第22話 幼馴染

 日は傾き、赤い夕陽が遠くの山の影に沈んでいる。かろうじて残る輪郭が地平線を映し出し、長い影を道路に伸びる。


 電車に乗り、地元の人気の減った道を歩いて家路を歩く。遠くで犬の吠える声だけが微かに聞こえる。


(どうするか……)


 山田さんとの約束がある以上、これまで通りとはいかないのは分かっているけれど、どうにも自分がどう対応していくべきなのか考えあぐねる。


 まあ、やることは変わりない。距離を置く、それだけだ。関わらないスタンスを維持するのみ。


 顎に指を当てて思案していると、ワフッと吠え声が聞こえた。顔を上げると、少し遠目に散歩をしている人影がこっちに向かってくる。


 夕日で影になりいまいち顔が見えない。ただ一歩近づいてくるたびに、その表情がだんだんと明らかになる。


 かつて何度も顔を合わせた彼女の顔。記憶にあるより幾分か大人っぽい。久しぶりの彼女はポニーテールを揺らしていた。


「……凛」

「えっと、久しぶり。潤」


 目が合うと一瞬薄茶色の瞳を左右に彷徨わせる。それから凛は曖昧に薄く笑みを浮かべる。話すのは3ヶ月ぶりだろうか。


 互いに見合っていると、ワフッと存在を主張して柴犬の茶々丸が足元に駆け寄ってきた。


「茶々丸。元気にしてたか?」


 撫でろ、と言わんばかりに足に擦り寄るので手を伸ばす。

 もふもふと撫で回すと気持ちよさそうに目を細めて丸まった尻尾を激しく揺らす。相変わらず元気な奴だ。


 茶々丸と会うのは本当に久しぶりなので、相当嬉しいらしい。撫でても撫でても満足してくれない。

 屈みながら、凛に視線を向ける。茶々丸が俺から離れずいつまでも撫でられ続けるので、リードを持つ凛は側で立って待っている。


「……待たせてごめん」

「ううん。久しぶりだし沢山撫でてあげて」


 ほのかに笑みを浮かべて、はしゃぐ茶々丸を眺める凛。薄く慈しむように目が細められる。優しげな視線は、とても温かい。


 ああ、そうだった。こういう笑い方が俺は好きだったんだ。


 今更恋心が戻ってきたわけではないけれど、中学一年のあの時、自分が抱いていたものの残滓だけが心に蘇る。

 甘酸っぱく、そして忘れたいほどに苦々しい記憶。長年積もって抱いた恋心は、消えてなおも傷跡を残していたらしい。


 10分ほど撫で続け、ようやく茶々丸は満足したようで身体を俺から離した。


「満足したのか?」


 ワフッ。くりくりとした瞳を向けて、一度返事が返ってくる。久しぶりに撫で回したけれど、やっぱり暖かくて動物の撫で心地は最高だ。


「悪い。待たせてごめん」

「ううん。茶々丸も満足したみたいだからよかった」


 正面から真っ直ぐに見合うのはいつぶりだろうか。


 長いまつ毛。ぱっちりとした二重。快活さを魅せる薄く日焼けした肌。


「……高校でも陸上部?」

「うん。走るのは好きだから」


 日焼けしている理由は予想通りだった。昔から凛は走るのが好きで、中学では一年の頃から県大会の上位に入るほど活躍していた。


 それは今でも変わっていないらしい。


「…………」


 一度は開いた口がまた閉じる。会話の窓口が見つからず、静かな沈黙が漂い出す。


 ああ、これだ。ぎこちない会話。錆びついた歯車のように噛み合わない。


 かつて俺と凛の間にあった、湯水の如く湧くような会話の数々はもう消えてしまった。今あるのは、互いに当たり障りのない上辺の会話だけ。


 凛のリードを持つ手がきゅっと固く握られる。迷うように視線を宙を彷徨わせ、目が合うと曖昧な笑みだけが薄く浮かぶ。


 俺が知る本来の彼女はもっと快活で、あけすけに話す人だった。話すことそのものが大好きで、黙っていることの方が少ないくらいだった。


 積極的に話しかけてきて、距離感は近く、まるで親友のようで。……そして俺は間違えた。


 凛はただの親友として見ていたからこそ、その距離感だったのだ。それを勘違いして壊したのは……俺だ。


「……じゃあ、またね」

「……うん、また」


 凛に背中を向けて歩き出す。凛はこれから散歩に向かうところだろう。


 別れ際、凛の困ったような笑みが脳裏に焼き付く。昔はあんな笑い方をするやつではなかった。あんな笑い方をさせるようにしたのは、俺だ。


 ああ、まったく。これまでの関係を全て壊してしまう恋愛は、これだから本当に嫌いだ。



 



 

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