第8話 情報を制す者は戦場を制す

 目的地であるゴブリンの巣は、山を一つ二つ超えた程度の近場であった。


 それまで両者が遭遇しなかったのは、ひとえにリシュエルの用心深さの賜物である。


 今は出入り口を見下ろす崖の上から、暇を持て余し寝転んでいる、見張りのゴブリンを遠目に見下ろしているところだった。


 デスウフルフに巣の動向を探らせ、判明した事は二つ。


 一つ目は出入口は三つあり、ゴブリンどもはその日の気分によって使い分けているらしいこと。


 二つ目は、そのてんでばらばらな行動方針から、統率された群れとして機能していないであろうこと。


 狩りに行くにも、村を襲撃するにも、その場に居合わせた少人数の面子で突発的に動いている節があり、群れに強いリーダーシップを持った者──ゴブリンキングやオーガなどの危険な相手がいる確率は低いだろうことを示していた。


「成程。貴様らだけでも攻略できると踏んだのも頷ける」


 リシュエル達のここ一週間に及ぶ情報収拾の結果を受け、アバドンは腕を組んで首肯したように見えた。


「それで。策があるならば聞いておこう。なければこのまま突っ込み、血祭りにあげるまでであるが」

「策はあるから待って。早く実戦したいのもわかるけど待って」


 すっかり人型に戻ったアバドンが、準備運動のためにシャドーを始めると、リシュエルはこめかみに指を当てながら制止した。


 空を切るパンチは見事にキレが乗り、それだけで生じた鎌鼬が、周囲の草木をばさばさと斬り払っていったからだ。


 まだ巣までは距離があるとはいえ、ここだけ不自然に暴風が吹き荒れていれば、いくら鈍感なゴブリンでも不審に思うだろう。


「もうちょっと待ってね。念には念を入れて、今からアッシュガストで巣の中を偵察するから」

「慎重なことだ。確かに戦に万全を期すには、情報は必須。そういうことであれば、しばし待とう」


 リシュエルが遺灰の詰まった小瓶を取り出すのに合わせ、アバドンはどすんと地に腰を落ち着けた。


 そしてリシュエルが小瓶の蓋を開けると、ぶわりと風にあおられた砂埃のように灰が宙へ飛び出し、ふわふわと漂いながら主の指示を待つ。


 何人分を加工したのであろうか。薄っぺらい人型へと変形して整然と並ぶ様は、1軍に匹敵するようにも思えた。


 アッシュガストはリシュエルの使い魔であり、精神の糸で思考を共有している。

 故にリシュエルは声を発さず、思い通りに灰の濃度、体積を操り、時に強固な壁に、時に砂粒よりも細かな粒子と変えて探索に使うことができるのだ。


 今回もその力を存分に発揮して、さらさらと風に乗せ、巣穴へと送り込んで行った。


 見張りをさぼっていたゴブリンには、砂埃が一瞬通り過ぎて行っただけに思えたか、そもそも認識できなかった事だろう。


「便利なものだな」


 アバドンですら、事前に知っておかねば、気取けどるのが遅れるだろうと唸ってみせた。


「でしょう? だから肌身離さず持っていたの。アッシュガストとこの子達さえいれば、そこらの魔獣なんか怖くないわ」


 国を追われた際、優先して持ち出した理由がそれなのだろう。

 アッシュガストとデスウルフは、まさにリシュエルの近衛隊なのだ。


「うん、素直な地形だわ。三つの入り口から、それぞれ一本道で中央の広場に繋がってる。起伏も少ないから、奇襲の恐れはほぼないわね」

「どう分担する。同時に行かねば逃がすだろう」

「そうね。逃げられると他の部族に潜り込んで、復讐しに来るかもしれないし……え、あ、ちょっと待った!」


 アッシュガストを通じて洞窟内部を視ていたリシュエルが、会話を打ち切り叫ぶ。


「大物が一つ……トロルだわ」


 リシュエルが悔しそうに歯噛みする。


 トロルとは、オーガなどの大型亜人種の一つで、これもまた怪力にして肉食であり、ゴブリンを好んで食べる習性があった。


 しかし貪欲で自己顕示欲の強いオーガと違い、非常に怠惰な面を持っている。

 ゴブリンの巣を占拠すると、人質を取り、仲間に食べ物を取りに行かせ、食事時以外はほぼ寝て過ごすという怠惰な種族であった。


 そのせいでゴブリン達の統率が取れていなかったのだと気付くが、後の祭りである。


 戦闘力そのものはオーガと大差ないとはいえ、トロルにはもう一つ、オーガにはない特色がある。

 それは、溢れる生命力であった。


 日頃寝て過ごし、脂肪にエネルギーを溜めているのか、種族全体を通して異常に治癒力に優れているのだ。

 腕を落とされようが、その場でにょきりと新しい腕が生えて来るほどに。


 この特徴は、生命力の真逆の性質を持つ死霊術にとって圧倒的に不利であり、リシュエルは作戦の変更、あるいは中止を余儀なくされた事を悟る。


 トロルは普段は怠惰だが、縄張りを守る際には勇猛な戦士と化すためだ。

 そうなると手持ちのデスウルフ達だけでは、かすり傷を与えることさえ困難になる。


 リシュエルが一人苦悩していると、


「トロルは吾輩が相手をする故、問題はない。改めて。策があらば聞こう」


 心中を読み取ったかのようなアバドンの力強い宣言が、一陣の突風と共に発された。

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