第6話 その夢は徒に

離れた教室に撤退して、一息ついた。

まひなは足をやったのか、床に横たわった。

あの速度なら暫くかかるし、運が良かったら巻けるだろう。

だから少し時間ができた。

「このっ……馬鹿!頼れって言ったろ。なんで肝心なところで頑固なんだよ!」

まずは叱咤した。話はそこからだ。

「…………別に、そんなんじゃないわ。それより、清峰くんこそなんでこんなとこにいるの?」

拗ねたのかムスッとした顔をしている。可愛いが今は気にしている暇はない。

「心配だったんだよ。まったく。カッコつけたって、死んだら元も子もないだろ」

まひなは口をつぐんだ。

実際まひながどんな信念があってグゼンと戦っているかはわからない。

だが、無茶をして死なれるのは違うと思った。

それに、俺たちの為の犠牲だったらよっぽど後味が悪いのだ。

「私が助けなきゃなのに…………。本当にごめんなさい」

「うるさい何が助けなきゃ、だ。もっと他を頼れ。俺はお前に、あの時なんて言った?相棒だろ?」

忘れられない光景。忘れられるはずもない言葉。あの時あいつはよろしくと言った。

ならば、お互いに協力関係のはずだ。

決して一方的に守ってもらう関係になった覚えはない。

「………うん、そうね。相棒、そうだったわね」

何か勘違いしてたとばかりにひどく驚いてから、優しく目を細めた。

とりあえずはお互いに納得のいく和解をした。

やはりこいつとはこうでなければならない。

……………こうでなければならない?

ふと、まるで長い間一緒に相棒として過ごしたような言い回しが頭に浮かんだ。

まひなとは昨日の昼まではただのクラスメイトという関係だった。普通この感覚は何かおかしい。

濃密な数日を共に過ごしたら、まるで長い間一緒だったような錯覚に捕らわれるとは聞いたことがあるが、それにしても、異常なほどに懐かしい感覚なのは一体なぜだろうか。

いや、気にはなるが、今は一旦置いておくべきだ。

「時間は有限だからな。今はどうするか考えよう」

「私としては、今すぐにでも倒すべきだと思っているわ。それこそ命を懸けてでも─────」

「それはなしだ。さっき言ったろ」

「………ごめんなさい」

まひながシュンとなる。

「それで、今すぐにでも倒すべきなのは何か理由

はあるのか?」

「おそらくあのグゼン、玉手箱の場所を掴んだわ」

「なんだと!?」

それはまずい。そのままあのグゼンに玉手箱を取られてしまったらお終いだ。

「大問題じゃないか!でも、なんでバレたんだ?」

「グゼンは怪域以外───つまり現実世界では、使い魔を使って監視と捜索をしているのよ。おそらくあのグゼンは隈なくこの街中を探したんでしょうね。それでもないとなると、誰かが持ち歩いている、と行き着いたのよ」

「持ち歩いてるって………もしかして玉手箱って」

「そうよ。私が所有しているわ」

なるほど。最も強い人物の手元こそ、最も安全な場所ということか。

しかし、それはそれでまひなの身が危険だ。

いや、今は置いておく。無茶していたのは事が済んでから問い詰めよう。

「グゼンはああ見えて根が賢いのよ。正確には賢いものに狂化が入った、と言うのが正しいわ」

喰われかけた時のことを思い出す。

一瞬その目には確かに理性があったような気がした。

「なら、それこそ逃げた方が………」

「………力を失ったグゼンはどうすると思う」

それは────────、

「────まさか!」

「そのまさかよ。明日は分け隔てなく、この学校にいる人間が不特定多数行方不明になるでしょうね」

俺たちの目的は二つ。

玉手箱を守り抜くこと。

そして、街の平和を守ることだ。

まひなにとっては、どちらにも優劣つけ難い目的なのだろう。

逃げる。そうすれば片方を失う。

立ち向かう。そうすれば二つとも守れる可能性がある。しかし、最悪全てを失う。

まひなは立ち向かうつもりらしい。リスキーだが、なにも失いたくないなら、それが最善だ。

しかし多大なリスクを孕む。

「立ち向かうとして、大城にまだ力は残っているのか?」

「それは………あるにはあるわ。でも、それは命がけよ」

まひなが悔しげに俯く。

命を懸けるのは論外だ。ならば方法はもうない。

………なんで俺はこうも落ち着いていられる。

崖っぷちの状況だというのに、俺の心は平静を通り越して楽観のような気持ちだ。

まるで、デジャブのようだ。

今まではちょっとした気持ち悪さを感じたが、今は心底怖くて仕方ない。

まるで自分が自分ではないように、自分という記憶が植え付けられたロボットのようで、心がなくなった絡繰のようで─────────、

「────くん。清峰くん!」

「!」

まひなの心配したような声が俺を現実に引き戻す。

「……すまん。考え込んでた」

「まったく。私のことなんてとても言えたもんじゃないじゃない」

何?それは心外だ。

「む、どの辺がだ?」

「一人で抱え込む所よ」

───言われてみれば、そうかもしれない。

予知夢のことも、襲われたことも、ほとんど誰にも告げず、一人悩んでいた。

きっと無意識に、親しい人を非日常に巻き込むのを避けていたんだろう。

これでは、まひなのことを頑固など口に出来ない。

「もう一人で考え込まないで。これからは、私がいる。頼りになるかはわからないけど、心はずっと楽になるはずよ」

「なんだ、それ。まるでプロポーズみたいだな」

「貰い手がいなかったら、貰ってくれるんでしょ。責任、取ってよねマイパートナー」

まひながふふ、としたり顔で見上げてくる。愛らしい光景に一瞬ドキッとした。

「どうかしたの?」

くすくす、とまひなが笑う。わかってるくせに。

「そんなハレンチな格好してることをわかって言ってるのなら、相当な痴女だぞ」

「え………あっ!きゃっ、見ないで!変態!」

意趣返しだ。まひなが少し服が破けた胸元を手で覆い被せる。こっちとしては、その方が逆にポイントが高い。

俺の方が一枚上手だが、不意に可愛いことをするのはやめて欲しい。本当に寿命が縮まりそうだ。

「そんなことより、時間もないし、グゼンの話をするぞ」

ぷるぷると目に涙を溜めているのが流石に可哀想になったので、話題を逸らしてやる────というか本筋に戻す。

「何か妙案でも思いついた?」

まひなが切り替わって顔を引き締めた。

……その期待するような瞳は、今は辛い。

予知夢というヒントで閃きはした。

だが、正直こんな策とも呼べない運試し、したくもないし、道連れにもしたくはない。

しかし、これ以外にすべがないのも事実だ。

「俺すらも馬鹿らしいと思ってる可能性、信じてくれるか?」

「…………聞かせてくれる?」

「予知夢の話、覚えてるか。あのシーンが大体わかった」

「確か、光に向かって走った、だったかしら」

「あぁ、暗くて、やや広く、光が一条走っている。

それは─────おそらく武道場だ」

「なるほど。けど、体育館も考えられない?」

「体育館は校舎とは繋がっていない。つまり怪域範囲外だ。その点、武道場は渡り廊下があるだろ。おそらくあれで校内判定になっていると思う」

「じゃあ、一番の問題。どうやって仕留めるの?」

「大丈夫、それは考えがある」

まひなはキョトンとした顔をしている。

「俺は生徒会役員だからな。学校の備品や設備には詳しいんだ」


そこから、作戦の概ねの内容を話した。

「そうね。それならいけるかもしれないわ」

まひなもこの作戦を気に入ってくれたらしい。

ならば今すぐ決行だ。

「歩けるか?」

「ん、……よいしょ。もう大丈夫よ」

まひながのっそりと立ち上がり、体についた埃を落とす。

「ねぇ清峰くん」

背後から声をかけられて振り返る。

雲一つない、神秘的な月明かりの元、照らされた金髪が静かに、煌びやかに光る。

「ありがとね」

「─────」

その言葉は何に対してなのか、どんな意味なのかはわからない。

けど、その声は向日葵のように温かく、明るい声だった。

不意に感謝されると照れくさくなる。

まひなも照れくさそうな顔をしていた。

「どういたしまて、相棒」


「どうしたの?」

まひながキョトンと聞いてくる。

………?

あれ、今のは気のせいだったか?

どうやら錯覚だったらしい。

月を見るが、雲に覆われていて、今は見えない。

目を擦る。

やばいな。連日化け物に襲われて疲れてるとは言え、うたた寝してしまっては、この先危うい。

「あぁ、大丈夫なんともない。行くぞ」

「ええ」

まひなの顔は暗くてよく見えないが、覇気のある返事だった─────────。



──────────。

昏い昏い闇のなか、ただひたすら歩いた。 

何処に行く宛もなく、居場所を探して歩いた。

赤い親友には新たな友達がたくさんできた。

自分より一回りも二回りも背丈が小さな友達だ。

間違っても新たな友達を怖がらせないように、ずっとずっと守ってやってほしい。


────なんたって、ボクは悪役で、君はスポットライトの下で輝くヒーローなんだから。


別に妬みや僻みがある訳ではない。

むしろ親友はボクの、いや我々の誉だ。

先祖代々悪役という烙印を押され続けた種族の中、ついにヒーローとして輩出されたのだ。

これを誉と以外、なんと呼べよう。

ただ一つ。一つだけ心残りがあるとしたら。

それは─────────────、

ヒーローと悪役は決して会い入れてはいけない存在だということだろう。

それが例え、元は唯一無二の親友であったとしても。



歩いて、歩いて、歩き続けて、暗闇の中を彷徨った。

そのせいか、少し眠いのかもしれない。

自分という存在が深層へと落ちてゆくのを薄々感じる。

種族的には血気盛んなものと語られているが、個体的には、血の気はそれほど多い方ではない。

しかし、今や人を誘い、殺し、喰らう存在になった。

何かに洗脳されているような感覚だ。

────いや、少し違う。

正確には、潜在的にあった願望を曝け出ささせられた気分だ。

それ故それを拒むことは難しい。

やりたくもないことをやらされているのではなく、心の奥底の欲望を煽られるのだから。

血ガ欲シイ。

まだ食したことはない。

怪域が作られて、現界してから一週間。まだ一食も口にしていない。

全てはあの子のせいだ。裁定者のクセに出過ぎたマネをしてくれる。

少しでも行動を起こすと居場所がバレてこっちも危ない。実際痺れを切らして同族が何体もあの子に殺されている。

まったく、どっちが化け物かわからない。

一度チャンスが訪れたが、あの時は感謝するべきか、それとも文句を言うべきか赤い笑顔がフラッシュバックしたせいで、食欲が失せてしまった。

一体どんな味がするのだろう。

菓子のように甘いのだろうか。

酒のように心地よいのだろうか。

他の動物と同じように、温かいのだろうか。

喉が鳴る。

今なら親友が止めてきても、気にも留めないだろう。

ボクはこのまま人を─────────。

いや、今はそれどころではない。

腹に穴がポッカリと空いている。

このままじゃ、食べても入る胃がない。

空けたのは、誰だったか。

あぁ、あの子。まだ純粋できれいなままの、美しい子。

そうだ、忘れていた。

あの子だ。あの子が玉手箱を持っているんだ。

一時の欲求に流されて、本当の欲望を忘れてしまうところだった。

しかし、本当にボクは運がいい。

あんなに弱っているなんて。これには今まで犠牲になった同族に感謝する他ない。

玉手箱を手に入れるには、可哀想だけどあの子を殺すしかない。

必要な犠牲だ。

なんたって、ボクの方が何倍も不幸だ。きみがいずれ歩む道より何倍も。

だから、それの所有権はボクにあるべきだ。

────そんな出来すぎたモノ、先輩のボクに譲るべきじゃないか?



体力が落ちている。

いくら生命力には自信があるとはいえ、一週間断食した後の大火力の一撃だ。

玉手箱を見つけたのなら、他に横取りされる前にそれをいち早く手に入れなければならない。

しかし、今の身体には栄養と休息が必要だ。

人を4、5人掻っ攫い、1日も休めば万全をきせる。

相手も慢心創痍なのはまたとない機会だが、あの子には命を引き換えに自爆するという切り札がある。

そんなことをされたらたまったものではない。

現にさっきのは危うかった。

しかし、それは同時にボクの敗北でもあり、あの子の完全敗北にもなる。

玉手箱は決してボクの手には入らないが、他の誰かしらが必ず手に入れ、願い成就される。

それでは本末転倒だろう。

だからこそ、あの子も不本意だろうが、多少の犠牲に目を瞑れるのなら逃げる選択をする筈だ。

だから、お互いに休息を取り、またの機会に────────────。

あの子が怪域を出る気配はない。

それどころか、あろうことか武道場に向かっている。

……………愚かだね。

そうだ。あの子はまだ幼かったんだ。

何かを諦められるほどの絶望を、まだ味わっていなかった。

仕方ない。引く気がないなら、ここで決着だ。

追い詰められているのはあちらだが、ドローにする諸刃の剣を持っているのも向こうだ。

窮鼠に噛まれるほどくだらないことはない。

慎重にのぞばねば。

開け放たれた扉を潜り抜ける。高さは屈めば通れる程度だ。

武道場は閑散としている。

妙に油臭いのは古臭いからだろうか。

……………ミツケタ。

距離は20メートルほど。

彼女の他にもう一人いる。さっき彼女を抱いて逃げた男か。

2秒、いや1秒もあれば肉薄できる。

自爆の予兆を感じたら即刻詰め寄って、頭蓋を砕こう。

この時、まんまと誘き寄せられているとはまだ気づいていない。

……………!!

突如彼女の周りに紋様のような光が立ちこめる。

判断は一瞬だった。

条件反射のように光を見た瞬間体が動いた。

この勝負は先手必勝ならず。

先に仕掛ければ、距離的に対応されやすい。

それに、手順が必要な切り札を先手で使うには時間がかかりすぎる。

焦りで見誤ったか?

ならばこそ青い豪鬼がとるべき行動は速攻の一撃だ。

切り札を使われる前にその首を断ち切る。

彼女は不意打ちをすべきだった。全ては彼女の見誤りとばかりに接近する。

─────取った。

距離はあと10メートル。僅か先の未来のビジョン、正確にはその先の過去を見据えて薄ら笑いがこぼれる。

あぁ、やっとだ。やっとあいつと、仲良くやっていた頃に──────────、

上から軋みのような音が上がる。

不可解に思い、目線を彼女から外さず傍目で天井を見る。

──────────────!

驚きのあまり目を見張る。


突如、空が堕ちてきた──────────。



遡ることほんの数分前。

荘厳とした重いドアを開け放つ。

中からの冷たい空気が肌に直撃する。

「……っ」

教室内は完全防寒だが、武道館はところどころ隙間があり、外の冷たい空気が張り詰めている。

「寒いけど、大丈夫か?」

「ええ、平気」

近くの錆びれた梯子を使い、2階へと登る。2階は物置として使われている。

登り終わると、さらにその先へと歩みを進める。

体育館と違ってシャッターがない窓から光が入り込んでいる。

おかげで多少目的の物が見つけやすい。

「なぁ、そういえば確認なんだがここの物いくら壊しても現実じゃ影響されないんだよな」

「大丈夫よ。好きなだけかまして」

よかった。ここでこれから壊す物の弁償は流石に厳しい。

天井にあるモノを見上げる。ボロいとはいえ、まずそう簡単には落とせるはずがない。

それこそ、アレをしない限りは。

「本当に可能なの?」

まひなが心配そうに尋ねる。

「………わからない。でも、不可能ではないと思う」

不安で仕方ない。

もし、失敗してしまったら。

予知夢通りが間違ったシナリオだとしたら。

俺は─────────、

「清峰くん。いや、マイパートナー。ここまで来たんだもの。私はあなたを信じる」

真っ直ぐとした眼差しを向けられる。

「────ああ、任しとけ相棒」

そうだ。不安になってはいけない。

それに、これはここから始まる二人の物語の序章に過ぎないのだ。

こんなところで力尽きる訳にはいかない。

気合いを入れるため頬を叩く。

痛みで眠気が多少マシになったはずだ。

奥にある、探していたモノを見つける。

冬場のために、早めに配置しておいたヒーターに注ぐ液体。

灯油だ。

これを使い、あの木製の天井を着火する。

火はまひなのなけなしの魔力を借りる。

油はたらふくある。

後は天井に火をつけるタイミングにかかっている。

つまり、まひな次第となる。

「任せて。なんとかしてみせるから」

自信満々に胸を叩くまひな。

精神面は大丈夫そうだ。後は実現できるかどうかだ。

「よし、行くぞ。ラストセットだ、化け物」


    ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


結果から言えば大成功だ。

まひなが放った炎は無事天井に着火し、炎上した天井の破片がグゼンに直撃した。

かなりの大きさだった。あれでトドメだろう。

グゼンの生死を確認してる暇はなかった。

まだ業火が降り注いでくる。

このままでは俺たちもぺしゃんこか火の中だ。

俺はまひなの手を引いて、急いで段々と燃焼が始まってゆく武道場から避難した。



10分ぐらい経っただろうか。

再び武道場に戻る。万が一のため、生死を確認するのだ。

焦げ臭い匂いが充満している。

壁は偶然なのか、壊れない性質でもあるのかそこまで燃えていなかった。

そこには大量の炭になった木片が散らばっていた。

「……………」

空を見上げる。ポカンと空いた天井。

まだ真夜中。

月明かり以外、俺たちを照らすものは何一つない。

「ふぅ、なんとかなったわね」

緊張から解けたのか、まひなが破顔する。

さっきまでずっと集中していたのだ。無理もない。

「あぁ、おかげさまでな」

「何言ってるの。二人の功績でしょ」

まひなが可笑しそうに笑う。

「はははは」

俺も緊張から解放されたせいか、つい可笑しくて笑ってしまった。

「ねぇ清峰くん」

散々笑って疲れたところ、背後から声をかけられて振り返る。

雲一つない、神秘的な月明かりの元、照らされた金髪が静かに、煌びやかに光る。

「ありがとね」

「─────」

その言葉は何に対してなのか、どんな意味なのかはわからない。

けど、その声は向日葵のように温かく、明るい声だった。

不意に感謝されると照れくさくなる。

まひなも照れくさそうな顔をしていた。

「どういたしまて、相棒」

彼女の役に立てた。こんな呪いみたいな、人生ネタバレ能力の予知夢でも、誰かの役に立ったんだ。

とても痛快な気分だ。

「ほら、とっとと確認して帰るぞ」

それこそ、彼女にとんでもないことを口走ってしまいそうなほどに───────────、


「危ない!!!」


「え?」

突然、大声と共に背後から突き飛ばされる。

不意の出来事で対応出来ずに無様に転ぶ。

痛っ!

何事だ?

ふと、床についた手が視界に入る。

紅い何が付いている。紅いソレは、まるで溢れた生命のエキスのようだ。

─────あぁ、これは血だ。

血は突然発生などしない。となると、誰が溢したのか。

俺ではない。傷や痛みはない。

これはかけられた血だ。

では、俺以外誰が溢したのか。

答えは明白。脳が理解を拒絶しても、現実はすぐそこにある。


まひなが紅く染め上げられながら倒れている。


まっしぐらに近寄る。背中から大量の血が流れている。間違いなく致命傷だ。

髪の色も染められている。きれいな紅髪。

まるで最初から紅色だったかのようだ。

今までにないほどの焦りが生じる。

呼吸が浅い。本当にこのままでは──────、

「………ふふ。ひどいかお。まったく、しっかり、して、よ、ね」

今にも死にそうな顔なのに、くったなく笑いかけてくる。

「もういい!もう喋るな!」

現在進行形で血は流れている。まひなの顔から生気が消えてゆく。

「やっぱり、最後に、守って、笑うのは、私なんだ、から」

最後の最後にしてやったりと無邪気な笑みを浮かべる。

あぁ、やめてくれ。そんなに勝ち誇ったように笑うのは。

報酬の話はどうした?

まだ、決まってもないぞ。

最悪嫁に貰ってやるという話はどうした?

言っといてなんだが、悪い話じゃないと思っていたんだぞ。

これからも一緒に戦うという話はどうした?

あの約束は、俺の新しい生きる意味にだってなり得たんだぞ。

言いたいことも、話したいことも、笑い合いたいことも、まだ沢山ある。こんな所でくたばってる暇などないほどに。

「………うん。言いたいこと、なんとなくわかる。けど、ごめん、ね。約束。守れそうに、ない、わ」

「そんなこと言うな!まだ、助かる!だから─────」

「ううん。ここでお終い。最後に……ありがと、ね」

そう言うと、まひなの胸の辺りが光始めた。

のっそりと何かが立ち上がる気配がした。

まひなをこんな目に合わせた張本人。

青い、金棒を持った鬼。頑丈さは、俺たちの想定していた数十倍はあったようだ。

「て、には、ひとを。に、には、ゆめを。を、には、ちぎりを。は、には、あいを。つむいで、つながる物、がた、り」

掠れた声で呪文を唱え始める。

突如、自分の身体が光り始める。

彼女はもう魔力はないと言った。ならば今消費してるのは他でもない、命だ。

俺を逃すため、正義を最後までやり遂げるつもりなのだ。

俺はこれを拒むことは出来ない。彼女の全霊をかけた救助を無駄になんて出来ない。

だから、仕方なく──────────、

……………嫌だ。

イヤダイヤダ嫌だ嫌だ嫌だイヤダイヤダ嫌だイヤダイヤダイヤだ嫌だ嫌だイヤダイヤだ嫌だイヤダイヤだイヤダイヤダ嫌だ!!!

歯を食い縛る。感情が理性を殺しにかかる。

こんな結末など、あっていいはずがない。

ヒーローは最後には必ず勝つ存在だ。

この鉄則が崩れるとしたら、それはシナリオを書いたやつが悪い。

俺の予知夢が間違っていた。いや、予知夢は間違っていない。

ただそのシナリオの結末が、バッドエンドだっただけのことだ。

ならばこれはシナリオを書いた俺の責任であり、俺の罪だ。

彼女が殺される理由など、何一つないはずだ。

そうだ、今からでもまひなに止めさせよう。

そうすれば、まひなが少しでも長生き出来る。

少しでも長くそばにいてあげられる。

それが俺の償いだ。まひなを傷つけた代償には遠く及ばないが、それでも─────────、

「─────!」

…………その顔は、ズルい。ズルすぎる。

駄々っ子に困るような、その顔をまひなにされたら俺は、もうどうすることもできない。

身体だけじゃなく、周りも光り始める。おそらくあと少しで現実世界に転送されるのだろう。

やがて、もう完全に彼女が見えないほどの強い光に包まれる。


最後まで泣きじゃくっていたのは、俺だけだった。


















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