第75話 悠久の魔女の足跡 ⑧

 シアク・ディネイという私とは違う理由で長いときを生きてきた魔女と再会してから、私はしばしばあの大樹へと足をのばすようになった。

 大樹の中にある図書館の本の中には私が読んでいない本も多く、特に魔導書は一般には出回らないので、宝の山に思えてならなかったのだ。


「リィラ、あなたなら図書館の本を自由に持ち出しても、魔法陣を仕込んで好きに取り出してもいいのですよ?」


 シアク様は私を気遣いそう提案してくれていたが、それに対する対価を払えないからと固辞こじしていた。シアク様も私が本を自由に読ませてもらっていることに対して、対価を払いたいと申し出た時は首を横に振った。


「いいのですよ、リィラ。ここの図書館の本は魔法師なら誰でも閲覧できるようにしているのですから」

「ですが、先生。私は他の魔法師と違って、ここで仕事だとか里に奉仕だとかしていませんよ」

「そうですね。では、リィラにしかできないことをお願いすることにしましょう」


 その言葉にどんな無理難題を押し付けられるのかと構えてしまう。


「あなたには私の相手をすることを対価としましょう。これは他の魔法師にはできないことです」

「どういうことでしょう?」

「そうね……お茶を一緒に飲んだり、昔話や思い出話に付き合ってほしいのですよ。他にもあなたが今までどのように生き、何を見てきたのか教えて欲しいのです」

「本当に先生は甘いというか優しいですね」

「ただ話し相手に飢えていただけよ」


 シアク様は笑って誤魔化した。しかし、シアク様がそれを望まれるのならと喜んで話し相手になることにした。

 そうやって本を読んだり、シアク様と紅茶を飲みながらいろんな話をしたり、量はあまり飲めなくなったという飲酒に付き合ったりととても穏やかな時間が過ぎていった。

 私はその時間の中で常にシアク様の身体を案じていた。

 シアク様は私と違い老いていた。さらに、ダーシャが私の家に最初に来たときに言っていた「先が長くない」という死をほのめかす発言をしていたこと。それはシアク様が不老不死ではないということを指し示していた。

 だから、気付かれないようにそっとごく小規模で魔法を展開し、シアク様の健康状態や魔力の流れを観察した。そうやって見ることで気付いたのは、全てが弱り切っていて、生命活動を維持していることすら不思議なレベルだということだった。

 魔法師の寿命が長いとはいえ、平均すると普通の人間の二倍から三倍程度だ。生まれついて魔力の保有量が多かった大魔法師と呼ばれる存在はもっと長く生きることができるそうだ。そういう情報を魔導文明時代に雑誌や文献で目にしたことがあった。読んだもの中には五百年生きたという魔法師の話があったり、魔法師の始祖たる存在は千年生きたという眉唾まゆつばな伝説が残っていた。

 シアク様は魔導文明が崩壊し、違う路を選択した時にはすでにけっこうな年齢だったはずだ。まだ大規模魔導実験を始める十年くらい前に私は師匠に五十歳の誕生日を祝われたことがあった。そのとき師匠は、


「リィラ、誕生日おめでとう。人間にしたらいい歳だけれど、魔法師としてはまだまだこれからね。私の半分にも満たない歳の若者なんだからもっと精進しなさい」


 と笑っていたのはよく覚えている。その師匠よりも年上だったシアク様はおそらく百五十歳以上の年齢だったはずだ。師匠とシアク様はその年齢で周囲の同年代の魔法師と比べれば若々しすぎる姿をしていたので、ようやく人生の折り返しに差し掛かったくらいだったのかもしれない。

 それでも魔導文明が崩壊してからゆうに六百年、もうすぐ七百年という年月が経とうとしている。私のように死ねない身体でないのに、生きているということは理由があるはずだった。

 人が意志や気持ちだけで、死ぬことなく生きることができるというのなら、誰も死んだりはしない。寿命や運命という名で、誰にも等しく残酷なほど確実に死は訪れる。私はそれをずっと見てきたし、見届けてきた。

 そんな当たり前の事実と、それでもたしかに生きているシアク様という存在。どうすれば生きていることができるのか、生き長らえることができるのか思案を巡らせながら、今日もシアク様との茶会を楽しみながら雑談をしていた。

 ふとシアク様と目が合い、シアク様は柔らかで穏やかな笑みを浮かべた。


「リィラ。疑問や不安が顔に出ていますよ?」

「そういえば、先生は表情や心を読むのもお上手でしたね」

「それはまあ、面倒事を避けるための処世術みたいなものです。しかし、おかげであなたの師匠のメリーヌも私には心を開いてくれましたし、仲良くもなれました。あの子は誤解されやすいですが裏表のない真っ直ぐな子でしたから」


 シアク様の声は優しくて、きっと昔のことを思い出しているのだろう。それは私も同じで。


「それは私もよく知っています。師匠は無茶苦茶なところも多かったし、面倒事もたくさん押し付けられたりしましたけど、面倒見もよくて私のことをなんだかんだ大事にしてくれて、優しくて……」

「リィラ。あなたも見た目だけでなく心も綺麗で、優しい子ですよ」

「そんなこと……」


 私は自分を優しいと思ったことはない。私は自分の利益や事情を優先して、結局は誰も救うこともできず、ただ過ぎ行く時間の中ですれ違っていくだけの人生だ。

 シアク様はそんな私に優しい笑みを浮かべてくれる。


「だって、あなたは私のことばかり気にしてくれているじゃない。たまに魔法で私の健康状態を探っているのも分かっていますよ」


 気付かれていないことはないと思っていたが、何も言及されないのでそこは深く考えないようにしていた。私の見立てではいつ死んでも不思議ではない。だからこそ、シアク様に会いに来て、顔を見て話す頻度を増やしていた。そんな私の心配も身勝手な気苦労も全てお見通しというわけなのだろう。


「あなたの思う通り、私はいつ死んでもおかしくないでしょう。私はただ生かされているだけなのですから……」

「どういうことですか?」

「私はこの空間を維持するパーツにすぎないのです。私はこの空間に長く居すぎて、さらには大樹から漏れる星の魔力を使いすぎてしまいました。それが理由かは定かではありませんが、いつの日からか私とこの大樹、さらには星自体との間に魔力的なパスができてしまったのです。だから、私はこの大樹から離れることも、この空間から出ることもできないのです」

「そう……だったのですね」

「ええ。しかし、私の肉体はあなたと違って不老不死ではありません。年月とともに弱っていき、朽ちていく運命にあります。それもそろそろ限界を迎えているのです」


 シアク様の告白を私は受け止める以外の選択肢はなかった。シアク様は死ぬことを受け入れているので、私が強引な手段を使って生き長らえさせるということは失礼で、尊厳を無視することにもなってしまう。


「そこでリィラ。あなたにお願いがあるのです」


 その続きは聞きたくなかった。聞いてしまうとこの平穏で温かな時間は終わりを告げる。また喪失感にくれる日々に戻ってしまうかもしれない。

 だけど、今の私は一人じゃない。きっと大丈夫だ。

 それより、聞かないわけにはいかない。これは偉大な魔女の最後のお願いなのだから。

 だから、泣きそうになる気持ちをぐっと堪え、心と表情を引き締め直し、シアク様の顔を真っ直ぐに見つめ返す。そして、できるだけ柔らかな声音と表情で尋ね返した。


「それでお願いとはなんですか、先生?」

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