第12話 勘違い

 その日は土砂降りの雨で、傘を差していても制服はびしょ濡れだった。


 雨は嫌いだ。


 手荷物は増えるし気分は下がるし、雨が降っても良いことなど何もない。


 早く帰ってゆっくりしようと思い、歩くペースを速める。


 橋にさしかかったところで、足を止める。


 俯いているから視界には写っていないが、人の気配がしたからだ。


 傘を少しずらして、顔を上げる。


 雨のせいではっきりとは見えないが、そこに立っている人が誰で、何をしようとしているのかは分かった。


 けれどそれは、あまりにも現実味がなかった。


「先、輩……………?」


 そこには、橋から飛び降りようとしている先輩の姿があった。


 橋の下は川。


 昨日から降り続く大雨で、いつもより水位が上がっている。


 考える暇はなく、気付いた時には傘を放り投げ、走り出していた。


 身を乗り出そうとしている先輩の左腕を思いっきり引き寄せ、地面に倒れ込む。


 先輩は咄嗟に右手を地面につけて、体全体で倒れるのを免れた。


 尻餅をついた先輩はゆっくりとこちらに振り返る。


 その瞳は、初めて見るものだった。


 生気がなく、俺を見ているはずなのに、心はここにないようだった。


「先輩…………何してるんですかっ?!」


 そんなこと、聞かなくても分かっている。


 でも、叫ばずにはいられなかった。


「何で…………なんで飛び降りようとしてたんですかっ?!」


「……………」


「何か言ってくださいよっ!」


「………………」


 魂が抜かれてしまったかのようだ。


 いつもの元気な様子は欠片ほども感じられない。


「……………………死にたく、なって………」


 何があったというんだ………あんなにいつも笑顔で楽しそうで…………周りにいる人まで明るくさせるような人が………


「生きていても……………何も、ない………」


 こんなことを、言うなんて……………。


 あの笑顔は嘘だったのだろうか。


 本当は何か辛いことを抱えていたのに、それを隠していたのだろうか。


 分からない。


 どれだけ必死に頭を巡らせても、答えはでない。


「そんなこと……………」


 だけど……………『生きていても何もない』なんて、言ってほしくない。


 どれだけ今が辛くても、死んだらそれで終わり

……………これから起こるかもしれない幸せな出来事が訪れることはない。


 反射的に、古い記憶が甦る。


 記憶の奥底に閉まっていた、二度と思い出したくなかった記憶。


 お母さんも…………そうだったのだろうか。


 生きる意味が見出だせなくて……………。


 もう二度と会えない、大切な人。


 そして今、俺の目の前でまた、大切な人がいなくなろうとしていた。


 もう、嫌だ………あんな思いは、したくない。


「そんなこと………ないですっ! …………生きていても何もないなんて、あるはずがありませんっ!」


 思いの全てをぶちまける。


「先輩…………楽しそうじゃないですか………

友達と話してる時、あんなに笑顔じゃないですか…………あの笑顔は、嘘なんですか………」


「………………」


 雨か涙か分からない水滴のせいで、視界が滲む。


 それでも、先輩の虚ろな瞳にかすかな光が灯ったのが見えた。


「俺…………先輩と話すことが、他の誰と話すよりも、好きです…………先輩の笑顔を見ると、元気が出ます…………だから………生きていても何もないなんて、言わないで、下さい……………

先輩がいてくれないと………俺…………」


 心の内をさらけ出す度に、涙が溢れてくる。


 なんで…………俺がこんなに泣いてるんだ……なんで…………。


「先輩が、いなかったら…………生きて、いけません」


 最後のその声は、雨の音に掻き消されたかもしれない。


 聞こえただろうか。


 伝わっただろうか。


 俺の気持ちは、先輩の心に届いただろうか。


 先輩の顔を見て確認したいけれど、視界は完全にぼやけている。


 あれ………………?


 なんか…………くらく………ら………す、る

…………。


 どう……しちゃっ……たんだ………俺……。


 頭がぼんやりとしてきて、周りが真っ黒になる。


 次に目覚めたとき、俺は自室のベッドに寝かされていた。




 

 

 

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