第74話 悠久の魔女の足跡 ⑦

 穏やかな時間が過ぎていき、雑談も思い出話もひと段落した。

 名残惜しさを感じながらも空気感で、今日はこれで終わりなんだと感じた。シアク様の手を取り、揺り椅子に戻るのを支えた。揺り椅子に座ったシアク様は細く長い息を吐きだした。


「ありがとう、リィラ。今日は会えて本当に嬉しかったわ」

「私もですわ、先生。今日は呼んでいただいてありがとうございます」

「ええ。それでリィラ、また来てもらえますか?」

「もちろんですわ」


 私の返事にシアク様は嬉しそうな表情に変わる。そのことが嬉しくて、自然と笑みがこぼれてしまう。


「私の方こそ、ここに所蔵している本が読みたいのですが、勝手に来てもよろしいですか?」

「ええ、もちろんよ。では、リィラ。これをもらってくれますか?」


 シアク様は手を伸ばし、空間の裂け目から取り出した鈴付きのリボンチョーカーを渡してきた。その鈴がここに入るために必要な魔道具だということはすぐに察しがついた。そのために二つの鈴がチョーカーについていた。一つは魔法を作動させるために、もう一つは自分の家の扉に吊るし、起点にしろということなのだろう。エレナやダーシャのように普通のベルを渡してくれればいいのにと思いつつ、受け取った。


「あなたにはかわいらしい装飾が似合うと思っていたのよ」

「でも、先生。これでは首輪のようではありませんか? 私は先生の飼い猫ではないのですよ?」


 そう冗談めかすと、シアク様は肩を小さく揺らして笑っていた。


「そうね。あなたは私の唯一の弟子で友人だったメリーヌの大切な教え子。いえ、リィラも大事な友人だものね」


 シアク様は指先をわずかに動かすと、チョーカーから鈴が外れた。


「でも、先生からのプレゼントですもの。チョーカーもありがたくもらうことにしますね」

「ありがとう、リィラ」


 チョーカーを首に巻く私をシアク様は優しい視線でずっと見つめていた。なんの魔法の効果もないおそらくシアク様が手編みで作ったであろうレースのリボンチョーカーはそれだけで私にとってはとても価値のあるものだ。


「それでは先生。私は待たせている子がいるので、今日はこのあたりでおいとまさせてもらいますわ。今度はお酒でも飲みましょう」

「ええ、もちろんよ」


 そうして揺り椅子に座っているシアク様に見送られながら部屋を出ると、廊下にはダーシャがいた。私が扉を閉めると、


「お疲れ様です、シェリア様。大師匠様もあなたにお会いできたことをお喜びになったと思います」


 そうダーシャは頭を下げながら感謝の言葉を口にしてきた。


「いいのよ。嬉しかったのは私もだから。これからはちょくちょく顔を出すことにするわ」

「そうですか。では、そのことは警備している者を含め、私から伝えておくことにしましょう」

「助かるわ、ダーシャ」


 それからダーシャに案内され、私はエレナのいる図書館へと向かうことにした。その道中にダーシャにここの図書館のことを聞いた。増え続ける蔵書の管理のために空間魔法を使いながら拡張してきたそうだ。いつしか内部に広がる空間は外からは想像できないほどの広大な空間になっていて、今ではどれくらいの広さなのか正確に知っているのはシアク様だけだという。

 図書館の入り口でダーシャと別れ、エレナを探しがてら、本棚に収められた本を眺めていると魔導書が多く、今すぐにでも読みふけりたい気持ちになってくる。入り口付近の本棚に魔法師見習いだったころに読んでいた懐かしい本を見かけて、ついつい手に取った。それは魔法師の入門書のようなもので、魔法師の基礎的な鍛錬方法や魔法の使い方が書かれていて、もう読むことも見ることもないと思っていた本に感慨深さを感じてしまう。

 その本を本棚に戻し、背表紙を見て回っていると、エレナがとある本棚の前に立ち、何やら真剣に本を読んでいるのが見えた。どんな本を読んでいるのか気になって、気配を消してそっと近づいて後ろから読んでいる本を覗き込んだ。

 読んでいたのは魔導書ではなく、昔の魔法師が読んでいた娯楽雑誌だった。エレナが表紙を確認したので一緒に見ると、流行のお菓子特集、魔法を使ってできるレシピ集付きという文言が見えた。それは魔導文明時代の甘党魔法師が愛読していた雑誌で、私も読んでいたものだった。

 私の気配に気づいたエレナは慌てて背中に本を隠し、


「おかえりなさい、シェリア様。どうでしたか?」


 と、恥ずかしそうにはにかみながら尋ねてきた。


「久しぶりにゆっくりと話せて、懐かしくもあり、楽しくもあったわ」

「それはよかったですね」


 エレナはまだもじもじと気まずそうな表情をしているので、


「エレナが甘いものがそんなに好きだったのなら、余ったお菓子をもらってこればよかったかしら?」


 と、悪戯っぽく口にすると、エレナは顔を真っ赤にして恥ずかしがるので思わず笑ってしまう。


「それでその本は借りて帰るのかしら?」

「いえ、ここの本は許可された魔法師以外は持ち出しが禁止されています。もし持ち出そうとしても、この図書館のある空間からは出られない仕組みになっています」

「そうなのね。たしかに、魔導書とか貴重なものを勝手に持ち出されると困るものね」

「ええ。ですので、シェリア様への差し入れのレシピを調べるためにまたここに読みに来たいと思います」


 そう笑顔で言いながら、エレナは本を棚に戻し始めた。そういうかいがいしいところを見せられたら、何とかしてあげたくなってしまう。


「その本――というか、雑誌が読みたいというなら、私が昔読んでいたのでいいなら貸してあげましょうか?」

「いいのですか?」

「もちろんよ」


 返事をしながら、雑誌の束を空間魔法内の倉庫から取り出し、エレナの手の上に置いた。その雑誌の山にエレナは目を輝かせながら、「こんなにいいのですか?」と高まる気持ちを抑えるようにどこか遠慮がちに尋ねてくる。


「もちろんよ。だけど、その代わりエレナの持ってくるものに対する期待値は上がるのだけどいいのかしら?」


 私が笑みをこぼしながら口にすると、エレナは困ったような表情を浮かべるが、すぐに真剣な顔つきになり、


「できるだけ早くその期待に応えられるものを作れるように努力してみせます」


 と、その小さな胸を張った。私はその成長をのんびりと見届けようと思った。

 それからエレナと連れ立って大樹を出て、もう一度シアク様の部屋があった場所に目をやる。そして、ここに来たときに通ったベルのついたガーデンアーチの前に立った。


「じゃあ、帰りましょうか」


 シアク様からもらった鈴を共鳴させて、空間魔法を作動させる。一度目の前で見てやり方を覚えたので、エレナの力なしに扉を繋げることができる。空間魔法内のトンネルを抜け、出発地点のミアトー村のエレナの家へと戻ってきた。

 私が隠れ里にいたのは数時間程度の出来事だったはずなのに、ここに帰ってくるのは数日ぶりのようにも感じた。それほどまでに濃密で満ち足りた時間だった。

 エレナとの別れ際に、


「今度から空間魔法を使って私の家に来るといいわ。私もシアク様からあなたたちの持つベルと同じ効果のある鈴をもらったからね。それとあなたのベルをリンクさせたから、ベルが一つでも今日みたいにすれば、少ない魔力でも来れると思うわ」

「わかりました」


 エレナは驚いたような表情をしていたが、すぐに嬉しそうな表情に変わる。きっと私に少しでも認められたと思ったのかもしれない。


 今までの自分ではきっとこんなことを言わなかった。できるだけ人と関わらないように、人を遠ざけるように生きてきた。それなのにエレナに自分の持っていた古い雑誌を貸すなんていうお節介を焼いたのも、きっとシアク様に会って感化されたせいだろう。

 シアク様のような敬愛すべき魔女の深い慈愛に触れれば、誰でも少なからず気持ちに変化は生じるだろう。

 私も周囲にいい変化を与えなければいけない存在なのだと強く自覚した。

 だけど、私にはシアク様のような懐の深さはないので、自分らしく人に優しくしようと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る