないからな」

「ん、了解。あなたは早く逆の階段から外に避難して」

足音と引き摺る音が段々と大きくなる。近づいてきている証拠だ。

「さぁ、急いで!」

覚悟を決めた声で避難を促す。

これ以上俺に出来ることはない。

俺は言われた通り、まひなに背を向けて怪域の外を目指して走った──────。



勿論、フリだ。

階段まで辿り着くとそこからはそこで待機した。

さっきから教室の方から激しい衝撃音が鳴り響いている。

俺に出来ることはもうない。

正直今にでも逃げ出したい気分だ。

しかし、命の恩人を捨てて逃げるわけにはいかない、と俺の良心が叫んでいる。

それに、予知夢のことだってある。

そんなわけで、仕方なくこんなところに突っ立っていた。

まぁそうは言っても、俺のいるかいないかに関わらずもうすぐ決着は着くだろう。

なんたって昨日見た限り、まひなの優勢だったのだ。

どうにかなるに違いない。

ちらりと階段から廊下を覗く。

教室の一つの扉が無惨にひしゃげて転がっているのが見える。

─────突然、不意に轟音と共に中から声高い悲鳴が聞こえた。

まず間違いなくまひなのものだった。

最悪の事態が起きたかもしれない。

立ちすくんだ脚は動かせない。しかし、嫌でも悪い妄想が頭に浮かぶ。

もしかしたら、かなり不味い状況なのではないか。

今の悲鳴から察するに、致命傷なのではないか。

あり得ない話だろうが、今まさに喰われる寸前なのではないだろうか。

ふと、夕暮れの教室で、まひなが腕をおさえていたことを思い出す。

あれはきっと────────。

「あぁ…………クソっ!」

考え始めたら色々止まらなくなった。

それこそ考えることも、そして─────────脚を動かすことも。



「ガッ………、……は!!」

青鬼はその巨体通り、硬くて刃が通りにくい。

かと言って、妖精の祝福によるダメージも高い期待は出来ない。

しかしその軀の動かし方はまるで下手だ。

一撃に重心や後先を全く考えず全力を出している。だからこそ隙だらけだが、その分一撃があまりに重い。

万が一だが、当たってしまったら死すら有り得る。

なぜ、今悲鳴を上げたのか。

答えは単純明快だ。


愚かしくもその万が一を、私が引いてしまったのだ。


精霊の力を借りてエンチャントした刺突剣が床に転がり落ちる。右腕から血がタラタラと流れている。

直撃を回避し、勢いも殺したが、この右腕はもう使えないだろう。

かと言って、左腕はそもそも使えない。 

それこそ、一撃を受けてしまった原因なのだから。

「………つッ……」

ダメ元で左手で剣を握ってみたが、案の定激痛が走る。

連日無理をしたきたツケが回ってきてしまった。

さっきの回避にしてもそうだ。

無意識に怪我をしていた左腕に負荷を掛けてしまい、大きく体勢を崩してしまった。

そんな状態でまともに動けるはずもなく、右腕が犠牲になった。

これでは、もう剣が握れない。剣が使えない剣士など、ただの道化師だ。

まだ救いがあるとしたら、他にもう一つ才能があるくらいだろう。

青い鬼の追撃は止まない。ここぞとばかりに振り回してくる。

それを身体をのけぞらせて全てギリギリで回避する。刺突剣を使った受け流しはもう出来ない。

私はこの時点でほとんど敗北が確定した。

剣は言わずもがな、腕を満足に振るえるのが前提の武器だ。これはもう使えない。

となると、もう一つの才能────妖精の祝福を頼る他ない。

魔力はまだのこっている。

しかし、このグゼンを倒し切れる分があるかどうか、かなり怪しい。

しかも、剣が使えないため、防御にも回さねばならない。

このままではジリ貧だ。ミンチが先か、腹の中に収まるのが先か。

グゼンが金棒を高々と振り上げる。予備動作が長い。

判断は一瞬。迷いなどなかった。

青い巨体の懐にするりと入り込む。こうなったら一か八かだ。持久戦は論外。

となると、ゼロ距離で最大火力を叩き込むしかない──────!

常時腰に携帯している魔導書を構える。

これは、ざっくり言えば接続機だ。

私と精霊を繋ぐ架け橋。

これを経由することによって精霊の祝福を受け賜れる。

「火の精霊よ。我が名をもって命ずる。遠き日々を埋葬しせし紅蓮の烈火、今ひとたび聖火となりて顕現せよ!」

長い演唱を一切の澱みなく唱える。すると突如、目の前に赤い光が現れる。

光は赤、橙、黄と鮮やかにイルミネーションして─────激しい爆発を引き起こした。

青鬼はモロに爆撃を喰らい、最果てまで弾け飛ぶ。

勿論、自分もただで済むはずがない。

残った魔力を無演唱で防御に回したが、爆風の衝撃はそんな甘いものでは防げなかった。

服はいくらかはだけ、身体中は衝撃のせいでマヒしている。

だが、これであのグゼンは────────、

「うそ………!」

まだ、動けている。

さっきの爆撃は確かに致命傷を与えていた。

その証拠に腹には風穴が空き、中から黒い煙が蠢いている。

その脚は覚束なく、眼孔の光も動きも鈍く、金棒も手放していた。

だが、動けなくなった小娘一人痛ぶるには十分すぎる残力だった。

グゼンはのっそりと低い姿勢をとる。昨日見たあの突進。私の全魔力を防御に回しても、腕一つを持っていくぐらいの破壊力だ。

標的は私。

まるでゴールキーパーのいないPKだ。ここで外してくれる阿呆は何処にもいないだろう。

……………自分という人生の終わり。

長いようで短い旅路の結末。

死ぬ寸前の人間は、一体どんなことを考えるのか。グゼンに襲われた人間は何を思うのか。

彼──清峰くんはどんなことを思考したのか。

「────いや、考えることはみんな同じ、かな」

そりゃ、"まだ生きたい"に決まってるはずだ。

くだらないことを考えてしまい、失笑する。

それは、こんな時にも走馬灯すら流れない自分の人生に向けてでもあったのかもしれない。


『ヒーローは遅れてやってくる』


希望も何もかも忘れかけた頃に、ヒーローはやってくる。

そんな名言がこの世に存在する。

正直クソくらえだと思っていた。

演出のためだけに遅れてやってくるヒーロー。

早くやってきたら救えたはずのものを蔑ろにする名言。

いや、それを語る権利は私にはない。

遅れるどころか、間に合いすらしない。

その希望を叶えられすらしない、ヒーローを名乗ることすらおこがましい三流の半端者。

そんな名言より、私の方がよっぽど空虚だ。

あの時彼に私は正義の味方であると口にした。

それは半分嘘だ。私はまだ憧れているに過ぎない。

早く辿り着ければ、この手で救えた命は幾つもあった筈だ。

もう少し早ければ、この手から零れ落ちるものを幾つも掬うことが出来た筈だ。

だが、辿り着いたら全てが終わっていて、残ったのは仇しかいなかった。

平和を守って、その陰に幾人も犠牲にした。

それはあの物語でもこの世界でも変わりはない。

だからこそ、零れ落ちる雫を、救えない筈の命を、初めて救えた時は心底嬉しかった。

嫌いな名言通り遅れたが、あの瞬間は憧れたヒーローになれた気がした。

それがどれだけ嬉しかったか。

間に合ってくれてありがとうと聞いて、どれほど報われたか。心の芯から熱い何かが湧き上がって、思わず似合わないことをしてしまいそうな心地だった。

彼はグゼンに襲われながらも生きることを諦めなかった。

死ぬことに抗った。絶望に屈しなかった。

そのおかげで私が唯一グゼンから救えた人だった。

ならばこそ、彼のためにも、命に換えてでも戦い続ければならない。

彼が憧れてくれた、そんなヒーローであるためにも───────!!



しかし、現実は非情だ。

目から脳にかけて、間もなく死ぬと人情もへったくれもない信号が送られる。

私が帰らなければ、宗太郎はこの学校が未だに危機的状態だと察する筈だ。

宗太郎は生徒会の一員だ。

難しいとは思うが、上手く避難させてくれたならば嬉しい。それが出来なくとも、彼自身は離れれば危機は回避できる筈だ。

「…………」

クラスでは、わたしのことが嫌いなのか彼はなかなか話をしてくれなかった。

だから、逆になんとしても話してやろうと躍起になったっけ。

仕事内容であっても、宗太郎と話せたことは、とっても嬉しいことだった。

果たせてない未練はある。

だが学校での目標は達成出来た。

なら、自分はそれで充分満足した筈だ。

「………よし、それならやれる」

妖精に渡せる代価の魔力はもうない。だが、何も焚べれるものは魔力だけではない。

この命を使い切れば──────────、

「昨日と立場が大逆転だな、救世主さま」

「え?」

突然隣から突如、人影が迫り込んだ──────。



「うおぉぉぉ!」

悲鳴の直後、爆発音が聞こえたと思ったら、まひなが倒れているのが見えた。

かと思ったらその対面で、グゼンが今にも潰しかかろうとしていた。

迷う暇はなかった。

まひなに走り込んで、床を一緒に転がりあった。

その直後、隣に風が通り過ぎた。

見ればさっきまでいた場所は隣の教室に繋がる大穴が穿たれていた。

「相変わらずえげつねぇな……」

言いながらまひなをお姫様抱っこする。

肌が触れ合って、温もりを感じる。

「えっ、あ、ちょっ……!?」

まひなが狼狽えているが、気にしてる暇はない。

「一旦トンズラするぞ!」

「ダメよ!このまま野放しにしたら────」

「このまま戦っても、お前はもう無理だろ。大人しく抱かれてろ!!」

穴から抜けたグゼンがこちらに気づく。

しかし、今のでほとんどの力を使い切ったのか、のそのそとこちらに向かってくる。

これならかなり距離が取れそうだ。









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