第5話 夜の帳

 日没後に到着したリシュエルの隠れ家は、追手を警戒してか、森深い山中の樹々の合間へ巧妙に隠蔽されていた。


 枝の上に設置された小屋の作りはしっかりしており、余裕をもって雨風をしのげそうだ。


 細腕のエルフが建てたと聞けば信じがたいが、彼女には心強い従者がいる。

 木の上に一人と数頭のスペースを確保するには、十分な労働力だろう。


 ただし今宵の招待客は、小屋に上がるどころか、途中で木がへし折れそうな巨漢である。


 仕方なしに、地上へ簡易天幕を張って一旦落ち着く事とした。



「ふーむ。ふむふむ……」


 野営の準備ができるなり、リシュエルは干し肉を片手に目を皿のようにして、アバドンの全身を見回していた。


 野営とはいうものの、用心のため火は焚いていない。

 そもそもが、ここにいる者全員が暗視能力を備えている上、暖を取る必要もないからだ。


 アバドンは長い時間凝視され、さすがに座りが悪くなったのか、リシュエルへ問う。


『いい加減、何かわかったか』

「うーん。さすがに見ただけじゃあね。あたしから言えるのは、厳密には死んではいないけど、生きてるとも言えないってとこかしら」

『なんとも半端な身の上となったものよ。しかしこれもまた、主の試練。かような身となっても、成すべきことがあるという啓示であろう』

「……本当にぶれないわね。普通ならもう少し取り乱すわよ。こんな状況になれば」

『何を言う。すでに人の形というくさびから解き放たれたのだ。強さを求めるに、これほど具合の良い身体があろうか』

「あー、まあ、うん。気落ちされるよりはよっぽどいいか」


 リシュエルは呆れ顔で頭をかくが、アバドンはむしろ嬉しさを滲ませている。


「まあ、詳細に調べるのは少し待ってちょうだい。直に触れたらあたしが死んじゃうし、今は手元にろくな研究機材が残ってないから」


 ふてくされたように言い捨てると、固そうな干し肉をかじるリシュエル。


「処刑されそうになったのが本当に急で、この子達と逃げ出すのが精一杯だったのよ。このままじゃ満足に研究もできやしないし。あなたのことを抜きにしても、割と死活問題なのよね」


 心中をを気遣ってか、デスウルフのアインがすり寄ると、よしよしと撫で返してみせるリシュエル。


『その割には、野外生活には順応しているように見えるが』


 野営の準備も手際がよく、アバドンが手伝う事がほとんどなかったくらいである。


「国を追われてからこっち、命懸けの逃避行だったからねー。王宮でぬくぬく育ったお姫様が、今じゃこんな山の中で日々食うや食わずのサバイバルよ? そりゃ嫌でもたくましくなるわよ。まあ、元々エルフは森の民でもあるしね。多少の基礎を教わってたのが役立ったわ」


 そこへ狩りへ出ていたツヴァイとドライが戻り、得体の知れない死骸を3頭で仲良く分けてがっつき出した。


「命からがら追手を巻いて、ようやくベースキャンプを作って落ち着けたのがここって訳」

『死中に活路を見出し、見事試練に打ち勝ったのだな。称賛に値する』

「でしょー? 我ながら見事な逃げ足だったわね」


 アバドンに向けてふふんと得意げに笑うリシュエルだが、さすがに疲労が隠せず、丸太の椅子にすとんと落ちるように座った。


「はあ。あなたは自分のことだから早く解明したいでしょうけど。今日はもう無理。色々ありすぎてダウン寸前」


 アインのふさふさな背に頭を預けるリシュエルを見て、アバドンも頷いた。


『うむ。生身に夜更かしは辛かろう。しばしその姿勢のままでいろ』


 ふと今までにない優しい声音を発したかと思うと、リシュエルへ向けて手の平を伸ばした。


「ちょ、何するつもり!?」

『動くな。触れはしない。楽にしていろ』


 もう一度触れれば、今度こそ魂を奪われると確信しているリシュエルは緊張を強いられたが、やがて敵意の無いアバドンの声を信用し、身体の力を抜いた。


 そして、


『主よ。これなる勇者の疲労を癒し給え』


 アバドンが簡易な祈りを捧げると、リシュエルは身が仄かに温まり、重くなっていた頭が冴え渡るのを感じた。


「嘘……アンデッドが奇跡を行使するなんて……」

『うむ。我が信仰の灯火は、これな姿となっても消えぬ事が証明されたな』


 得意げに腕を組むアバドンに、リシュエルは無限の興味が湧き上がるのを抑えきれなかった。


 しかし、今日はもう休まねば。アバドンの奇跡もその場しのぎに過ぎないはずなのだ。


「原理は不明だけど、一応お礼は言っておくわ。じゃあ、今日はもう休むわね」


 アインに跨ると、とんとんと軽快に木の枝伝いに昇り始めるリシュエル。


「あ、そうそう。あなたは眠る必要もなくなったでしょうから、夜の間暇潰しに、この辺りの散策をお勧めするわ。地形を覚えるついでにね。夜行性の魔物も多いから、退屈はしないわよ」

『うむ。そうするか。身体のきれもまだ戻らぬのでな。狩りがてら一回りしてくるとしよう』


 そう言い残すと、アバドンは肩をぐるりと回しながら夜闇に消えて行った。


「あの暴れぶりでまだ全力じゃないの……?」


 アバドンの去り際の台詞に冷や汗を垂らすリシュエル。


「本当、敵に回さなくて正解だったわ。ね、アイン」

「クウン……」


 小屋に辿り着いた後、三頭のデスウルフをベッド代わりにして、リシュエルは泥の眠りに沈んでいった。


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